切れ切れに少しずつUPしていましたが、完結しました
それにしても、ちょっと恥ずかしいくらい思い入れの強い文章ですね、「さすらう若者の歌」
手を入れようかと思いましたが、そのときの自分の素直な気持ちだった、ということで、
私的な日記のようで恐縮ですが、そのままにしておきます。
■第2部■
◆「バクチⅢ」
インドの伝統音楽に乗せて、赤いチョリとタイツがお腹の中心でつながっていてウエストの脇と背中が
OPENになっているレオタードの女性と、赤いタイツの男性。
インド風の顔を作った白塗りメークの顔の輪郭がわざと描かれていて、ちょっと仮面っぽいこしらえです。
男性がシヴァ神、女性がシャクティ。舞台下手側と上手側に客席に対して横半身を見せるようにすわり、
その周りを8人(?)の男性が取り囲みます。
炎が燃え立つように踊る二人を囲む人々は、火の儀式に参加して焚き火を囲む人のよう。
途中曲想が変わって金属音がシャカシャカと鳴らされるのに合わせて、膝を開いた女性が
ポワントで後ろ向きに舞台奥に小刻みに進み、ポジションが舞台前後に90度チェンジします。
2人の織り成す四肢のコンビネーションがインド寺院の仏像のような不思議な造形を織り成す
エキゾチックな演目。
この「バクチⅢ」を初めて観たのが、シルヴィ・ギエムとローラン・イレールで。
わたくしがバレフェスを観始めた1997年第8回のBプロでした。
当時30歳そこそこの輝くような2人が踊るインドの神々は運よく端の席ではありましたが
一列目で鑑賞していたわたくしの記憶に突き刺さって消えることはありません。
今回、上野さんが、恵まれた肢体のアドヴァンテージを最大限に活かして、
多分ベジャールさんが意図したであろう造形の妙をたっぷりと見せてくれました。
ちょっとぶっきらぼうな(?)ム-ブも、却ってエキゾチックな味となっていて、古典では
キズとなるそういう部分も含めて魅力に転化できる、こういうベジャール作品のような
演目のほうが、彼女の資質にあっているのかもしれません。
後藤さんもしっかりとした体型が上野さんとバランスが良く、イレール・ギエムのときのような
拮抗する力、というよりは上野さんの相手役というポジションの印象ではありましたが
バランスは悪くなかったと思います。
対する17日の木村さん吉岡さんは身長や体型からくる造形的な興趣は16日のペアに及びませんが
(この2人も細身で美しいのですが、上野さんの伸びやかさが格別、という意味です)
踊りそのものの細部に至る作りこみの密度がしっかりとしていて
吉岡さんのエキゾチックなメークの似合う美貌とともに見ごたえがありました。
◆「さすらう若者の歌」
何度観たかわかりませんが、
2007年2月にオペラ座のエトワールを引退したローラン・イレールと今年の5月に
同じく引退公演を行ったマニュエル・ルグリの2人に、
もとはヌレエフのために振付たベジャールが
「このふたりならいつでもどこでもこの作品を踊ることを許可する」
と全幅の信頼を置いて委ねた作品です。
OPERA座ではメートル・ド・バレエ(バレエ・マスター)の要職に就き、踊ることはない
イレールですが、ガラ公演などには時折参加されていて、2008年の10月にも
イタリアのトレヴィーゾでのガラで、この作品を観る幸福を味わいました。
今回もまた・・・ではありますが、プログラムに寄せられたイレールのことばとして、
「この作品を踊るのはおそらく今回が最後になります。このフィナーレをモーリスと関係の深い
日本で、私が特別の敬意と親しみを持っている日本の観客の皆さんとともに迎えられることを、
心から幸福に思い、今からその日を楽しみにしています」とあります。
恋人を失った若者の苦悩を歌い上げるマーラーの歌曲に合わせた男性二人のデュオは
しかし、人生の喜びと哀しみ、対立と親和、様々な局面を描き、最後にその舞台を降りる、
人生そのものを描き出します。
