自民党と立憲民主の総裁の選挙は、あと二週間もあるそうです。私たちはどっちにしても、誰が選ばれても、何も変わらないのに、延々とあの人たちの動向・発言・主張を聞かされることになります。時間の無駄だから聞かない、見ないというのが大事です。
たぶん、誰が何を言おうと、大抵のことは忘れてしまうでしょうし、そんなに実があるような気がしません。あの人たちも、新しい状況になれば、「すべては従来通りにやってしまえばいいのさ」なんて思ってるんだろうな。本当にあの人たちは守旧派です。でも、とりあえず、裏金党なんて相手にするのもイヤだな。自分のことしか考えてないのだから。
ニュースやあの人たちが出てくるたびに、時間の無駄だと思うだろうし、聞きたくないのです。でも、聞かされるから、イヤイヤ聞くのでしょうか。テレビを見ないに限ります。寄ると触るとあの人たちはわざとらしく述べ立てるでしょう。もともとしゃべりは得意ですからね。大した違いもないし、空約束ばかりなのに、何にも役に立たない奴らがニコニコと不気味な顔をしてしゃべる。もう怖いくらいです。
トランプさんは、先日のテレビ討論会、すでに元気をなくしていました。もう何を話しても、空虚な言葉しか出てこない、というのを実感したんでしょうか。その点は少し誠実だと思いました。何だか疲れていた。それでもあと二か月、彼は候補者というのを演じるだろうけど、もうあの元気のなさでは乗り切れるかどうか、ギリギリのところでしょう?
ふと、お仕事場に向かいながら、
「あれ、ここに太陽光発電のパネルが設置されてて、それを当たり前のことととらえ、自分たちのまわりの遊休地はどんどんパネルが設置される、それが合理的・経済的・有効である。正しいエネルギー政策の一環であると理解できる。けれども、本当にこれがどれだけ利用され、どれだけ発電量があり、どれくらい保持できるのか、耐用年数はどれくらいか、廃棄するときの太陽光バネルはどうなるのか、何も考えないで、ただ太陽光パネルだけが増えていくなあ、なんて自分は思わされているぞ。それを知らず知らず受け入れてるぞ」と思いました。
当たり前に存在している太陽光パネルの全体像、この本当のところはどうなっているのか? 太陽光だけではなくて、すべての再生エネルギーはどうなっているんだ? ああ、私は何も考えてなかった。エネルギーのこと、私はできたら原始人のように生きたいけど、どっぷりエネルギー漬けですもんね。
何もかも追認ばかりして、「今はこうなっているのだから、それは仕方のないことだ」なんてつぶやいている。全体も部分も見えてなくて、ただ現状を追認しているだけだった。
たくさんの追認、これらをストップして、本当にそれでいいのか? なあ、みんな考えようよ! 議論しようよ。なんて、呼びかけたいんです。でも、なかなかみんなでいろんな問題を議論し合うことって、ないんですね。みんな時間がないし、議論するよりも政府の策をとにかく、無条件に推進させようとか、経済的に物事を考えようとか、議論を拒否する人たちの声に負けてしまっていました。
そんな経済政策・公共工事ばかり優先させていたら、私たちの足元が崩れていた、なんていうことは起こるのではないか。私たちは小さな足場に立っていて、まわりは断崖絶壁。逃げ場はなし。どうしたらいいんだ。この足場が崩れ去るまで立ち尽くすだけなのか。安全に自分の命をつなげることはできないのか。知らない間に危機は迫っているのです。
現状追認の嵐がやってくる。私たちは否応なく認めさせられている。それでいいのか。そのまま行くのか。どうしたら、話し合えるのか。私たちは選挙しか手段を持たないのか。そうなんだろうか。
何もかも、偉い人たちに任せて、自分たちは、偉い人たちが作ってくれるレールに乗るだけなのか?
まさか、そんなことで世の中が進んでいくことはありません。人々が政治する人たちにすべてを任せていたら、歴史が教えてくれるように、何度も何度も失敗し、戦争し、破滅してしまうだけではないですか。
みんな前向きなことを口にしていた(ように見えた?)のに、知らず知らずに破滅するということもありそうです。だから、最低限の生活で、人を傷つけず、自分たちの生きられるペースで生きていくしかないです。追認はしません。すべてに疑問を持ちたい。これはこれで本当にいいのか? なんだかんだと文句を言っていきたいです。