常任委員会視察2日目、宝塚市。
中川智子市長は、自然エネルギーを積極的に取り組むと明確に打ち出し、4月に「新エネルギー推進課」を新設。
ustreamで飯田哲也さんとのコラボで市長の取り組みをじっくり拝聴したばかり。
8月議会でも質問した。
今回の視察でもぜひ「新エネルギー推進課」の取り組みを聞きたいと希望を出したのだが、かなわず。
資料をいただいた。
本題の宝塚市「防災対策について」。
平成7年1月17日明け方の5時46分に発生した阪神淡路大震災。
すでに17年経ったが、私たち家族も奈良で地震を体験し、高速道路の横倒し、ビルの倒壊、神戸の火事の悲惨さを生々しく覚えている。
宝塚市でも被害が大きかったことは聞いていた。
新築マンションを買ったばかり、引っ越し前に震災が起こり、ローンだけが残ったという体験談も身近にはあった。
人口20万人のうち16000人が避難者となり、避難所は65か所開設された。
死者118人、負傷者2201人、建物の全壊3559棟、半壊9313棟、一部損壊14305棟。
しかし17年前に比べ職員数も200人減。
震災時在職した職員は半分近くも退職していて、当時を知る人が少なくなってしまった。
今同じような状況になっても、同じ対応ができるか自信がない、と正直な感想が述べられた。
これは東日本大震災でも大きな問題だった。
平成の大合併で職員が大幅削減されていたため、行政の対応が思うようにできないことが指摘されていた。
東日本大震災を経て、後方支援の重要性が認識されたが、宝塚市でも内陸の市と沿岸の市の連携強化を図るため、全国の自治体との連携を進めているという事だった。
宝塚市議会は「防災に関する特別委員会」を設置し、10項目の提言をまとめたという事だった。
その中には女性への配慮という事項も入っていた。
私からの質問事項は、
地域防災計画の見直しを行っているという事だが、女性への配慮という事項も挙げられているが、どう取り入れますか?
地域防災会議へは女性委員が4人入っている。
避難所の整備計画などに取り入れていきたい。
また、今後は女性の比率を上げたり、防災会議が形だけではない会議にしていきたい、
という事だった。
災害要援護者対策として、
65歳以上の独居、二人のみの高齢者世帯、要介護や障がい者対策について、名簿などをどのように管理していますか?
福祉部より毎月候補者リストは挙げられている。
民生委員や自治会長に名簿を渡してそれをどのように活用するか、モデル4地区で取り組まれており、審議会へ答申することになっている。
なかなか難しい問題だが、自治会によっては自分たちで行っていくという話も出ている、
という事だった。
どこでもこの名簿をめぐる問題はあるが、宝塚市の場合はマンションが多いので、佐倉市より大変かもしれない。
その他
まちづくり協議会を組織しコミュニティ意識を高めているが、年々震災の記憶は希薄になってきている。
「あんなに大きな地震があったんだから、当分は大丈夫でしょ」という声まで出ているほど。
市職員OBへ災害ボランティアの登録募集をしているという事で、佐倉市の部長さんたちはウンウンとうなずいていたが、なかなかなり手がないとのこと。
説明をいただいた都市安全部部長さんも、「震災後は市役所に泊まり込んで帰れず、大変な思いをしました」というほどで、知っているからこそ簡単にOKできないのでしょうね。
マンションの建て替えは7棟で、あとは修繕で済ませたそうだ。
そのうち、最後の建て替えがやっと3年前に終わったという事だった。
1世帯が住居に使っており、なかなか同意が得られなかったという事が長引いた理由だった。
建て替えは負の清算で、戻ってきたのは1世帯だけ。

