4月7日。火曜日。快晴。『聖週間3日目』
『受難の火曜日』
『主の御受難』前
イエス様は・・・ 『弟子たちと最後の晩餐』
レオナルド・ダ・ヴィンチ 作品
『最後の晩餐』
イエス様と12使徒による最後の晩餐です。
それは。
単なる『食事会』ではなく・・・
モーゼとイスラエルの民がエジプト脱出以来、1200年ほど続けてきた
『過越の食事』 に終わりを告げ、
『主の契約』 により始まる 『主を記念とする聖餐』
の始まりを意味する大切な 『晩餐』 でした。
単なる『食事会』ではなく・・・
イエス様が、神にこの世に派遣されて以来、30年間ほど続けた
『この世の食事』 に終わりを告げ、
刻一刻と、御自分の死へ向い、
『主の時』:『十字架へ至る道』
の来たことを意味する大切な 『晩餐』 でした。
単なる『食事会』ではなく・・・
イエスが、『心を騒がせ、断言される』 ヨハネ福音書13-21
『二つの事実』 を弟子たちに言うべきときが来たことを悟られ、
心に苦しみを覚えながらも、隠すことなく、
はっきりとその相手に言われ、
『主の時』:『人類の罪の贖いの時』
の来たことを意味する大切な 『晩餐』 でした。
それは。
単なる『食事会』ではなく・・・
イエスが予言する 『二つの事実』
が浮き彫りになるのです。
『12使徒の中のユダがイエスを裏切る』 事実。
『12使徒の中のペテロがイエスを否認する』 事実。
最後の晩餐の席。
昨夜の『食事会』同様に。
今日も。 『最後の晩餐』 で、 『人間模様』 が現れます。
”私は食事中の誰なのだろうか?” と考えながら・・・
『福音』 をご一緒いたしましょう。
よろしくお願いいたします。
『今日の集会祈願』
『全能永遠の神よ、
主・キリストの受難の神秘を記念するわたしたちが、
罪のゆるしを受けることができますように。』
そこで。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
イエスは、弟子たちとともに 食事の席についておられたが、
ユダだけが後光がない ジョット。スクロヴェーニ礼拝堂
心を騒がせ、断言された。
「はっきり言っておく。
あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。
イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、
イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
シモン・ペトロはこの弟子に、
だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。
その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、
「主よ、それはだれのことですか」 と言うと、
イエスは、
「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」
と答えられた。
それから、パン切れを浸して取り、
イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
後光のないユダ・・・一人、こちら側に座ります。
ユダがパン切れを受け取ると、
サタンが彼の中に入った。
そこでイエスは、
「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」 と彼に言われた。
ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。
夜であった。
さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。
「今や、人の子は栄光を受けた。
神も人の子によって栄光をお受けになった。
子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。
あなたがたはわたしを捜すだろう。
『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』
とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。」
シモン・ペトロ がイエスに言った。
「主よ、どこへ行かれるのですか。」
イエスが答えられた。
「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
後でついて来ることになる。」
ペトロは言った。
「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。
あなたのためなら命を捨てます。」
イエスは答えられた。
「わたしのために命を捨てると言うのか。
はっきり言っておく。
鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」』
ヨハネ福音書 13章21-33&36-38節
刻一刻と、御自分の死へ向い・・・
十字架へ至る道を歩まれ始められたイエス様。
その苦しみと寂しさは計り知れない状態だったことでしょう。
そして。
そんな精神状態の中で、愛してきた弟子たちに、
『裏切りと否認の予告』 を告げるのです。
まず一つ。
『最後の晩餐』の重要な『裏切り』の局面。
イエスの『決意』は、『暗闇・サタン』の力が存在する中で、
『光』 として輝き出すのでしょうか?
イエス様は、どのように、サタンに勝利するのでしょうか?
ユダは、この世の王様らしくなく、ユダヤ人に追われる身のイエスを、
信じられなくなってきたのでしょうか?
