マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

91才の母の入院

2007-11-20 15:19:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。
 92才に近い母が、二日前に肺炎を起こし入院、『危篤』と、長兄からの連絡です。

母の入院先の、熱海の病院に、とりあえず飛んでいきました。
学生時代の仲間との忘年会に出席のために、念入りに化粧を仕上げたところへの、連絡でした。
友人に欠席の連絡をして、化粧も落とさず、新幹線に乗り、病院に着いたのは、11時過ぎです。
母の元に駆けつけた私は、病院側の許可を得ることもなく、母の側で一夜を明かしました。

ベッドに横たわる母は、夢心地の中で、家族の一人ひとりへの愛情あふれる思いを、しゃべり続けていました。
夫への、4人の子供への、孫たちへの、兄弟への、叔父叔母への、思いや思い出を、しゃべり続けているのです。  しゃべる内容ははっきりしているし、つじつまも合うのですが、母は起きているわけではないのです。
一晩の母の姿は、何を物語っているのでしょうか?  不思議な姿でした。
語る内容は、家族への感謝と、自分の至らなかったことを許して欲しいという気持ち、だけでした。  すばらしい内容でした。
愛情と反省のみがある母の心の中を見せてもらった私は、返事することも呼びかけることもなく、止まることのない涙を流しながら、母を見つめ、抱きしめていました。
母の話をじっと聞きながら、私が危篤状態になり、無意識のうちに母のようにしゃべり続けるようなことになれば、何をしゃべるのだろうかと、考えさせられてもいました。

「娘さんだと、お母さんの姿も反応もまったく違いますね。」と、看護婦さんに言われるほど、翌日の母は、意識もはっきりし、起き上がり食堂で、四日ぶりの食事もとりました。
出された食事の半分を先に食器のふたにとり、「私はこれだけで十分。残りを真弓さんが召し上がれ。」と、母は私に優しく心配りをします。

母のベットの側で三日間過ごし、後ろ髪引かれる思いと涙で一杯の私は、娘の「お助けマン」のために、松本に向かって、身延線の車中の人になりました。

20歳でキリスト教の信者となった私は、折りあるごとに、母と、天国の話をしていました。
非常に強い愛情で結ばれている私たちは、死を境に離れなくてはならない寂しさを、天国での再会の信仰を分かち合うことで、埋めてきました。
身延線の車中で、涙を止められない私は、母と交わした、天国での再会の約束を、思い出していました。