若者、がイレール、ルグリは彼を導く陰の存在と読める演技。
春の喜びを踊るイレールの表情の明るさ、若々しさ、長い指先が弧を描くときに
かすかにしなる様は、童話の王女が語る口から宝石や花が零れ落ちる如く、
その指先から花が咲き乱れ、小鳥が飛び立つのではないかと思われるほど。
深いプリエの姿勢で左腕を垂らし、右手をそえた左肩にうつむく苦悩の表情に浮ぶ苦しみと陰り、
対立のシーンでの、ピルエットやトゥール・ザンレールの切れのよさ、2人が交差するダイナミックな跳躍。
ドラマチックな展開、踊りの中に込められた感情の豊かさにどんどんと深淵に引き込まれるばかりです。
最後、ルグリに手をとられ、1度は決意するものの、この世の美しさに心引き戻される葛藤が見られ、
肩に手を置かれ再度促されて、そこで一瞬抗う表情を見せるのですが、今生に別れを告げるが如く、
手を伸ばし、空を見つめます。
その眼が語るものの大きさに胸がつまり、そのまま、舞台奥の闇へと消えていくルグリに
手を引かれ、客席側の空に心を残しつつ、最後の最後で闇に顔を向け去り行くイレール・・・
・・・ラストの眼の雄弁さ。
ルグリはいつもは厳格なまでに強い存在として立ちはだかり、否応なしに闇に向かう
一種の死神のような超自然な存在感を示していたのですが、今回の最後に手を載せて
導くときの表情にはわずかに優しい光が見えたように思うのは感傷でしょうか。
同じように踊っていても、シャープでまとまりの良いルグリと、音に合っていないわけでもないのに
どこまでも広がっていくイレールの踊りの質の違いがやはり面白い名作だと改めて思いました。
満場の拍手に応えて何度も繰り返されるカーテンコール。
スッキリとした表情で客席に応えるイレールの姿が忘れられません。
◆「ボレロ」
16日の首藤さん、名演だったらしいのです。
その場にわたくしは居たのですが、いたのは身体だけで、魂は持っていかれたままだったようで・・・。
音楽は聴いていたのですが、踊りに気持ちが入っていかず、何も観ていない・・・こんなことって
あるのですね。
17日には、心にゆとりがあり(笑)、上野さんのボレロを楽しみました。
ベジャールさんが彼女に直接、ボレロを様々なダンサーが自分の個性に合わせた解釈で
踊っているけれども、今一度、振付けた当初(ジョルジュ・ドンで有名になった作品ですが
始めは女性ダンサーがメロディ=主役だったそう)の姿に戻してみようと思う、とおっしゃった、
ということで興味を持って観てみました。
最初は手、から始まり、音楽の高まりに連れて
徐々にムーブメントが内から外へ向かうエネルギーとなって広がっていき、
リズム(円形の中央にある台の周りを囲む男性群舞)を巻き込み場を制する・・・
その一連の流れが特に前半はピタッと決まった手のポジションがきれいで見惚れました。
後半は彼女自身にカタルシスが訪れたのはよくわかる演技で、
非常にクリーンなリズムのソリストたちも合わせて”東バのボレロ”になっていたと思います。
◆フィナーレ
最後は群舞、ソリストとも、第1部でのダンサーも全員舞台上に。
会場全体が大きな拍手のうねりに包まれました。
すると群舞のダンサーが天井に手を差し伸べ、モニターが下りてくるのですが、
そこに映し出されるのは生前カーテンコールに応えるベジャールさんの姿。
ソリストも振り返り、ベジャールさんに敬意を表します。
何度も何度も続くカーテンコール。
会場全体が立ち上がり、舞台と客席が一体となった素晴らしいフィナーレでした。
これで長かった、でもめくるめくような凝縮されたバレエのエッセンスを浴びるように
観ることの出来たバレフェスも終わりです。
寂しさもありますが、心が満たされ、大きなものをたくさん受け取った2週間でした。
持てるものを惜しげなく舞台で表出してくれたダンサー、そしてこの素晴らしい企画を
