ドラマ「セクシー田中さん」脚本家は「苦い経験」ドラマ終盤は漫画家が脚本執筆「二度と繰り返されませんように」(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/346f37bfe901d26f16490e763c43a565de53a934
このリンク、これが悲劇の発生する前の記事だった。
個人への攻撃は厳に慎む様にという前に、個人(作家)が攻撃を受ける事態が横たわっている。
原作を題材にしたドラマはたくさんあるが、どう考えてもテレビ局サイドの地位の位置から原作をないがしろにしてもいいという臭いだけが伝わってくる。
山田太一氏の逝去、生方美久の出現で再び脚本に触れる時間が増えたが、オリジナルの持つ力は凄まじい。
置き換えると、原作の漫画の世界感や雰囲気は突き出たものがあったからこそ目に止まったのだろう。
そこで脚本家が作品の上に自分の個性をうわ塗ってしまう事態は想像に難くない。
難しいのは、作品としてもっと売れて欲しいという気持ちは、作品の雰囲気を変えてしまってもいいのかという手離れと同居出来るのだろうかという疑問。
映像化は本当に誉れなのか。
映画にも多い原作ありきの作品で、読んだものと違う感想が出る時、脚本というよりも監督の感覚で作品が出来上がっていることに気付かされる。
良い方に転ぶこともあるが、大半は作家ではない監督に完璧に拾って貰える状況は難しいのではないか。
例え大ファンであったとしても。
読者が一様に同じ感想を持ち得ないのと同レベルで。
作家は映像化を躊躇い、テレビ局はオリジナルを生み出すべき時代が始まったのだろう。
今回の悲劇は、この時代に何時からかあたり前になってきた、漫画原作ドラマの在り方を考え直させるきっかけになったのだ。
作品を愛する作家がたくさんいるのは当たり前のこと。
決して映画化してやる、ドラマ化してやるという態度で作品探しをしない様に変わっていって欲しい。
商業主義の行き過ぎは文化を歪にしてしまう。
分かんない、もう既に歪なのかも。手遅れかしら。
どんなものでも売れるが正解という世界が資本主義のエンジンだからね。
作家の荒む心との葛藤は犠牲でいいのかね。
本当かよ。
実は…娘の作品が映画化される時に心配しました。
出来上がった作品は、予想以上に良かったらしく、感謝したとのことです。
映画化、テレビ化は、やはり原作者を交えて作品通りにしないと
おそらく原作を知らない人は、後で、原作を読んでがっかりしたりする場合もあるでしょうね。
原作者との食い違いは、以前からもあったようです。
娘もそれは、気にしていたとのことです。
原作者は、締切に追われ、次から次へと展開させるのに、苦労していますし、
その作品に対して、取材、知識を得て、作っているのですから、
テレビ化、映画化は、なるべく原作者の趣旨に従って作品を仕上げてほしいと
思うのです。
それは良かったです。
今回の件で色々な作家さんが喰らってきた様々な嫌な扱われ方の情報ばかりが溢れてきているので、成功例は貴重です。
そうですよね~、締切に追われている今の週刊漫画の仕事ペースの上に、別のタスクをこなす。作品にはどっぷりに浸からないといけない状況ですから作品のクオリティや要求通りかどうかはとても気になる事項でしょうね。
そんな台詞ないとか、そんな感情で言ってないとかあると、確実に凹むだろうなと思っていました。