うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

命日が近いから

2022年10月08日 | うんこの事

『猫が、世界で一番好きな人にだけする仕草、4つ』

というネット記事を読んだ。

 

おはようございます。

その2つ目か3つ目に、

『プレゼントをくれる』と書いてあった。

そういえば、うんこは、

大事にしていたネズミのぬいぐるみを、よく持って来てくれたなぁ。

そのネズミのぬいぐるみは、まだ幼い頃のうんこに最初にあげたオモチャだ。

うんこだけの専用のオモチャは、それだけだった。

そのネズミさんを大事に持っているから、それ以外必要なかったんだ。

うんこは、そのネズミを、生涯大切にした。

 

そうか・・・あれはプレゼントだったのか。

でもきっと、うんこは、

「母さんに、あげる」ではなく、「貸してあげる」だったのだろう。

そして必ず、「あとで、うんちゃんに返してよ、母さん!」と思っていた気がする。

そうだ、そうに違いない。

そんなちゃっかりなうんここそ、私の自慢のうんこだ。

 

うんこが逝って、もうすぐ一年になる。

ようやく、一年経つ。

けれど、私は命日当日に、うんこの事はきっと書けない。

とても書けない。

まだ、書けない。

可笑しな話だけれど、命日だけは、あの子のことは思い出したくない。

「うんこが死んだ」という現実を、私はいまだ、確かめられないでいる。

自分でも信じられないけれど、そんな心境だ。

 

だからといって、後悔はしていない。

あの猫と出会ったことも、過ごしたことも、死んだことも、

どこにも後悔なんて、していない。

出会えて良かったし、共に過ごせて良かったし、

最後の最期まで、生き抜いてくれたじゃないか。

あれで良かったんだよ、うんこ。

さすが、私の自慢のうんこだ。

 

けれど、

私の心に空いた、うんこ分の穴は埋まらないままだ。

大きな猫だっただけに、穴も大きい。

きっと、もう少し時間が必要なのだろう。

もう少し、うんこのいない今を過ごしながら、

ひとつ、ふたつと、慎重に過去を思い出し、

大きな穴は、その思い出が埋めていってくれるに違いない。

だって、うんこは、

私の心の穴を埋めるには、充分過ぎるほどの思い出を残していってくれたのだから。

ちゃんと、たくさん、残していってくれたんだ。

 

ということで、今日は、

『うんこ、子守りの歴史』にお付き合いください。

沢山、あるで~。

あり過ぎるから、2015年オセロ3兄妹編は、載せきれんかったです。

 

「うんこ、初めての子守り」

無双のお転婆あやの子守りが、うんこにとっての初めてだった。

擦り傷をいっぱい作りながら、痩せる思いで頑張ったけれど、

1グラムたりとも痩せなかった、うんこさん。

 

「おたま、うんこ山制覇」

2匹目は、おたまだ。

とにかく、やたらめったら乗っかられていた。

これ以来、子猫は漏れなく、うんこを山のように登ることとなるが、

うんこが、一度でも、それを叱ったことは無い。

 

「現役は引退」

2015年のオセロ3兄妹の時、

うんこは、子守りを、おたまとあやにバトンタッチした。

来る子は遊んでやるが、積極的には関わらないようになった。

保護猫まこの時も、あくまで見守りに徹していたけれど、

まこさんは、うんこと遊ぶのが一番好きだった。

 

「ここは、うんちゃんに任せて!」

たれ蔵を保護した頃、同時によねの闘病のクライマックスでもあった。

うんこは、それをちゃんと理解していた。

だから、長らく子守りを引退していたはずが、現役に復帰したのだ。

「母さん、この子は任せて。」

そう言わんばかりに、たれ蔵を積極的に世話してくれた。

うんこに任せておけば、何も心配はなかった。

 

「うんこ、最後の子守り」

これは、しおちゃんかな?

たれ蔵の2か月後に来た3匹だ。

この時も、甘えたい盛りのたれ蔵を、しっかり面倒見ながらも、

赤ちゃん猫達を、温かい目で見守っていたね。

 

「この子、たれちゃんと似てるわね~うふふふふ」

この子は、こしょうだ。

 

うんこは、生前10匹の子猫を子守りしたことになる。

小さすぎる子猫も、酷く汚れた子猫も、「う~」と唸る子猫だって、

うんこは決まって、穏やかに優しく迎え入れた。

 

「ヘローうんちゃんよ。大丈夫。安心して。」

そして決まって、うんこの大事なネズミさんを子猫に貸してやった。

そう、あくまで貸してあげたのだ。

だから、

我が家にやって来た子猫達にとって、

初めてのオモチャは、うんこのネズミさんだったという訳だ。

あれはきっと、

うんこが、ネズミさんを初めて咥えた時の気持ちを、プレゼントしてあげたのだろう。