A新聞の購読者が減っているという話です。私は、その流れに少し乗りたい気分もあるけど、相変わらず購読していくでしょうか。
もう少し紙の新聞をとっている人に、スマホでもこんな特典がありますよとか、ネットではこんな動きがありますよとか、年寄りがネット世界でも安心して暮らせられるような、文字の大きい細かな情報とか、あれこれ設けてくれてもいいのに、相変わらずの紙面のようです。
そして、新聞は各家庭に届けられますが、デジタルはまた別売りで、デジタルで見たいならちゃんとお金払ってねと、ものすごくガードが固くなっています。だから、ネットではニュース・情報が欲しいということでわざわざA新聞を見ることもないし、お金がかかって面倒なようです。クレジットカードもないうちのことですから、読みたくても読めないです。ザマーミロです?
そういう紙とダジタル別売りの商売がうまくいくのか? ひとつの方法だとは思うけれど、あまりに自分を守る意識が強くて、誰からも相手にされていないようになりそうです。きっと世界のいろんな新聞社もいかにしてネットで稼ぐのか、頭を痛めているだろうけど、新聞紙面だけにしか情報がないという時代は終わりました。
そこを開いてくれたら、新聞社にたくさんの広告収入が入るという形があればいいのだけれど、それも期待できないだろうし、若い人たちが新聞から情報を手に入れようとしていないはずだから、ネット世界でも「新聞」という存在はマイナーな立場に追いやられるでしょう。
だとしたら、紙のメディアを大事にする。新聞記者の発信もしていかなくてはならないかもしれないけれど、A新聞を名乗るのであれば、ある程度会社の方針に沿わなくてはならないだろうし、会社も、個人の発信はいいが、社名を名乗ってはいけないとか、いくつかのルールを作らねばならなかったでしょうか。
残念ながら、ネットで話題になっているA者の政治部の人は、きっとエリート街道を歩いていて、たくさんの政治家たちとお近づきになり、人々と阿吽の呼吸もできているのかもしれない。
となると、どんどん世間からは離れてしまうのだから、常に自分の立ち位置を確認し、いかにして政治家の本質を語り、隠されてはいけないものを取り出し、人々(購読者たち)に、これは知らなくてはならない、私たちは行動しなくてはならないと、購読者の力にならなくてはなりませんでした。
政治家の気持ちを代弁したり、苦しい事情を忖度したり、助け舟を出したり、相手側を非難したり、そういうことは絶対にしては行けなかった。
私は、ろくにそれらのネットの内容を見ないで書いているけど、何だか上から目線であり、若いその人は、報道してやっている的な気持ちになってはいなかったかなと心配になります。
A社が、そういうヤツでも、将来はエリートだからと自由にやらせているというのであれば、私はM社に変えるかなと思ったりします。M社はかつて購読してた時、私はまあまあだったんですけど、うちの奥様には受けが悪かったなあ。今はどうなっているんだろう。中身がわかったら、替えてもいい感じはします。