甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

桂林へいつか私も……

2018年11月10日 22時41分38秒 | Back To The 80's

 今日もたいしたことは書けそうにありません。テレビを見ていても、寝そうでした。あと何分起きていられるだろう。

 奥さんが見ていたテレビで、東山魁夷さんが中国に三度も取材旅行に出かけたという話を聞きました。東山さんが桂林で船に乗ってスケッチしているところも、見たことがあります。写真だったか、フィルムだっか……。きっと唐招提寺の鑑真さんの御影堂障壁画を依頼されたころだったんでしょう。何度も中国を取材されたんですね。

 たぶん、70年代の頃で、当時の私は、何にも考えていない、数学や理科の勉強がイヤでイヤでたまらなかった高校時代にあたるはずでした。

 東山魁夷さんは日本画家の大家だし、新潮新書で本も出していたし、うちの高校の先生もその本をお持ちだったように覚えています。テスト監督に来られた時に、チラッとその表紙を見て、ハッとさせられました。何か衝撃的でした。

 東山魁夷という画家さんが本を書いていることだったのか、古典の先生がそういう本を読んでおられたことだったか、先生の読書の一端を見せてもらったことだったか……。

 私は、画家さんの本を読むなんて、想像もつかなかった。画家の本なんてしゃらくさい、なんて思ったのかもしれない。高校の先生をされてると(教養人だから?)、そういう本を読むのだなと感心しつつ、自分には関係ないかと思ってた気もします。おバカのくせに変なプライドみたいなのがあったんでしょう。文学は自分だ! みたいな思い上がりがあったのかな……。

 そのころは、文学で生きるということも考えていました(画家がエッセイなんて、邪道だとか思ってたんだろうか? アホのくせに、才能がないくせに、何だか文学に一家言ある気分だった)。生意気で、不勉強で無知だったことでしょう。私のどこに語れる文学があったのか。ただの憧れでしかなかったくせに……。

 それから何年かして、東山魁夷さんの大ブームがやってきて、その流れに乗って、私も奮発して四千円くらいの画集を一冊だけ買ったように思います。とにかく流れに乗ろうとしていたんですね(そのうち邪魔だから、売り飛ばしてしまいました。二束三文!)。



 今、お金を出してあげるから、東京で東山魁夷さんの作品を見ておいで、と言われたとしても、たぶん、私は行かないと思います。

 技術的にも、人間的にも、作品的にも優れた方だと思うのですけど、何だかあまりに上手過ぎて、あまりに見事過ぎて、私が見なくても、たくさんの人が押し寄せるだろうし、たくさんの人々の支持を得て、今も絶大な人気を誇っておられるでしょうから、私は見に行かない。

 魁夷さんの描く桂林もステキで、絵も見事だと思います。鑑真さんとの縁があるというし(御影堂の障壁画がありますからね)、もうあと数百年後でも東山魁夷という人は語り継がれるかもしれない。それくらい国宝的な人なのに、ひねくれ者の私には、必要のない、あまりに見事過ぎる絵という気がします。



 つまらなくてもいいし、何を描いているのか分からない、形も不明、意味も不明、そんなでも、誰かに伝えたいと描いた素朴な絵の方が今はよくて、そういうのを支持しています。でき過ぎなのは今はいいです。また何年かして古典的な東山魁夷さんにもどってくるかな、私の関心は……?

 上手なものはいらない。

 つまらない、わけのわからない、具象的なもの、描けないかなあ。

 そうか、東山魁夷先生は、私の対極でした。私はヘタクソなオッサンでした。基本のできていない、わがまま時々絵描きでした。まあ、少しずつ基本へ近づこうと思います。

 
……こんなヘンテコな海老を描いて自己満足しているたんだから(これは中学時代かな)。


★ それからしばらくして、同僚が結婚して、新婚旅行に桂林に出かけたり、まわりの皆さんは、みんな中国に行ったことがあるというお話を聞いたりして、どこにも行けていないショボクレた私は、さらにショボクレの穴に閉じこもるのでした。

 もう何十年も経ったから、少しは冷静に見られるけれど、私にとって桂林は、遥か遠い場所です。行きたい気持ちはどこかにありますけど。(2019.2.10)



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