4月12日。火曜日。晴れ。
今日は、
日もうらうらと
暖かく・・・
夏日となりました。
今年も咲き出しました。
お隣さんの・・・ 『藤の花』 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/17/19246aa4f3507388af2e7fd43b058a08.jpg)
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『藤咲くや日もうらうらと奈良の町』 芥川竜之介
そこで私も一句・・・
藤咲くや夏日となった隣の窓辺
花々や木々は神聖なものです。
その神聖は、自ら生み出すものではなく、
自らの中に宿る『神聖』を、そのままに受け入れ、それを生きている姿であろう。
私たちは、
『神聖』を生きる花々に傾聴することで、
『真理』を体得するのです。
人は、尽きない悲しみや苦しみに、
希望を失いそうになります。
すると、
花々の声が聞こえてきます。
”大丈夫! 私に真似てみて!
自分の中の『真理=神』にあなたの悲しみも悩みも
すべてをゆだねなさい!”
と応援してくれるのです。
『イエスの御言葉』を思い出します。
『今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなた方にはなおさらではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の労苦は、その日だけで十分である。』
マタイによる福音書 6章30-34節
今日も、世界でも日本でも、悲しい出来事を見聞きします。
今日も、神にすべてをゆだねて、
希望を持ち続けることができました。
感謝!感謝!
そして。
今日は4月12日。受難の火曜日。
『今日の入祭唱』
『主よ、貪欲な敵にわたしを渡さないでください。
偽りの証人、不法を言い広める者が、わたしに逆らって立ちました。』
詩編 27章12節
『今日の詠唱』
『わたしたちの王である主よ、
父に従ってあなたは十字架につけられるため、子羊のように連れて行かれた。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
イエスは、弟子たちとともに食事の席についておられたが
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心を騒がせ、断言された。
「はっきり言っておく。
あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、
顔を見合わせた。
イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、
イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
シモン・ペトロはこの弟子に、
だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。
その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、
「主よ、それはだれのことですか」と言うと、
イエスは、
「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」
と答えられた。
それから、パン切れを浸して取り、
イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
ユダがパン切れを受け取ると、
サタンが彼の中に入った。
そこでイエスは、
「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」
と彼に言われた。
座に着いていた者はだれも、
なぜユダにこう言われたのか分からなかった。
ある者は、
ユダが金入れを預かっていたので、
「祭りに必要な物を買いなさい」とか、
貧しい人に何か施すようにと、
イエスが言われたのだと思っていた。
ユダはパン切れを受け取ると、
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すぐ出て行った。
夜であった。
さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。
「今や、人の子は栄光を受けた。
神も人の子によって栄光をお受けになった。
神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、
神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。
しかも、すぐにお与えになる。
子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。
あなたがたはわたしを捜すだろう。
『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』
とユダヤ人たちに言ったように、
今、あなたがたにも同じことを言っておく。」
シモン・ペトロがイエスに言った。
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「主よ、どこへ行かれるのですか。」
イエスが答えられた。
「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、
後でついて来ることになる。」
ペトロは言った。
「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。
あなたのためなら命を捨てます。」
イエスは答えられた。
「わたしのために命を捨てると言うのか。
はっきり言っておく。
鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」』
ヨハネによる福音書 13章21-33節&36-38節
今日のイエス様は、
※一人の弟子がイエスを裏切ること、を予告しました。
又、
※ペトロの否み、を予告しました。
イエス様は、
最後の晩餐の席で、弟子たちの足を洗いました。
そのときに、「今あなたたちは綺麗になりましたが、皆が綺麗になっていない」
と言われました。
更に、
「あなたたちの中に、一人は私を裏切る」と言われました。
その後で、イエスはユダにパン切れを与えて、
「今すぐに、することをしなさい」と言われました。
ユダが出て行ったのは『夜』でした。
夜は暗さを表します。
その暗さは、イエスの回心の呼びかけに応えることのなかった、
ユダの心を表しているのでしょうか。
『希望』のない心です。
ところが、
イエス様は、その『暗さ』の時を、
『今や人の子は栄光を受けた』時、とおっしゃったのです。
『イエスの時』=『受難の時』が来た、とおっしゃったのです。
それは、
イエスが敵・死に勝ち、愛が憎しみに勝利し、罪に勝たれる時、
『勝利の時』なのです。
『十字架』
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それは『イエスの栄光』となりました。
💖イエスは、御父・神に最後まで従順であり、
『御父の御心』を完成させて、
御父に『栄光』をお与えになりました。
💖御父は、イエスの従順に応えて、
イエスを復活させて、
イエスに『栄光』をお与えになったのです。
私たちも、
私たちの罪ゆえに、神を恐れる必要がなくなりました。
イエスの『十字架』が、私たちの罪に勝利してくださったのです。
私たちは、ただ神を愛して、感謝するだけでいいのです。
神に信頼して、神のもとに戻ることにいたしましょう。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
花々も新緑も美しい季節になってまいりました。
名所を訪ねるのも良し、又 近所で美しさを愛でるのも良しですね。
穏やかな一日をお祈り申し上げます。 お元気で!
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