門司港につきました。小倉から乗り換えて3つ目の駅でした。初めてここに降り立ちました。有名な駅舎は工事中でした。そうなんじゃないかなと思いつつ、とりあえず、健さんが「あなたへ」という映画で佐藤浩市さんと草薙剛くんに会った街でした。録画はしたけれど、全部は見ていないので、最後の方で健さんが2人に会い、そのあと平戸に行き、そこで佐藤浩市さんにつながる人に出会い、ふたたび門司港へもどってきて、それで映画は終わってしまうのでした。
だから、にわか健さんファンになった私は、門司港に行きたい気持ちがありました。下関と門司・小倉・北九州というのは、近そうで遠く、遠そうで、海底トンネルで歩いていけるらしいし、何とも不思議な距離感のあるところです。
ついその日の朝6時に、壇ノ浦サービスエリアから海峡ごしに眺めた九州側で半日を過ごし、あと少しだけこちらを観光したら、ふたたび小倉にもどって、そこから新幹線で帰ろうとしています。思えば長い一日でした。
もう観光モード・鉄道おたくに早変わりです。駅舎はシートに覆われているから、それでは九州鉄道記念館へ行こうと、そちらに歩いて行きました。
今は使われなくなった車両がタテにズラッと並んでいます。折角だから、1つずつ撮ることにしました。今は動いていないのだから、ただの記念ではありますが、撮っているうちにインスピレーションが起こるかもと、撮り始めます。ただ、やはり蒸気機関車は、止まってるところを撮ると、何だか味気なくて、一応撮ってみましたが、ただ撮っただけなので、貼り付けないことにします。
機関車だと思われます。
古い電車みたいで、なかなかスタイル的にもかわいらしい。こういうのを復活してくれたら、みんな喜んで乗りに行くんですが、外見だけこれにするというわけにはいかないのでじょうか。
その内部です。座り心地はどうなんでしょう。長時間は疲れるかも……。短時間だったらOK?
これは乗ったことがあるのか、ただのあこがれで、乗りたかっただけなのか、わかりません。意識したときには、もうあまり走っていませんでした。でも、この車両が駅のホームに現れたら、そりゃ、今でもうれしいです。内部はどんなだったんでしょう。
これは乗ったことがあります。大阪と鹿児島の寝台特急として乗ったことがあります。たぶん70年代後半かな。それから、一度だけ、結婚してすぐ急行きたぐにで、寝台車両に奥さんと2人で乗って、大阪から新潟まで乗りました。それがこの車両たちの晩年だったのでしょうか。80年代の終わり頃です。ああ、もう二十数年経っています。それからずっとこの電車たちとは距離を置いていたのですね。それでたまたま再会した。
これはもっと古い時代の寝台車両に使われていたもので、客車B寝台というやつでした。むかいあった座席に三段の寝床があって、うちの家族が鹿児島に行くときには、三段を使うので、向かい側には知らない人たちが入ることになりました。それで、あいさつだけは上手な母は、どこまで行くの? と訊ねて、どこどこまでと答えがあると、すぐに鹿児島モードに入り、あれこれ地元の話・大阪の話を一通りしゃべったものですね。
そういうのを微妙なお年頃に入っていた私は、もどかしいやら、気恥ずかしいやらで、知らんぷりして自分の寝床に逃げ込んだりしたものでした。父は、たいてい一番上の屋根につかえる狭いところに入り、辛抱しながら荷物をあっちへやり、こっちへやりしていたりしました。突然母は思い出したように、「お父さん、あれ取って」と、父に面倒な用事を頼むと、父は不平も言わず、軽やかに母の用事に答えるのです。
そういう役回りを父はちゃんとこなしていたのですね。今の私はどうでしょう。あまり家族でどこかへ行くということはないけれど、ちゃんと父のように、軽やかに「ハイ・ハイ」と、用事をこなしているのやら。少し父よりフットワークが重い気がします。折角思い出したんだから、見習わなきゃいけませんね。でも、もううちの子は大きいし、一緒にどこかへ行くということはあるでしょうか。あれば、そうします。
記念館も見学しましたが、残された時間が気になり始めました。
港の方へ移動してみます。
立派な、古そうな、港っぽい建物です。
海峡が見えました。ここで健さんたちは演技してたんですね。何だか夢のようです。今は冬だから、映画の中のイベントみたいなのはやってなかったけれど、春や秋なら、ここで何かイベントをしてくれたら、それはたのしいでしょうね。
