うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

独走デイ

2022年09月04日 | カズコさんの事

かずこさんの

デイサービス・デイが決まった。

 

おはようございます。

毎週金曜日に通うことになった。

初日は、お迎えのバスではなく、私が送ることにした。

当分の間は、そうなるかもしれないし、

施設を早退することもあるかもしれないし、行きたがらなくなるかもしれない。

私は、そうなっても、決してガッカリしないように、

かずこさんを責めたりしないように、

今からイメージトレーニングをしようと思っている。

最低最悪パターンをイメージするのだ。

 

そうだなぁ。

かずこさんが、施設で暴れて暴言を吐き、

慌てて迎えに行ったら、とても陽気だったはずの、あの女性職員さんが、

見たこともないような悲惨な表情を浮かべて立ち尽くしている。

そんなイメージをしておこう。

私は歩きながら流れるように、土下座しよう。

まるで、人間の進化を遡るように、

玄関のホモサピエンスは、スリッパを履くついでに北京原人へもどり、

かずこの元へ辿り着く頃、アウストラロピテクスに遡り、

猿のように跪く。

完璧だ。完璧なイメージだ。

よし、やれる気がして来た。

 

たかがデイサービス、されどデイサービスだ。

私には我が子がいないから分からないが、

我が子を初めて保育園へ預ける母親の気持ちと似た心境なのかもしれない。

そして、どんどん分からなくなってくる。

どうして、かずこさんをデイサービスに行かせようとしているのか?

という、根本的な所で迷子になっているのだ。

 

ボケて何が悪いんだろう?

かずこがボケて、何が困るって言うのだろう?

人は、野生では生きられない。

ありのままで生きることが難しいということだ。

人間だって動物なのに、野生という言葉が最も似つかわしくない。

 

老い痴れて、片乳を放り出し、道を歩きながら便を垂れ流していたら、

何がどう、いけないというのか。

その人が、訳は分からなくとも、笑っていて、

凄く楽しいそうでいるのなら、それでいいんじゃないだろうか。

少なくとも私が、かずこさんに望んでいることは、

社会の中で行儀よく収まってくれていることじゃない。

かずこさんが、楽しくて笑っていられて、

時々、痛い苦しいがあったら、適当な薬でも飲んでみて、

それでもダメなら、少しでも心が和らぐように、

美しい極楽の話を聞かせて、最期まで極楽の夢を見ながら眠って欲しい。

 

などと、現実的じゃない、呑気な夢を見ているのは、私のほうだな。

そんな妄想めいた夢を頭の片隅に潜めつつ、

社会のルールにのっとったうえで、

かずこさんの今後がいい感じになれば、幸いだ。

きっと、私の心配も社会も秩序も何もかも、かずこさんならぶち破れる。

ぶち破って、どういう訳かうまい具合になって、

そうして、かずこさんはしたり顔で笑うのさ。

あの人は、自分の野生を決して捨てない。

だから迷子になどならないから、きっと大丈夫だ。

 

さて、我が家のちびっ子チンピラも、

相変わらず、独走している。

のん太「ちょっと、違う気がするんら」

何が違うの?

 

のん太「ちゅごく、ずれてる」

えぇっ?

 

のん太「こうちて」

 

のん太「ほいちょ、こうちてやるんら」

 

のん太「よち、完璧ら!」

ちゅごく、ずれてまちゅけど~?