見事に遂行された主催者にお礼を言いたいと思います。
それにしても、ちょっと恥ずかしいくらい思い入れの強い文章ですね、「さすらう若者の歌」
手を入れようかと思いましたが、そのときの自分の素直な気持ちだった、ということで、
私的な日記のようで恐縮ですが、そのままにしておきます。
■第2部■
◆「バクチⅢ」
インドの伝統音楽に乗せて、赤いチョリとタイツがお腹の中心でつながっていてウエストの脇と背中が
OPENになっているレオタードの女性と、赤いタイツの男性。
インド風の顔を作った白塗りメークの顔の輪郭がわざと描かれていて、ちょっと仮面っぽいこしらえです。
男性がシヴァ神、女性がシャクティ。舞台下手側と上手側に客席に対して横半身を見せるようにすわり、
その周りを8人(?)の男性が取り囲みます。
炎が燃え立つように踊る二人を囲む人々は、火の儀式に参加して焚き火を囲む人のよう。
途中曲想が変わって金属音がシャカシャカと鳴らされるのに合わせて、膝を開いた女性が
ポワントで後ろ向きに舞台奥に小刻みに進み、ポジションが舞台前後に90度チェンジします。
2人の織り成す四肢のコンビネーションがインド寺院の仏像のような不思議な造形を織り成す
エキゾチックな演目。
この「バクチⅢ」を初めて観たのが、シルヴィ・ギエムとローラン・イレールで。
わたくしがバレフェスを観始めた1997年第8回のBプロでした。
当時30歳そこそこの輝くような2人が踊るインドの神々は運よく端の席ではありましたが
一列目で鑑賞していたわたくしの記憶に突き刺さって消えることはありません。
今回、上野さんが、恵まれた肢体のアドヴァンテージを最大限に活かして、
多分ベジャールさんが意図したであろう造形の妙をたっぷりと見せてくれました。
ちょっとぶっきらぼうな(?)ム-ブも、却ってエキゾチックな味となっていて、古典では
キズとなるそういう部分も含めて魅力に転化できる、こういうベジャール作品のような
演目のほうが、彼女の資質にあっているのかもしれません。
後藤さんもしっかりとした体型が上野さんとバランスが良く、イレール・ギエムのときのような
拮抗する力、というよりは上野さんの相手役というポジションの印象ではありましたが
バランスは悪くなかったと思います。
対する17日の木村さん吉岡さんは身長や体型からくる造形的な興趣は16日のペアに及びませんが
(この2人も細身で美しいのですが、上野さんの伸びやかさが格別、という意味です)
踊りそのものの細部に至る作りこみの密度がしっかりとしていて
吉岡さんのエキゾチックなメークの似合う美貌とともに見ごたえがありました。
◆「さすらう若者の歌」
何度観たかわかりませんが、
2007年2月にオペラ座のエトワールを引退したローラン・イレールと今年の5月に
同じく引退公演を行ったマニュエル・ルグリの2人に、
もとはヌレエフのために振付たベジャールが
「このふたりならいつでもどこでもこの作品を踊ることを許可する」
と全幅の信頼を置いて委ねた作品です。
OPERA座ではメートル・ド・バレエ(バレエ・マスター)の要職に就き、踊ることはない
イレールですが、ガラ公演などには時折参加されていて、2008年の10月にも
イタリアのトレヴィーゾでのガラで、この作品を観る幸福を味わいました。
今回もまた・・・ではありますが、プログラムに寄せられたイレールのことばとして、
「この作品を踊るのはおそらく今回が最後になります。このフィナーレをモーリスと関係の深い
日本で、私が特別の敬意と親しみを持っている日本の観客の皆さんとともに迎えられることを、
心から幸福に思い、今からその日を楽しみにしています」とあります。
恋人を失った若者の苦悩を歌い上げるマーラーの歌曲に合わせた男性二人のデュオは
しかし、人生の喜びと哀しみ、対立と親和、様々な局面を描き、最後にその舞台を降りる、
人生そのものを描き出します。