宝塚市役所のホール。
広いホールにうずたかく被災援助物資が運び込まれたという事だった。

建物の周りにはバルコニーがめぐらされているが、この屋根のある場所に仮設お風呂が設置されたそうだ。

帰りの新幹線から。夕暮れ時の富士山。
中川智子市長は、自然エネルギーを積極的に取り組むと明確に打ち出し、4月に「新エネルギー推進課」を新設。
ustreamで飯田哲也さんとのコラボで市長の取り組みをじっくり拝聴したばかり。
8月議会でも質問した。
今回の視察でもぜひ「新エネルギー推進課」の取り組みを聞きたいと希望を出したのだが、かなわず。
資料をいただいた。
本題の宝塚市「防災対策について」。
平成7年1月17日明け方の5時46分に発生した阪神淡路大震災。
すでに17年経ったが、私たち家族も奈良で地震を体験し、高速道路の横倒し、ビルの倒壊、神戸の火事の悲惨さを生々しく覚えている。
宝塚市でも被害が大きかったことは聞いていた。
新築マンションを買ったばかり、引っ越し前に震災が起こり、ローンだけが残ったという体験談も身近にはあった。
人口20万人のうち16000人が避難者となり、避難所は65か所開設された。
死者118人、負傷者2201人、建物の全壊3559棟、半壊9313棟、一部損壊14305棟。
しかし17年前に比べ職員数も200人減。
震災時在職した職員は半分近くも退職していて、当時を知る人が少なくなってしまった。
今同じような状況になっても、同じ対応ができるか自信がない、と正直な感想が述べられた。
これは東日本大震災でも大きな問題だった。
平成の大合併で職員が大幅削減されていたため、行政の対応が思うようにできないことが指摘されていた。
東日本大震災を経て、後方支援の重要性が認識されたが、宝塚市でも内陸の市と沿岸の市の連携強化を図るため、全国の自治体との連携を進めているという事だった。
宝塚市議会は「防災に関する特別委員会」を設置し、10項目の提言をまとめたという事だった。
その中には女性への配慮という事項も入っていた。
私からの質問事項は、
地域防災計画の見直しを行っているという事だが、女性への配慮という事項も挙げられているが、どう取り入れますか?
地域防災会議へは女性委員が4人入っている。
避難所の整備計画などに取り入れていきたい。
また、今後は女性の比率を上げたり、防災会議が形だけではない会議にしていきたい、
という事だった。
災害要援護者対策として、
65歳以上の独居、二人のみの高齢者世帯、要介護や障がい者対策について、名簿などをどのように管理していますか?
福祉部より毎月候補者リストは挙げられている。
民生委員や自治会長に名簿を渡してそれをどのように活用するか、モデル4地区で取り組まれており、審議会へ答申することになっている。
なかなか難しい問題だが、自治会によっては自分たちで行っていくという話も出ている、
という事だった。
どこでもこの名簿をめぐる問題はあるが、宝塚市の場合はマンションが多いので、佐倉市より大変かもしれない。
その他
まちづくり協議会を組織しコミュニティ意識を高めているが、年々震災の記憶は希薄になってきている。
「あんなに大きな地震があったんだから、当分は大丈夫でしょ」という声まで出ているほど。
市職員OBへ災害ボランティアの登録募集をしているという事で、佐倉市の部長さんたちはウンウンとうなずいていたが、なかなかなり手がないとのこと。
説明をいただいた都市安全部部長さんも、「震災後は市役所に泊まり込んで帰れず、大変な思いをしました」というほどで、知っているからこそ簡単にOKできないのでしょうね。
マンションの建て替えは7棟で、あとは修繕で済ませたそうだ。
そのうち、最後の建て替えがやっと3年前に終わったという事だった。
1世帯が住居に使っており、なかなか同意が得られなかったという事が長引いた理由だった。
建て替えは負の清算で、戻ってきたのは1世帯だけ。

宝塚市役所のホール。
広いホールにうずたかく被災援助物資が運び込まれたという事だった。

建物の周りにはバルコニーがめぐらされているが、この屋根のある場所に仮設お風呂が設置されたそうだ。

帰りの新幹線から。夕暮れ時の富士山。