皆様、
私のインスタ見切り発車に、たくさん応援を頂き、
誠にありがとうございます。
おはようございます。
「こっそり、世話をさせてください。こっそりと。」
私は、そう社長に直談判した気がするが、かなりデーハーな動きをしている訳だ。
チャー坊のトイレをどうするか問題も、あらゆる人に聞き込みをしているし、
インスタとか始めちゃってるし。
この土日は、チャー坊のお家を設置した車庫内を、
デーハーに掃除して模様替えしてやろうと企んでいる。
どこが、こっそりだよぉ!
という声が聞こえるような気がするが、きっと気のせいだわ。
そう、気のせいなのよ。
だって、そもそも、チャー坊がデーハーなんだもん。
あの子は、非常に目立つ存在なのだ。
人懐っこいし、被毛はまるで陽だまりの畑みたいな色だし、
そのくせ、どんな荒波を越えて来たんだろうって感じの顔つきだしね。
もしかすると、生れて初めてかもしれない。
私がやりたいことを、人様に声にして宣言したことは、初めてかもしれない。
私ごときが自己主張したら、人様に迷惑になるのじゃないか?
笑われるんだろうし、軽蔑されるかもしれない。
やりたいことを、やりたいなんて主張する資格は、
何の価値もない私には、ないんだ。
私は、本気でそう思って生きて来た。
人生のどこかで、卑屈になってへそが曲がって、そう考えるようになったのじゃない。
物心ついた頃から、私は自分が後ろめたかった。
誰よりも醜く、誰よりも汚い気がしていた。
5歳の頃、怪我をした友達を心配しているくせに、
心の片隅にいる、
「大したこと無いのに、騒いじゃってさ」
と呟く自分を見つけてしまったからだ。
あの時からだ。
私が私を後ろめたく思えるようになったのは、あの時からだった。
だから何でも、コソコソやっていた。
やりたいことをやらずに来たのじゃなく、コソコソやっていた。
コソコソとできることしか、やらないようになった。
そうすると、何をしていたって、後ろめたさがさらに重くのしかかるようになった。
けれど、その根底にいる、
「コソコソやれば、いつ止めたって誰にもバレないもん」
と囁く自分に支えられていた。
しかし、チャー坊のことは、コソコソやるのは無理だった。
だって、あの子がデーハーなんだもん。
ありがとう、チャー坊。
さてと、
我が家の猫らは、いたって平和だ。
ありがとう、ありがとう。
そんな我が家のデーハーな白族
おたまも、ホットカーペットを堪能しているのだね?
平和でいいなぁ。
見事な香箱で堪能している、おたま。
と、
えっらそうに寛ぐのん太。
デーハーだね~・・・