このボブ・ディランのアルバム、1979年の9月に出ているそうです。すぐにかったのではないと思いますが、私としては割と素早く手を出したはずです。
今もうちにあるのだから、40年くらいあるわけです。家にあるアンプはしばらく使わないうちに、まるで音が出せなくなったので、残念ながら、プレーヤーはあるのに、スピーカーから音を出していません。
CDだってまともに聞かない日々ですから、そんなに問題はありません。それに、前にも書いたけれど、このアルバムはCDも買ってしまいました。
てっきりグラミー賞も取ったのだと思ってましたけど、これも記憶違いで、1980年はドゥービーブラザーズがアルバムなどの賞を取ったそうです。そのアルバムも持っていますけど、何だかそれらしく聞いてはいたけれど、今もう一度昔の気分で聞いてみろと言われても聞けません。
何が違うんだろう。一過性のものというか、その時だけの流行りであったようです。このあとドゥービーブラザーズも、みんなバラバラになってしまうんでしたね。
80年代、世の中的にはアメリカのAORというのか、ソフトで、メロウで、耳ざわりのいい、歌詞の分からないままに聞き流していた曲がいっぱい入ってきたんですよ。よくは分からないままに、私は受け入れ、これが今の流行りの曲とかいいながら、当時の彼女に聞いてもらいました。
彼女は、彼女なりの趣味があったと思われますが、そういうものは40年の歳月の間に消えてなくなりました。
時々、昔の曲が流れてきたら、ああ、これ昔聞いたね、くらいはコメントするでしょうけど、今も好きというわけではありませんでした。
私たちは、当然のことながら、その時の流行りの曲を追いかけていたわけですから、自分の好きなものではあっただろうけど、永遠に好きなのか、それはわかりませんでした。
一方、ボブ・ディランさんは、当時もそんなにわかったわけではないし、ムチャクチャ好きという訳ではありませんでした。
ただ、自分の守備範囲にはなかった曲なので、こんな音楽もあるのだととりあえず受け入れていました。
声もそんなに好きにはなれなかったし、歌詞カードを見るわけでもないし、一緒に歌うわけでもなかった。
だったら、どうして二枚もうちにあるのか?
それは、ディランさんが、当時の新進のギタリスト、ダイアーストレイツというイギリスのバンドのマーク・ノップラーさんをわざわざ呼んで、ギターのソロを弾かせてたりするからです。
それが不思議でならなかったんです。
ディランさんは、ギター一本でいろんな世界も作れるし、バンドを呼んできてレコーディングもするし、わりと好きなように音楽が作れる立場にいます。
今回はアコースティックだ! とか、今回はキリスト教を歌詞の中に取り入れてみようとか、スタンダードやフォークソングだけのアルバムを作ろうとか、自分のペースで着実に実績を重ね、支持を集め、今度はこんなアルバムを出したと、みんながワイワイ言ってもらえるすごい人でした。
よくはわからなかったけれど、「スロー・トレイン・カミング」は、ゆったりとしたペースと、いろんな個性のぶつかり合う、これも一つのリズム&ブルース、ゴスペルとか、アメリカの伝統音楽を踏まえた新しくて古い、古くて誰にもマネのできない音楽になっていました。
大事に聞かなきゃいけないから、カセットテープに録音したら、あとは誰にも貸さないで、自分ひとりでしみじみ聞くだけでした。
何度か聞くけど、よくはわからず、声のだみ声もいつしか慣れてきて、これもまた味と感じられるようになりました。
初期のディランさんの曲は、単調なのが多くて、何度もチャレンジしてもすぐに逃げ帰ってたのに、このアルバムはカセットを何回も聞けた。
何かが見つかったのではなくて、1980年のボブ・ディランの音楽にとにかく親しめたのです。
そして、3枚のベストや、他のアルバムにも入っていけましたし、音楽の人でノーベル文学賞といえば、まさか、他の人は取れないけれど、ディランさんも、そんなの要らないと思ってただろうけど、彼に取ってもらわないと、同時代の人間としても申し訳ないと、委員会の人たちももらってもらったようなところがありました。
そんなこんなで、最近の私は、ディランさんのベストの3を聞かせてもらってます。4が出たのかどうか、それは知らないんですけど、3は、ブログでも取り上げています。
クルマで聞いてても、ディランさんと一緒に歌えないのは残念なんだけど、ごねた声は出してるですよ。クルマの中でえせディランさんになってみたりして!