年を追うごとに、
可愛いものに心惹かれていくのは、なぜだろう。
おはようございます。
若い頃は、まるで魔女だった。
しかも、使っていたのは黒魔術だ。
というくらい、闇が似合う服装を好んだ。
露出狂のカメレオンみたいな時代もあったが、
落ち着くのは、全身真っ黒な装いだった。
『カッコいい』に憧れていた。
そんな私も、30代で、黄色のカーディガンを着てみたり、
ギンガムチェックのワンピースを着てみたりした。
髪も、「どうしたの?爆発事故に巻きこまれたの?」と思われるような、
パーマネントを掛けてみたりした。
あの時、私は美容師さんに、
「欧陽菲菲にしてください。」
とオーダーした。
イメージは、ワッフルヘアーのアメリカの女の子だったが、
どう伝えればいいか分からず、欧陽菲菲と言ってしまった。
40代になり、今度は米倉涼子に憧れて、
「米倉涼子さんみたいなボブにしてください。」と
オーダーした。
長い髪をばっさり切るという、かなり覚悟したオーダーだ。
ところが、その美容師だんが、
「ボク、テレビ観ないから、その人知らない。」
と言うではないか。
私は焦った。
焦り過ぎて、『ヘアーカタログ』ではなく『女性自身』を手に取ってしまった。
『女性自身』の中から米倉涼子を探したが、そんな時に限って、
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの米倉涼子の写真が見つからない。
その代わりに、別の有名人の写真を見つけ、
私は、それを美容師に見せて、オーダーした。
「IKKOさんにしてください。」と。
こうして私は、米倉涼子ばりのボブではなく、
IKKOばりのおかっぱになったのだった。
知らず知らずのうちに、IKKOさんのお洒落にも感化されていき、
色鮮やかなバッグなどを持ってみたりした。
けれど50になり、また髪を伸ばしている。
それを頭の上の方で丸めているのが常だ。
だからか、先日、弊社のドライバーさんに
「おかっぱちゃん、サザエさんのお母さん(フネさん)に似てるね。」
と言われた。
だからといって、和服を着ようとは思わない。
普段から、和服を着る生活には、憧れているが難しい。
今、私が現実的に「これ、可愛い」と思える洋服は、
気付けば、どれもこれも、大屋政子さんが着ていたようなワンピースだ。
どういう訳か、『やたらめったら可愛い』タイプのものに、
自分のアンテナが反応してしまう。
苺模様のワンピースなんて、お財布の中身が足りていたら、即買いするところだった。
家の中も、少しづつ、可愛いものが増えてきた。
私の暮らす家の理想は、シンプルを越えて、『もぬけの殻』だ。
そこは今も変わらないはずだが、
先日、100均でブランコを見つけたから、
こうして、カエルちゃんとうんこのネズミを飾っている。
「可愛い、うふふ、可愛い」とか言っちゃってる。
だから、たれ蔵も
どうしようもなく可愛いと思ってしまうのだろうか?
歳のせいなのだろうか?
たれ蔵は、まるで現実には存在していないように思える。
間違いなく、いる。
けれど、たれ蔵との時間は、現実味を帯びていない。
現実と夢の狭間にいるみたいな気持ちになり、
現実を確かめるために、たれ蔵に触れると、
その被毛は、信じられないくらい、滑らかで柔らかだ。
それはまるで、清流の緩やかな流れのようで、丘に吹く優しい風のようだ。
たれ蔵!
たーれぞっ!
たれちゃん?
たれ蔵「ぴー」
うふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ
あっ、そうそう。
トイレのマット、替えました。