7月28日。日曜日。猛暑の晴れ日。
一服の清涼剤・・・ 『弦楽五重奏』
クラッシク:ドビュッシーの小組曲、J.シュトラウスのラデッキー行進曲、等々。
日本のメロディ:花、浜辺の歌、この道、出船、川の流れのように、等々。
美しい音色に、心が洗われ、心身ともに癒されます。
学生時代の友が、出身校が全部違う男5人で、『五重奏団』を結成して24年目。
阪神大震災の年に結成し、あちこちに慰問にも出かける。
施設等の訪問は、無償で、お人のお心を癒すために、共に祈る様な訪問なのです。
全員が黒のポロシャツが似合って、心意気がうかがえるようなさわやかさが、恰好いい。
友人は、学生時代の『オーケストラ・クラブ』以来の腕の持ち主です。
ず~と、アマチュアとして、”趣味だよ!”と、続けておられるのが素晴らしい。
『神戸市民交響楽団』に属していて、定期講演会も開いておられる。
真摯な生き方に、学ぶところが多く、感謝のひと時でした。
そして。
今日は7月28日。年間第十七主日。
『今日の集会祈願』
『いのちの源である神よ、主イエスはわたしたちにあなたを父と呼ぶことを教えてくださいました。
主のことばに従い、共に祈るために集まったわたしたちを祝福してください。』
今日は、神を信頼して、ひつこく、願い求める大切さを、二つ
学びます。
その一つ目。
神に『その信仰ゆえに義と認められた』アブラハム。
神への願いは、神を信頼して、あきらめることを知りません。
アブラハムの祈りを聞いてみてください。
『今日の第一朗読』
『その日、主は言われた。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。
わたしは降って行き、
彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」
アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、
その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、
あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。
全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
主は言われた。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
アブラハムは答えた。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。
もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。
それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
主は言われた。
「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
アブラハムは重ねて言った。
「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。
もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。
「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。
もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」』
創世記 18章20-32節
神様は、アブラハムの『お人の救いを願う祈り』のひつこさに、応えました。
この世に罪のない人は、
50人も、45人も、40人も、30人も、20人も、10人も、いません。
この世の人は、イエス様とマリア様を除いて、皆が罪深いのです。
それを、神様は勿論、アブラハムも知っていたことでしょう。
しかし。
神様は、『アブラハムの心=他者の救いを願う心』 をご存じだったのです。
神様は、アブラハムが神を信じて・・・
ただひたすらに、『すべての人の救いを願う祈り』 を聞き入れたのでしょう!
「私は、アブラハムの祈りと神への信仰ゆえに、わたしは滅ぼさない。」
・・・と。 神様は、決心なさったのでしょう!
”神様は、私たちの祈りを聞き入れない!” と思ってはいけないのです。
神様は、必ず、私たちが考える通りに、私たちにお答えになります。
神様が愛を下さるのは、私たちの信仰への、『神様の答』 です。
まずは。
神の愛をもっと深く信じることができるように、祈りましょう!
祈りの二つ目。
イエス様の勧める、神に信頼しきった人のする 祈りです。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは、弟子たちに言われた。
「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、
真夜中にその人のところに行き、
ノック!ノック!
次のように言ったとしよう。
『友よ、パンを三つ貸してください。
旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
すると、その人は家の中から答えるにちがいない。
『面倒をかけないでください。
もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。
起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
しかし、言っておく。
その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、
しつように頼めば、起きて来て
必要なものは何でも与えるであろう。
そこで、わたしは言っておく。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
このように、
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」』
ルカ福音書 11章1-13節
イエス様は、弟子たちに、どう祈ればよいかを教えました。
神は、あなたたちの父です。
人の父親でも、我が子に最高のものを与えます。
友人も、”夜中の訪問は面倒だな!” と思っても、ドアを開け、必要なものをくれます。
まして、
天の父・神が、あなたたちに最高のものをくれないはずがないのです。
天の御父・神の愛情とあわれみを信じて・・・
神・御父に求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
神・御父の門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 のですと。
私たちに問われるのは、”神を信じていますか?”、信仰です。
イエスは、いつもおっしゃるのです。
『あなたの信仰が、あなたを救った。』ルカ福音書 7章50節 と。
”神様は、私たちの祈りを聞き入れない!” と思ってはいけないのです。
神様は、必ず、私たちが考える通りに、私たちにお答えになります。
神様が愛を下さるのは、私たちの信仰への、『神様の答』 です。
まずは。
神の愛をもっと深く信じることができるよに、祈りましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
愛は辛抱が要ります。愛を与える人も、愛をもらう人も、相手を信頼する辛抱が問われますね。 お元気で!
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