8月30日。月曜日。晴れ。
今朝も、
変わらず夜が明ける。
『祝福された朝明け』
美しさに感動して・・・ ウォーキング途中の橋の上から📷
今日も又。
人間社会では・・・
※アフガニスタン事態のこれからは?
※コロナウイルス終息の目処はいつ?どのように?
※自民党総裁選の行く末は?
等々。
問題が山積みです。
それでも。
自然界では・・・
※今朝も変わらず美しい朝が繰り返されます。
※清らかな朝の空気には、今日一日の可能性がいっぱいつまっています。
※自然界にひそむ力と永遠の再生に調和があります。
等々。
平和があります。
人間は・・・
※見えて触れられる体で、地球上に生まれました。
※見えない神や見えて触れることもできる自然界と共に生きるのです。
今日も、多くを学びます。
世界中で、人の命にかかわる重大事が起こる心配な毎日で、
為す術もない一市民の私は、今朝の夜明けの太陽に大いに慰められました。
今日も、大事な『希望』を持って、
一日を大切に送りましょう。
『信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
この中で最も大いなるものは、愛である。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章13節
そして。
今日は8月30日。年間第二十二月曜日。
『今日の入祭唱』
『いと高き神よ、
御名をほめ歌い、朝ごとにあなたの慈しみを感謝することは、
いかに楽しいことでしょう。』
詩編92章2&3節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスはお育ちになったナザレに来て、
いつものとおり安息日に会堂に入り、
聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が渡され、
お開きになると、
次のように書いてある個所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
(イザヤ書 61章1節)
イエスは巻物を巻き、
係の者に返して席に座られた。
会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」
と話し始められた。
皆はイエスをほめ、
その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。
「この人はヨセフの子ではないか。」
イエスは言われた。
「きっと、あなたがたは、
『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、
『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、
郷里のここでもしてくれ』
と言うにちがいない。」
そして、言われた。
「はっきり言っておく。
預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
確かに言っておく。
エリヤの時代に
三年六か月の間、雨が降らず、
その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
イスラエルには多くのやもめがいたが、
エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
また、
預言者エリシャの時代に、
イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、
シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、
イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、
突き落とそうとした。
しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。』
ルカによる福音書 4章16-30節
今日も『御言葉』を私なりに考えてみました。
イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けてから、
ガリラヤ全土で宣教を開始しました。
そして、イエスの評判も広まっていったのです。
そこで、
イエスが故郷・ナザレを訪問なさったとき、
故郷の人々は喜んでイエスを迎え入れたのです。
人々は、イエスがいろいろの所でなさっていることを聞いていたので、
イエスは故郷でも同様なことをなさるだろうと期待したのです。
ところが、
故郷の人々の間には、『本当の信仰』を見出すことが出来ないイエスは、
故郷では特別なことをあまり出来ませんでした。
そこで、
故郷・ナザレで、
『主の恵み』を告げるイエスに、反対が始まるのです。
『主の恵み』とは、
イエスが会堂で朗読された※『イザヤの預言』※の言葉が述べるとおりです。
※貧しい人に、『神の愛』を伝えるのです。
それは、イエスが彼らの支えとなり、味方になることです。
※病人を、癒し、回復されるのです。
それは、イエスが病人を癒されていることです。
『主の恵み』は、
イエスが会堂で言われたとおりに、
「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」のです。
イエスの言動において、『主の恵み』は実現したのです。
イエス様は、
※ユダヤ人と異邦人の区別はなさらないのです。
神は全ての人の救いを望んでおられるのです。
イエスは全ての人に『神の愛』を伝えるために来られたのです。
※故郷だからといって、特別なことはなさいません。
※『選民』であるユダヤ人だからといって、特別ではないともおっしゃるのです。
昔の預言者エリアとエリシャが癒されたのは、
ユダヤ人でなく、信仰のある異邦人でした。
※『神の恵み』は全ての人に平等なのです。
『神の恵み』を受けるためには『信仰』が必要だと言われるのです。
※互いの対話と理解を大事になさるイエスは、一方的な強制はなさいません。
対話を出来る時が来るまでと、御自分はその場をいったん離れられたのでしょうか?
私たちも、
貧しい人、弱い人、孤独な人、さびしい人、が多くいる今の世で、
互いに支え合い、互いに味方となって、互いに対話と理解をし合って、
『希望』を与えあうことが出来るようになりたいですね。
『今日の拝領祈願』
『全てを治められる父よ、
わたしたちを聖霊によって導いてください。
口先だけでなく、行いと真実をもって、神の国の証しとなることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
全国的に新学期が始まったようです。
世界中の子供達の健康が守られますように、最善の努力をしてまいりましょう。 お元気で!
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