『べらぼう』は江戸時代中期から後期なのかな。楽しみです。
主人公が吉原の生まれ育ちなので、しょっぱなから吉原。私が子供のころは、大河ドラマ親子で観てたけど、そうじゃない。子供は視聴者の対象ではないのだと思いました。昨年の「光る君へ」の濡れ場(?)もそう。と思えば、吉原、OKです。ただ、死んだ遊女の遺体のシーンは、物議をかもしてます。たしかにあれは、別の撮り方があったのではと思います。しかも、その撮影をめぐって、子役が見てたとか、子役が言った言葉がSNSに流れてきたもので、これはダメだなと思いました。
吉原、行ったことあります。随分前ですが、浅草を吟行したときに、吉原が近いという話題になり、「行く?」と近辺に詳しい方が連れていってくださいました。普通の道路です。ここに大門があったと伺い、へえー。そしてでも歩いていると、女性専用マンションがやたら目につきます。一階は風俗店らしき店構えの建物もあり、そこに黒塗りの車がどんとあって、スーツ姿の若い男性が数人立ってます。「あの人達何してるんですか」「客引きでしょ」えー、昼の2時くらいですよ。
あちらはあちらで、このおじさんおばさんは、何だと思っていたことでしょう。一人では通りたくない道でした。つまり、形は変わっても、残ってるんですよ。
おっと、「べらぼう」と『家守神』について書こうと思ったけど、長くなったので、明日にします。
私はお歯黒どぶの石塀が未だ残る、この街で生まれ育ちました。
幼い頃は五十間通(衣紋坂)には様々な商店があり賑やかでした。衣紋坂は鷹狩りの将軍様が直接目にしないようにS字の道にしたと言われています。
最後の引き手茶屋「松葉屋」には、平成まではとバスの観光客(当時は欧米人中心)が毎夜訪れて、花魁ショーを観にきていました。その客に冷やかしされていた実家の酒屋も近日暖簾を下ろすことに。
祖父が書き遺した「見返り柳」の石碑は現存で、これからも吉原を見届けると思います。
>私、「べらぼう」を観ながら、不埒さんのこと、思い出してました!!
見返り柳の碑、おじい様の書だとは!!
書いてほしいなあ。