木啄(きつつき)も庵(いお)は破らず夏木立 芭蕉
を詠んだのが、雲巌寺。
大変立派な山門です。
仏頂和尚という方が、若い頃に修行した寺なのだそうです。この仏頂和尚さんは、江戸の臨川庵(現在の臨川寺)に滞在していた方で、芭蕉はこの方を師と仰いで、親交があったことから、おくの細道でも、この寺を訪ねて、仏頂和尚が山ごもりの修行をしたという庵を拝観しました。冒頭の句の庵は、その庵のことなわけですね。
訪れた順番は違うのですが、那須神社にも行ってきました。那須は、那須与一の出所というわけです。
これは、昼食をとった道の駅にあった像です。源平合戦のときに義経の軍で戦い、矢の名手だったんですね。(あ、皆さんご存じか)私は、名前聞いたことあるぞ、程度でした。すみません。この辺りから、源氏の軍として、壇ノ浦のほうまで行ったということが、すごいなと思っちゃいます。馬は、車と同じくらいの速度で走ると思えば十分可能か・・。
芭蕉にしても、那須与一にしても、車がなければ、それはそれで当たり前なのですよね。
を詠んだのが、雲巌寺。
大変立派な山門です。
仏頂和尚という方が、若い頃に修行した寺なのだそうです。この仏頂和尚さんは、江戸の臨川庵(現在の臨川寺)に滞在していた方で、芭蕉はこの方を師と仰いで、親交があったことから、おくの細道でも、この寺を訪ねて、仏頂和尚が山ごもりの修行をしたという庵を拝観しました。冒頭の句の庵は、その庵のことなわけですね。
訪れた順番は違うのですが、那須神社にも行ってきました。那須は、那須与一の出所というわけです。
これは、昼食をとった道の駅にあった像です。源平合戦のときに義経の軍で戦い、矢の名手だったんですね。(あ、皆さんご存じか)私は、名前聞いたことあるぞ、程度でした。すみません。この辺りから、源氏の軍として、壇ノ浦のほうまで行ったということが、すごいなと思っちゃいます。馬は、車と同じくらいの速度で走ると思えば十分可能か・・。
芭蕉にしても、那須与一にしても、車がなければ、それはそれで当たり前なのですよね。
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