11月19日。火曜日。晴れ。
今年も『紅葉狩り』の時期となりました。
今日は その①
『神戸森林公園』
長谷池の水面に映る 『紅葉 と 黄葉』
毎年の恒例行事
数カ所の紅葉スポットを巡って『一年の締めくくり』をするような行事。
巡る友も長年同じ。決まっている。
今日から『2019年の紅葉狩り』をスタートです。
夫と二人で毎年神戸森林公園
”きれいだね。” ”きれいですね!”
変わらぬ美しい景色を、毎年訪れ楽しめるのが、いと良い。
”今年も元気で来れましたね!” ”来れたね!”
変わらぬ言葉を、毎年繰り返せるのが、いと良い。
『もみじ坂』 から 『香りの道』 へ。
『昼食』 毎年定番 『おにぎり』
『具たっぷりおにぎり』
ボイラーでお湯を沸かして
『ふーふーインスタント味噌汁』
『毎年の恒例紅葉狩り』
若いときは、美しい自然を、自分の中に取り込んでいた。感覚的一致。
年を重ねて、神が示現する自然の中に、自分を溶け込ませていく。精神的一致。
沢山のものを見て、沢山経験し、沢山考えてきて、
一つの『結論』が見えてくる。
年を重ねるのも悪くない。
目を見張る美しさ。
木々も人もその成熟度がその姿に表れるものですね。
どっしりと。堂々と。気高く。
木々も人もその成熟度がその姿に表れるものですね。
『落ち葉』
『聖句』が浮かびます・・・
『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。』
ヨハネ福音書 12章24~25節
一粒の種が死んで、一粒だけが実るのではなく、何倍も増えて豊かになります。
イエスの犠牲:『十字架上の死』は、全人類の『新しい命』を生みました。
私たちも自分の命を手放して神にまかせる時、私たちは神と一緒に生きることになります。
”来年も又、元気で、紅葉見物に来ようね!” ”そうですね!”
恒例年中行事:『紅葉狩り』 その①は、無事に終了しました。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月19日。年間第三十三火曜日。
『今日の第一朗読 律法学者エレアザルの信仰宣言』
『律法学者として第一人者で、既に高齢に達しており、立派な容貌の持ち主であったエレアザルは、
律法学者イメージ
不浄な物を口にして生き永らえるよりは、
むしろ良き評判を重んじて死を受け入れることをよしとし、
生命への愛着があるとはいえ、
口にしてはならないものは断固として退けねばならない人々の取るべき態度であるとした。
彼は筋の通った考えを持っていて、
その年齢と老年のゆえの品位、更に新たに加わった立派な白髪、
だれにもまさった幼いときからの生き方にふさわしく、
とりわけ神が定められた聖なる律法に従って、
毅然とした態度でちゅうちょすることなく、
「わたしを陰府へ送り込んでくれ」と言った。
「我々の年になって、うそをつくのはふさわしいことではない。
そんなことをすれば、
大勢の若者が、エレアザルは九十歳にもなって異教の風習に転向したのか、と思うだろう。
その上彼らは、ほんのわずかの命を惜しんだわたしの欺きの行為によって、迷ってしまうだろう。
またわたし自身、わが老年に泥を塗り、汚すことになる。
たとえ今ここで、人間の責め苦を免れえたとしても、
全能者の御手からは、生きていても、死んでも逃れることはできないのだ。
だから今、
男らしく生を断念し、年齢にふさわしい者であることを示し、
若者たちに高貴な模範を残し、
彼らも尊く聖なる律法のためには進んで高貴な死に方ができるようにしよう。」
鞭の下で、まさに息絶えんとしたとき、彼はうめき声をあげて言った。
「聖なる知識を持っておられる主は、すべてのことを見通しておられる。
わたしは死を逃れることもできたが、鞭打たれ、耐え難い苦痛を肉体で味わっている。
しかし、心では、主を畏れ、むしろそれを喜んで耐えているのだ。」
彼はこのようにして世を去った。
その死はただ単に若者ばかりか、
少なからぬ同胞の心に高潔の模範、勇気の記念として残されたのである。』
マカバイ記Ⅱ 6章18-31節
そして。
『今日の拝領唱』
『世界よ、神に向かって喜びの声を上げ、歓声を上げ、喜び歌い、ほめ歌え。
遠く地の果てまですべての人は、私たちの神の救いの御業を見た』
詩編 98章4&3節
紅葉の美しさを見て、神の救いを知って、
律法学者・エレアザルの信仰とその死を知って、
全人類は、永遠、無限、全能の主なる神をたたえましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
気持ちの良い天気の日々が続きます。外に出て紅葉のお散歩を楽しみましょう。 お元気で!
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