若者、がイレール、ルグリは彼を導く陰の存在と読める演技。
春の喜びを踊るイレールの表情の明るさ、若々しさ、長い指先が弧を描くときに
かすかにしなる様は、童話の王女が語る口から宝石や花が零れ落ちる如く、
その指先から花が咲き乱れ、小鳥が飛び立つのではないかと思われるほど。
深いプリエの姿勢で左腕を垂らし、右手をそえた左肩にうつむく苦悩の表情に浮ぶ苦しみと陰り、
対立のシーンでの、ピルエットやトゥール・ザンレールの切れのよさ、2人が交差するダイナミックな跳躍。
ドラマチックな展開、踊りの中に込められた感情の豊かさにどんどんと深淵に引き込まれるばかりです。
最後、ルグリに手をとられ、1度は決意するものの、この世の美しさに心引き戻される葛藤が見られ、
肩に手を置かれ再度促されて、そこで一瞬抗う表情を見せるのですが、今生に別れを告げるが如く、
手を伸ばし、空を見つめます。
その眼が語るものの大きさに胸がつまり、そのまま、舞台奥の闇へと消えていくルグリに
手を引かれ、客席側の空に心を残しつつ、最後の最後で闇に顔を向け去り行くイレール・・・
・・・ラストの眼の雄弁さ。
ルグリはいつもは厳格なまでに強い存在として立ちはだかり、否応なしに闇に向かう
一種の死神のような超自然な存在感を示していたのですが、今回の最後に手を載せて
導くときの表情にはわずかに優しい光が見えたように思うのは感傷でしょうか。
同じように踊っていても、シャープでまとまりの良いルグリと、音に合っていないわけでもないのに
どこまでも広がっていくイレールの踊りの質の違いがやはり面白い名作だと改めて思いました。
満場の拍手に応えて何度も繰り返されるカーテンコール。
スッキリとした表情で客席に応えるイレールの姿が忘れられません。
◆「ボレロ」
16日の首藤さん、名演だったらしいのです。
その場にわたくしは居たのですが、いたのは身体だけで、魂は持っていかれたままだったようで・・・。
音楽は聴いていたのですが、踊りに気持ちが入っていかず、何も観ていない・・・こんなことって
あるのですね。
17日には、心にゆとりがあり(笑)、上野さんのボレロを楽しみました。
ベジャールさんが彼女に直接、ボレロを様々なダンサーが自分の個性に合わせた解釈で
踊っているけれども、今一度、振付けた当初(ジョルジュ・ドンで有名になった作品ですが
始めは女性ダンサーがメロディ=主役だったそう)の姿に戻してみようと思う、とおっしゃった、
ということで興味を持って観てみました。
最初は手、から始まり、音楽の高まりに連れて
徐々にムーブメントが内から外へ向かうエネルギーとなって広がっていき、
リズム(円形の中央にある台の周りを囲む男性群舞)を巻き込み場を制する・・・
その一連の流れが特に前半はピタッと決まった手のポジションがきれいで見惚れました。
後半は彼女自身にカタルシスが訪れたのはよくわかる演技で、
非常にクリーンなリズムのソリストたちも合わせて”東バのボレロ”になっていたと思います。
◆フィナーレ
最後は群舞、ソリストとも、第1部でのダンサーも全員舞台上に。
会場全体が大きな拍手のうねりに包まれました。
すると群舞のダンサーが天井に手を差し伸べ、モニターが下りてくるのですが、
そこに映し出されるのは生前カーテンコールに応えるベジャールさんの姿。
ソリストも振り返り、ベジャールさんに敬意を表します。
何度も何度も続くカーテンコール。
会場全体が立ち上がり、舞台と客席が一体となった素晴らしいフィナーレでした。
これで長かった、でもめくるめくような凝縮されたバレエのエッセンスを浴びるように
観ることの出来たバレフェスも終わりです。
寂しさもありますが、心が満たされ、大きなものをたくさん受け取った2週間でした。
持てるものを惜しげなく舞台で表出してくれたダンサー、そしてこの素晴らしい企画を
見事に遂行された主催者にお礼を言いたいと思います。