海峡クルーズみたいな船もあったような気がしますが、これは私は全く無視しました。どうしてだったのか、あまり写真を撮りたくなかったのですね。それよりは、もっと土着の船が取りたかったのかもしれない。観光船は似たり寄ったりですから、もう心を閉ざして、完全に無視したようです。今気づきました。
だから、にわか健さんファンになった私は、門司港に行きたい気持ちがありました。下関と門司・小倉・北九州というのは、近そうで遠く、遠そうで、海底トンネルで歩いていけるらしいし、何とも不思議な距離感のあるところです。
ついその日の朝6時に、壇ノ浦サービスエリアから海峡ごしに眺めた九州側で半日を過ごし、あと少しだけこちらを観光したら、ふたたび小倉にもどって、そこから新幹線で帰ろうとしています。思えば長い一日でした。
もう観光モード・鉄道おたくに早変わりです。駅舎はシートに覆われているから、それでは九州鉄道記念館へ行こうと、そちらに歩いて行きました。
今は使われなくなった車両がタテにズラッと並んでいます。折角だから、1つずつ撮ることにしました。今は動いていないのだから、ただの記念ではありますが、撮っているうちにインスピレーションが起こるかもと、撮り始めます。ただ、やはり蒸気機関車は、止まってるところを撮ると、何だか味気なくて、一応撮ってみましたが、ただ撮っただけなので、貼り付けないことにします。
機関車だと思われます。
古い電車みたいで、なかなかスタイル的にもかわいらしい。こういうのを復活してくれたら、みんな喜んで乗りに行くんですが、外見だけこれにするというわけにはいかないのでじょうか。
その内部です。座り心地はどうなんでしょう。長時間は疲れるかも……。短時間だったらOK?
これは乗ったことがあるのか、ただのあこがれで、乗りたかっただけなのか、わかりません。意識したときには、もうあまり走っていませんでした。でも、この車両が駅のホームに現れたら、そりゃ、今でもうれしいです。内部はどんなだったんでしょう。
これは乗ったことがあります。大阪と鹿児島の寝台特急として乗ったことがあります。たぶん70年代後半かな。それから、一度だけ、結婚してすぐ急行きたぐにで、寝台車両に奥さんと2人で乗って、大阪から新潟まで乗りました。それがこの車両たちの晩年だったのでしょうか。80年代の終わり頃です。ああ、もう二十数年経っています。それからずっとこの電車たちとは距離を置いていたのですね。それでたまたま再会した。
これはもっと古い時代の寝台車両に使われていたもので、客車B寝台というやつでした。むかいあった座席に三段の寝床があって、うちの家族が鹿児島に行くときには、三段を使うので、向かい側には知らない人たちが入ることになりました。それで、あいさつだけは上手な母は、どこまで行くの? と訊ねて、どこどこまでと答えがあると、すぐに鹿児島モードに入り、あれこれ地元の話・大阪の話を一通りしゃべったものですね。
そういうのを微妙なお年頃に入っていた私は、もどかしいやら、気恥ずかしいやらで、知らんぷりして自分の寝床に逃げ込んだりしたものでした。父は、たいてい一番上の屋根につかえる狭いところに入り、辛抱しながら荷物をあっちへやり、こっちへやりしていたりしました。突然母は思い出したように、「お父さん、あれ取って」と、父に面倒な用事を頼むと、父は不平も言わず、軽やかに母の用事に答えるのです。
そういう役回りを父はちゃんとこなしていたのですね。今の私はどうでしょう。あまり家族でどこかへ行くということはないけれど、ちゃんと父のように、軽やかに「ハイ・ハイ」と、用事をこなしているのやら。少し父よりフットワークが重い気がします。折角思い出したんだから、見習わなきゃいけませんね。でも、もううちの子は大きいし、一緒にどこかへ行くということはあるでしょうか。あれば、そうします。
記念館も見学しましたが、残された時間が気になり始めました。
港の方へ移動してみます。
立派な、古そうな、港っぽい建物です。
海峡が見えました。ここで健さんたちは演技してたんですね。何だか夢のようです。今は冬だから、映画の中のイベントみたいなのはやってなかったけれど、春や秋なら、ここで何かイベントをしてくれたら、それはたのしいでしょうね。
海峡クルーズみたいな船もあったような気がしますが、これは私は全く無視しました。どうしてだったのか、あまり写真を撮りたくなかったのですね。それよりは、もっと土着の船が取りたかったのかもしれない。観光船は似たり寄ったりですから、もう心を閉ざして、完全に無視したようです。今気づきました。