悪魔には、ユダの迷いは、『イエスに勝利する』 ためのチャンスでした。
ユダの『迷い』を利用しようと思ったのでしょう。
イエス様は、『しようとしていることを、今すぐ、しなさい。』
・・・と。
自ら、ユダの裏切り、悪魔の計らいを、いわば先導されたのです。
それは。
すべてをご存じの 『決意のイエス様』 が
『御父の御心』を実現させるために、
御自ら、『ユダの裏切り』 を引き受けられたということではないでしょうか。
ユダ自身にも弟子たちにも分からない、
『悪』 に勝利する 『イエス様の神秘』 ということでしょう。
イエス様は、悪魔の計らいの先手を取って、悪魔に勝利したのです!
『賢者(悪)の知恵は滅び、聡明な者(イエス)の分別は隠される。』
ということですね。 イザヤ書 29章14節
サタンは、私たちに、いつも、『甘い言葉』 で話しかけてきます。
『決して死ぬことはない。神のように善悪を知る者になれるのです。』 と。
創世記 3章4&5節
悪魔は、いつも、合法的に、アダムとイブの時のように、惑わしてくるのです。
サタンの誘惑に勝利するのは、唯一、『神の御言葉』 です。
私たちも、『神の御言葉』=『イエス様』 から離れることなく、
いつも先手先手で、悪魔の誘惑に打ち勝ちましょう!
もう一つ。
『最後の晩餐』の重要な『否認』の局面。
イエス様からまかされて、権限が与えられて、
イエスの生前には、『弟子たちの長』 として働き、
イエス亡き後は、『初代イエスの後継者』 として働く シモン・ペトロです。
晩餐の席で・・・ ユダが出て行った後
イエスは弟子たちに話し出します。
『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』 と。
その後。
イエス様とペトロの、二人だけの 『会話』 が続きます。
「主よ、どこへ行かれるのですか。」
「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
後でついて来ることになる。」
「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。
あなたのためなら命を捨てます。」
「わたしのために命を捨てると言うのか。
はっきり言っておく。
鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」』
イエス様は、何もかもご存じの方で、そして とても優しい方です。
イエス様は、ペトロの、まじめな今の『信仰』を知っていました。
『あなたのためなら命を捨てます』 と言うペトロの信仰を疑ってはいません。
しかし、
こわさと苦しみにおののいたペトロが、
『イエスを知らない』 と三回否認する、『ペテロの弱さ』 もご存じでした。
神なるイエス様は、
そんな人間の弱さを許すために、この地上においで下さり、
『人類の贖罪』 となって、
人類のために 自らの命を捧げて下さったのです。
ペトロの信仰は強かったのです。
決して、絶望することなく、諦めることなく、
自分の弱さを許して下さるイエスを、疑うことはなかったのです。
復活したイエス様は、
そんな、強い信仰の持ち主ペテロを、
そんな、人間らしい過ちを犯し、強い回心を体験したペテロを
『後継者』 としてお立てになったのです。
生前。イエスを否認するペトロを許すイエスは、
ペテロに声をかけていました。
『しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』
ルカ福音書 22章32節
イエス様は、
ペトロが、イエスさまのことを見捨て、否認することをご承知の上で、
そのペトロのために、『信仰がなくならないように』
と、祈られたのです。
ペテロは、
イエス様の生き様と優しさを、自分の 『手本』 として、
人の悩みを、自分の体験から、深く理解しながら、
生涯、お人の『信仰がなくならないように』 と祈り続けたのです。
イエス様が、『最後の晩餐』 で一番願ったことは・・・
全ての人の信仰がなくならないこと。
全ての人が、兄弟たちの信仰がなくならないように、互いに祈り合うこと。
私たちの信仰は、イエス様やペテロ そして 沢山の人の祈りによって、
支えられているのです。
私たちも祈ってまいりましょう。
全ての人の信仰が深まりますように!
使徒パウロも言いました。
『もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇りましょう。』 コリントⅡ 11章30節
『神の恵みの力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのです。』 コリントⅡ 12章9節
『今日の拝領唱』
『神は、わたしたちすべてのために、
その御子をさえ惜しまずに死に渡された。』
ローマの信徒への手紙 8章32節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自粛の日々でミサに与ることのできない日々、聖書三昧の私です。
世の中の皆様の信仰のためにお祈りさせていただく、祈り三昧の私です。
今日もそんな私におつきあい下さいまして感謝申し上げます。 お元気で!
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