思い出さないように、
いつも通りを過ごそう。
おはようございます。
「今日は、そんな感じでいこう」と決める前に、
午前3時、不意に目が覚めた。
おかしな時刻に目が覚めるもんだと寝直そうとしても、
どうにも眠れない。
「そうか・・・」
10月11日の午前3時は、うんこが死んだ時刻だった。
こうなると、思い出さずにはいられない。
そして私は、うんこと初めて出会った日を思い出した。
「俺も、姉さんの猫になりたい」
男は、鳴き疲れて喉が潰れた捨て猫みたいな声で言った。
思いもしない言葉に、私はハッとして男を見た。
捨て猫みたいな声をした男の眼は、捨て猫とはまるで違っていた。
捨て猫は、こんな眼をしない。
絶望の最中に、強烈な希望の光を放つものだ。
けれど男の眼は、絶望の闇で濁っていた。
私は怖気づいたが、それに気付かれたくなくて、
虚勢を張るように、男に名前を付けてやった。
「じゃあ・・・そうだ。ミーちゃんって呼んであげる。」
私のボキャブラリーの中では、もっとも猫らしいと思える名前だった。
それ以来、
男は当たり前のように、私のボロアパートに住み着いたように見えた。
離婚して引っ越したばかりの部屋には、
猫3匹とキャットタワーと猫のトイレ以外、ほとんど何もなかった。
4月、夜はまだ冷えたが、男の体が大きかったおかげで、
私も猫らも、暖を取るにはちょうど良かった。
「ミーちゃんは暖かいわね。」
女とメス猫3匹に集られる男は、静かに微笑んでいたが、
その眼は、相変わらず、奥深くまで濁っているように見えて、
私は言い知れない不安を抱いていた。
男は猫らしく、ふらっと出かけて行った。
何日も帰らないと思えば、当たり前のように帰ってくる。
何度目かのミーちゃん不在日、夜中に携帯が鳴った。
「姉さん、助けて!お願い、助けて!」
男は一旦出かけると、2~3日は連絡もなく帰ってこなかった。
私は、それを問いただしたことがない。
猫だもの。仕方ない。
きっと、他でもご飯を貰っているのだろうと覚悟していた。
それが、この日は珍しく電話を寄こしてきたのだ。
「どうしたの?ミーちゃん?」
「昨日から、子猫がいるの。
昨日の夕方、歩いていたら、俺の目の前に落ちてきたんだ。
カラスが糞したのかと思ったら、違うの。
よく見たら、小さな子猫。
でも、俺・・・拾えるような状況じゃないから、植木の下に置いた。
姉さん、ごめん。
もうすぐ産まれるんだ。別れたはずの女が出来てて、
今更、産みたいから責任取れって言ってきかないの。
そいつが、子猫なんて放っておけばいいって言うんだよ。
俺、俺・・・どうしたらいい?」
男からの電話は、思いがけない内容だった。
子猫も子供も、あまりに唐突だ。
何が正解かなんて考えも出来ないまま、私は言葉を発していた。
「ミーちゃん、今すぐ来て。子猫を連れて来て。早く!」
しばらくして、男は来た。
待っている間、男に何を言ってやろうかと身構えていたけれど、
男の手の中の子猫は、想像していたより、遥かに小さくて驚いてしまった。
「うわ~、まだ赤子じゃない?!よく頑張ったね。」
24時間以上、外で生き抜いた割に、悲壮感を感じない子猫だ。
むすっとした顔が、まるで貫禄のある、どこぞの親方みたいだった。
「姉さん、ごめんね。ごめんね。」
ひたすら謝る男に、疑問も苛立ちも、悲しみも湧いてこない。
いや、あったのかもしれない。
けれど、男から手渡された小さな子猫が生きている。
私は、それだけで、充分な気がした。
だから、
「私は、この子を私の子として育てる。
ここからは、私だけの手で、必ず幸せにする。
貴方は、もう、ここへ来てはダメ。逃げてはダメよ。」
と伝えて、玄関のドアを閉めた。
涙は、不思議と出なかった。
「負けるもんか。負けるんじゃない。
この子は、誰よりも幸せにするんだから。あたしの子なんだから。」
私はそう決意して、ミーちゃんという名前を完全に捨て切るように、
子猫に、なんとも猫らしくない名前を付けた。
「うんこだ!お前は、うんこだよ。あたしの子だよ。」
あれ以来、私は誰にも、この話をしていない。
「うんこは、私の元へ空を飛んでやって来たんだよ。」
うんこ自身にも、そう嘘をつき続けた。
私を親だと疑わない、うんこに、一度でも
「放っておけばいい」だなんて言葉を掛けられた記憶を、
絶対に思い出させたくはなかった。
寒い4月を独りきりで乗り切ったことも、カラスに食べられそうになったことも、
何もかも、思い出させたくはなかったんだ。
あぁ、やっと白状した。
うんこ、もういいよね?
嘘をつき続けて、皆さん、申し訳ありませんでした。
これが、本当の、うんこの初めて物語でした。
昨日の夜は、仕方ないから、
うんこの好きなケーキを食べたよ。
うんこ、これだろう?
これが食べたいから、午前3時に私を叩き起こしたのだろう?