10月最後の日曜日。10月30日。夕方5時。
自宅2階の窓より
東の空に 『秋の雲』 なんだか感激して・・・
反対の西側を眺めると 『夕日に染まる秋の雲』 ”秋深まる!”と感激して・・・
玄関に出ると 『小菊』
今にも開きそうです。かわいい。 『小菊の蕾』
確実に秋が深まってきています。 『御近所の柿』 葉を落とし、熟しています。
ぼつぼつ・・・今年もおすそ分けのお声が聞ける時期になりました
『近所の街路樹』 紅葉が始まっています。
10月が終わり・・・
11月を迎えると、街並みも華やかさから、静かに、気品に充ちてくるような・・・。
私も、街並みに倣って、充実からくる落ち着いた表情に変わりたいものです。
そして。
今日は年間第三十一主日。
『今日の御言葉 イエスの言葉』
『イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
そこにザアカイという人がいた。
イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
それで、
イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。
『ザアカイ』 ドイツ ヴォルフェビュッテル アウグスト公図書館
『イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。』 ルカ福音書 19章1-10節
『絵』 をとくとご覧ください。
ザアカイの登る様子は、両手や両足の動きも含め、なかなか細かく描かれている。彼の目はあくまで真剣である。
この登る動作が・・・
神に近づこう、キリストに近づこうとしている一途な気持ちをよく感じさせる。
信仰宣言という軸を中心線において、はっきりと描き出しているのである。
背景全面の紫色に意味がこめられているとするなら、
おそらく神の国の神秘を暗示しているものと考えられる。
以上。『聖書と典礼』表紙絵解説 の一部です。
大人のザアカイが木に登ってもイエスを見たいという様子は、ザアカイがどれ程イエスを慕う心を持っていたかを示します。
この登る動作が・・・
ザアカイが、イエスの噂を聞き、少しづつ心が変わり、イエスを慕うほどになって行ったことを表します。
イエスが自分にとってかけがえのない人になってきた今、一目会いたい。一目でも見たい。と。
その結果。
『イエスは自分達にしっかりとした教えを下さる人だ』と分かる変化が、イエスを見たザアカイに起こります。
又。
イエスは、
大勢の群衆には目を向けず、ザアカイのみを見つめています。 そして ザアカイの家に訪ねると言うのです。
イエスの訪問を受けたザアカイは・・・
税金を集めるのをやめよう。何らかの方法で、今まで多く集めた税金を返したい。と考えるようになりました。
『イエスは自分たちにしっかりしとした考えを下さる人』だと分かる変化が、ザアカイに起こっていました。
『この方が私の全部を分かって下さる方だ』と信仰を持っていく姿は、マグダラのマリアや中風の人がイエスに対して確信を持っていたのと同様である。
① 『自分にとってイエスはどういう人だろうか?』 ②『自分はイエスを慕う心を持っているだろうか?』
③『一目でもお目にかかりたい』との気持ちを持つ人をイエスははっきりと見分けます。
イエスは、
イエスの所へ押しかけるような人に出会うのは、イエスの喜びであり、イエスの方からその人の所へ行くのです。
『イエスと出会いたい』との気持ちの強さが強いほど、イエスは見分けて、その人の所へ来ます。
『出会いたい!』 と思う人の所へ、必ず、イエスは来て下さるのです。
私達も、イエスに一目お会いしたいという信仰が養われるように、ミサの間に祈りましょう!
イエスをもっと知りたい。イエスに出会いたい。 と願い、イエスの訪問を待つ人になりましょう!
以上。今日のミサ司式司教の説教の一部でした。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋深まる11月を迎えます。 秋の夜長・・・心静かに冥想の時間。 深秋に似合って、素敵ですよね!