中秋の名月は
結局、見つけることが出来なかった。
おはようございます。
その代わりに、昨夜の月を見上げていた。
やっぱり、ベランダからでは見つけられないのだ。
外へ出なければ、月とは会えない。
かずことも会えない訳だ・・・。
昨夜は、酔い潰れたかずこを抱えるために、外へ飛び出した。
父さんからの
「おぉ、SOSだ。」という電話に
「あいよ。」と答える。
もはや、山と言えば川のごとくだ。
私は、吞みたきゃ好きなだけ吞めばいいと言っているのだから、
これでいいのだ。
大きな月と出会えたから、なおいい。
私は家に戻るなり、
「ねえ、月が凄いよ。」
と、興奮ぎみに言うと、男は
「そうでしたか。かずこさんは大丈夫でしたか?」
と、心配そうな声で聞いた。
私が、こくりと頷くと、今度は、
「昨日から迷い込んでいた虫を、やっと逃がしてやれましたよ。」
と言って、男は微笑んだ。
男の声と微笑みは、いつだって月のように優しい。
母がボケて以来、私の休日のほとんどは、母との時間に費やしている。
それは、実は私だけではない。
男も同じように、かずこさんとの時間を過ごしている。
「かずこさんとお買い物して、ランチ食べるけど、貴方も行く?」
そうラインを送ると、男は決まって、
「行きますよ。」
と返信してくるからだ。
「じゃ、準備して、私の車に集合ね。」
私とかずこさんは実家から、男は家から車へ向かう。
私とかずこさんが先に車内で待っていると、男はやってきて、
控えめに手を振り、それに応えるように、かずこさんも手を振る。
運転するのは、決まって私の役目だ。
運転しながら、3人で「どこ行こうか?」「何食べたい?」という会議が始まる。
そして時々、父の話をする。
「あの人が来ると、せっかちやからな~。」
「そうそう、ゆっくり見て回るってことが、できんもんね~。」
と、悪口に似ているが、気にはかけているのだよいう証明のように、父の話を出す。
買い物中でも、外食中でも、会話は続く。
小さな置物を前に、3人であーだこーだと議論は尽きない。
「これ、なんやろ?」
「これは・・・なんだろね?」
「キリンの置き物ですね。キリン。」
「なんで、キリン?」
「何のために?」
と、結局大笑いして、買わないという迷惑な客だ。
そんな中、
かずこさんの「トイレ!」は、不意に突然やってくる。
そして、ボケ老人のトイレは、付き添いが必要だ。
一人では、行けても帰ってこられないからだ。
レジに並んでいる最中などには、男が付き添うことになる。
「はい、かずこさん、こっちこっち、行きましょう。」
と、慣れたものだ。
そして、2人とも帰ってこない。
2人なのに、帰ってこない。
代金を払い終え、どうしたことかと探しに行くと、
パン屋の前で、パンを眺める、男とかずこさんを見つけた。
私は、しばらく、その光景を遠くから眺めていた。
男の両親は、既に他界している。
お父さんが先で、その5年後、お母さんの順だった。
お母さんの他界を機に、夫婦のお骨を並べて、お寺に預けた。
私は、男とかずこさんを眺めながら、
お骨のひとかけらを、家に残しておけばよかったと、少しばかりの後悔をして、
それを払うように歩き出し、声を掛けた。
「ねえ母さん、パン、買う?」
「買わん。」
と即答するかずこさんに、
「なんじゃそりゃ!」とズッコケる私。
その間に立つ男に目をやると、男はやっぱり、月のように優しく微笑んでいた。
ありがとう。
ごめんね。
と、我が家のあやさんも、
お手伝いしてくれるのは嬉しいけども・・・
退いて!
あや「はいはい、分かりましたよ~」
いや、違う。
退いて!
あや「まったく、しょうがないわね。」
いや、あの・・・。
ところで、男の靴下、どれもこれも、片方が裏返しって、どうよ?
あや「そのまま、畳んでしまえばいいのよ~」
そっかそっか、そうだよね~。
おじさんよ、ありがとう。ごめん。