8月になると、
あちらこちらの道端に、白いユリをよく目にした。
おはようございます。
9月になり、白いユリはすっかり枯れていた。
調べてみると、
あれは、タカサゴユリというらしい。
外来種だそうだ。
庭に咲くなら許されるが、外に咲く花はよそ者扱いになる。
まるで、猫と似ている。
我が家にいる白い猫は、大元は会社付近で暮らした野良猫のおかげだ。
当時私は、その野良猫をシロと呼んで、追いかけ回していた。
白くて美しい雌猫だったからではない。
会社付近で、子猫を産んだからだ。
シロに避妊をしてもらうべく、私はまず、餌付けを始めた。
彼女は、そもそも飼い猫だった猫だ。
引っ越しのついでに捨てられた訳で、生粋の野良猫じゃない。
だから私は、
「もう一度、人間を信じて。」
と願いながら、毎日餌を持ってシロを探した。
避妊をしてもらうからには、シロの一生を保証する。
私にとって、それは最低限の誓いだった。
実際、シロは人間とのコミュニケーションを知っていた。
「シロ」と呼ぶと、小さく鳴いた。
まるで、育ちのいい純血種みたいな声だった。
しかし、距離は一向に縮まらないまま、1年過ぎた。
毎日、餌を用意しても、シロが私を訪ねてくるのは、週に2度ほどだ。
それ以外の日は、おそらく他のどこかで糧を得ていたのだろう。
その1年の間に、シロが産んだ子猫の中に、、我が家のおたまがいた。
餌については、私を最優先に頼ってくれないくせに、
シロは、どういう訳か、我が子の中から、おたまを私に渡した。
そう、私はあの時、シロに託されたっと感じたのだ。
見た目可愛い子猫だったが、これがなかなか子猫の頃から
すでに気難しい猫だった。
おたまを託されたのは、10月の良く晴れた日だった。
その翌年の夏も、シロは3匹の子猫を産んだ。
けれど、2週間過ぎた日、道に散った。
灰色のアスファルトの上に横たわるシロは、
まるで、子供の悪戯で、道に打ち捨てられた白ゆりみたいだった。
不思議なことに、シロが死んだ、あの年だけ、
シロの縄張りだった駐車場の片隅の高台に、白いユリが一輪だけ咲いた。
それは、まるで見慣れた風景に見えた。
高台からジッと目を逸らさず私を見る、シロの姿のようだったからだ。
私は、そのユリの前で、手を合わせて誓った。
「シロの最後の子猫達は、必ず幸せにします」と。
あの時の3匹は、
まだ歩けもしない幼い子猫だったから、シロが死んで間もなく難なく保護できた。
今でも、我が姉の家で、幸せに暮らしている。
2匹は、シロによく似た真っ白で美しい猫、残りの1匹は黒猫だ。
けれど、シロとの付き合いの中で、保護しきれなかったシロの子は何匹もいた。
のん太やたれ蔵は、その生き残りの血を引いているに違いない。
猫は、外にいれば野良猫だ。
けれど、彼らだって美しい猫だ。
そして、白いゆりは、庭に咲く時だけ美しく見えるのだろうか。
私は、白いゆりが枯れていく姿を見ると、
すこし、皮肉めいたことを考えてしまう。
さて、我が家の白い猫達は
のん太「あっ、かかぁら!」
ねえ、そこ大丈夫?
落ちないかしら?
のん太「かかぁ・・・かか・・」
こっちは
おたま「あっ、おばちゃんだ。」
う、うん。
おたま「よぉ!」
よ・・・よぉ?!
どっちも変な恰好しがちなのは、シロの血か?