『猫が、世界で一番好きな人にだけする仕草、4つ』
というネット記事を読んだ。
おはようございます。
その2つ目か3つ目に、
『プレゼントをくれる』と書いてあった。
そういえば、うんこは、
大事にしていたネズミのぬいぐるみを、よく持って来てくれたなぁ。
そのネズミのぬいぐるみは、まだ幼い頃のうんこに最初にあげたオモチャだ。
うんこだけの専用のオモチャは、それだけだった。
そのネズミさんを大事に持っているから、それ以外必要なかったんだ。
うんこは、そのネズミを、生涯大切にした。
そうか・・・あれはプレゼントだったのか。
でもきっと、うんこは、
「母さんに、あげる」ではなく、「貸してあげる」だったのだろう。
そして必ず、「あとで、うんちゃんに返してよ、母さん!」と思っていた気がする。
そうだ、そうに違いない。
そんなちゃっかりなうんここそ、私の自慢のうんこだ。
うんこが逝って、もうすぐ一年になる。
ようやく、一年経つ。
けれど、私は命日当日に、うんこの事はきっと書けない。
とても書けない。
まだ、書けない。
可笑しな話だけれど、命日だけは、あの子のことは思い出したくない。
「うんこが死んだ」という現実を、私はいまだ、確かめられないでいる。
自分でも信じられないけれど、そんな心境だ。
だからといって、後悔はしていない。
あの猫と出会ったことも、過ごしたことも、死んだことも、
どこにも後悔なんて、していない。
出会えて良かったし、共に過ごせて良かったし、
最後の最期まで、生き抜いてくれたじゃないか。
あれで良かったんだよ、うんこ。
さすが、私の自慢のうんこだ。
けれど、
私の心に空いた、うんこ分の穴は埋まらないままだ。
大きな猫だっただけに、穴も大きい。
きっと、もう少し時間が必要なのだろう。
もう少し、うんこのいない今を過ごしながら、
ひとつ、ふたつと、慎重に過去を思い出し、
大きな穴は、その思い出が埋めていってくれるに違いない。
だって、うんこは、
私の心の穴を埋めるには、充分過ぎるほどの思い出を残していってくれたのだから。
ちゃんと、たくさん、残していってくれたんだ。
ということで、今日は、
『うんこ、子守りの歴史』にお付き合いください。
沢山、あるで~。
あり過ぎるから、2015年オセロ3兄妹編は、載せきれんかったです。
「うんこ、初めての子守り」
無双のお転婆あやの子守りが、うんこにとっての初めてだった。
擦り傷をいっぱい作りながら、痩せる思いで頑張ったけれど、
1グラムたりとも痩せなかった、うんこさん。
「おたま、うんこ山制覇」
2匹目は、おたまだ。
とにかく、やたらめったら乗っかられていた。
これ以来、子猫は漏れなく、うんこを山のように登ることとなるが、
うんこが、一度でも、それを叱ったことは無い。
「現役は引退」
2015年のオセロ3兄妹の時、
うんこは、子守りを、おたまとあやにバトンタッチした。
来る子は遊んでやるが、積極的には関わらないようになった。
保護猫まこの時も、あくまで見守りに徹していたけれど、
まこさんは、うんこと遊ぶのが一番好きだった。
「ここは、うんちゃんに任せて!」
たれ蔵を保護した頃、同時によねの闘病のクライマックスでもあった。
うんこは、それをちゃんと理解していた。
だから、長らく子守りを引退していたはずが、現役に復帰したのだ。
「母さん、この子は任せて。」
そう言わんばかりに、たれ蔵を積極的に世話してくれた。
うんこに任せておけば、何も心配はなかった。
「うんこ、最後の子守り」
これは、しおちゃんかな?
たれ蔵の2か月後に来た3匹だ。
この時も、甘えたい盛りのたれ蔵を、しっかり面倒見ながらも、
赤ちゃん猫達を、温かい目で見守っていたね。
「この子、たれちゃんと似てるわね~うふふふふ」
この子は、こしょうだ。
うんこは、生前10匹の子猫を子守りしたことになる。
小さすぎる子猫も、酷く汚れた子猫も、「う~」と唸る子猫だって、
うんこは決まって、穏やかに優しく迎え入れた。
「ヘローうんちゃんよ。大丈夫。安心して。」
そして決まって、うんこの大事なネズミさんを子猫に貸してやった。
そう、あくまで貸してあげたのだ。
だから、
我が家にやって来た子猫達にとって、
初めてのオモチャは、うんこのネズミさんだったという訳だ。
あれはきっと、
うんこが、ネズミさんを初めて咥えた時の気持ちを、プレゼントしてあげたのだろう。