うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

我が家にショートステイ

2022年10月04日 | カズコさんの事

父さんは、

ついにブチ切れた。

 

おはようございます。

金曜日から始まった、かずこさんの興奮は、土日も収まらない。

連れ出して、たくさん歩かせて、疲れていても、

かずこさんの唇は止まることが無い。

あること無いこと、妄想を交えた、支離滅裂な攻撃的な言葉で、

空気中が埋め尽くされていく。

 

とはいえ、

日曜日には、そろそろいい感じに仕上がって来たと思っていた。

「楽しかったね。」

と声を掛けると、

かずこさんの強張っていた表情も和らいでいるように見えたからだ。

けれど実家へ帰して2時間後、かずこさんが我が家へ来た。

父に、

「一言でもしゃべったら出ていけ。顔も見たくない」

と、追い出されたようだ。

かずこさんは、しょんぼりしているというより、ショック状態に似ていた。

実家へ電話してみると、父はブチ切れていた。

「電話帳がないから、ちょっと怒っただけだ。

なんでもかんでも、あいつが全部、どっかへしまい込むからだ。

ちょっと怒っただけで、凄いんだぞ?

本性が剥き出しになるんや。あいつの本性が酷すぎる。」

私は、そんな父に、とても冷静な声で、

「人間なんて、一皮抜けば、そんなものよ。

現に今、父さんの剥き出された本性も、酷いものよ。

認知症でもないのに。」

と言ってしまった。

私は、父には何も言わないようにしていた。

父を見ていて、「あぁぁ、それ、認知症の人にやったらいかん」と

思うことは多かった。

父にはアルツハイマーの知識はある。本も何冊か読んでいる。

けれど父は、自分を変えるということ、他者を受け入れるということが、

そもそも苦手な人種だ。

苦手なことは押し付けられない。

けれど、この時は、吐き捨てるようなことを言ってしまった。

本当に、人間なんてこんなものだと、自己嫌悪した。

誰だって、苦手なもんは、苦手なのだ。

 

ということで、

私は気を取り直して、得意なことをすることにした。

「かずこさん、酒盛りするで~!」

どうせならばと、冷蔵庫にしまっておいた、

お高い日本酒を、ワイングラスで乾杯だ。

 

「いえ~い、かんぱーーーーい」

 

かずこ「ぷは~」

 

猫らは、どういう訳か、かずこさんを怖がらない。

頻繁に来る訳でもない母を、まったく恐れず、

むしろ、久しぶりの再会を喜ぶように、母に撫ぜられる。

来客が最も苦手なあやでさえ、かずこさんに、あの大きな尻を押し付ける。

我が家のおじさんは、かずこさんのよく分からん話にも

穏やかな相槌を打ちながら付き合っている。

かずこさんは、時々、

「わし、これからどうしようかのぉ。どこへいこうかのぉ。

仕事を見つけんといかんのぉ。」

と、淋しそうに呟いていた。

 

父が薄暗い実家で、孤独にやけ酒をしている頃、

我が家は、人畜まみれて賑やかな酒盛りだ。

私は、可哀想だなっと思った。

父さんを思うと、可哀想だと思った。

そして、カメラを向けると、おどけて見せる母も、可哀そうに思えて、

笑っているのに、泣きそうになる自分に気付いた。

もう少し笑うと、泣きそうになると思い、笑い声を抑えた。

 

2時間経った頃、かずこさんが欠伸をしたのをきっかけに、

我が家の酒盛りは終わった。

かずこさんを、おじさんのベッドに寝かせ、

私とおじさんはリビングでごろ寝だ。

それでも、まだ、かずこさんの息のような声が聞こえる。

かずこさんは、何十年も実家以外の場所で眠ったことがない。

「やっぱり、眠れんのかね?」

と、小声で呟きながら、おじさんと寝室を覗いて、

私達は同時に、

「あら~ん」とため息が出た。

 

横たわる、かずこさんの体に寄り添う、おたまがいたからだ。

「ありがとな」

私は、声に出さずに言った。

 

これから、どうなるんだろう?

そう考えると泣きそうになった。

相変わらず、寄り添い続けるおたまに、安心して眠りに就いた母に、

壊れそうになりながら踏ん張らんとする父に、

「これからずっと、ここで暮らしてもらってもいいんじゃない?」

と言う我が家のおじさんに、

不安で有難くて、切なくて微笑ましくて、感情はぐちゃぐちゃになった。

 

結局、今回は乗り越えることが出来た。

月曜日、私は仕事を休んで、かずこさんとちょっと旅をして、

何も無かったかのように、実家へ帰った。

父も、何も無かったように、かずこさんを出迎えた。

やれやれだ。

 

私は、人に「可哀想」と思うのは、躊躇いがある。

まるで、上から目線のような気がして、躊躇うのだ。

けれど、可哀想という感情は、きっと大切だ。

自ずと湧き上がる「可哀想」という感情は、時に私の心に水を与える。

夜の9時、電話を掛けてきた父は、

「今夜は、SOSじゃないぞ。今夜のババは機嫌よく呑んどる。ありがとな」

と非常にご陽気な様子で言った。

かずこさんの笑い声も聞こえてくる。

私は、そこでようやく、与えられ貯めていた水を、涙として流した。

 

おたまも、ありがとな。

おたま「おらは、別に何もしてないだ。」

うん。

ありがとう。