2月21日。月曜日。快晴。
今朝も
早朝ウォーキング。
『夜明け前』
美しい。
昇ってくる太陽の明かりが『今日の始まり』を告げます。
”今日も頑張ろう!”
一日の始まりのエネルギーをもらいます♡♡
歩きながら・・・
ラジオで聞いた『出来事』
ずっと思い出していました。
『半世紀・50年以上続く愛の行為』
どこの県の市役所の出来事かはうろ覚えです
52年前に、市役所の福祉課宛てに『封筒』が送られてきました。
何が入っているのかと、用心して開封してみると・・・
『福祉のために使ってください』との肉筆の手紙とともに
『1000円』が入っていました。
一番最初は、
”どういうことでしょう?” くらいの軽い気持ちで、
市役所は『封筒』を軽視したそうです。
ところが、
それから後・・・
現在に至るまで、毎月一回、半世紀・50年間以上、
必ず、休むことなく、
同じ筆跡の『福祉のために使ってください』の『言葉』を添えて
『1000円』が送られてくるそうです。
その『愛の献金』の合計は、
💕1000円×12ヶ月×52年=62万4千円になったそうです。
市役所は、
💕そのすべての封筒を、大切に保管しているそうです。
💕そのすべての献金を、大切に福祉のために使っているそうです。
私は考えました。
62万円を一度に献金なさる方もおいででしょう。
素晴らしい方たちです。
そして、
62万円を、毎月『1千円』ずつ『愛の応援メッセージ』とともに、
52年間、献金を続ける御方は、どんな御方なのでしょうか!
どんなにか素晴らしい御方に違いありません。
”手紙の筆跡はしっかりしていることから判断して、
ご厚意はまだ続くと思います”
との役所の方の”言葉”でした。
更に、
歩き続けると、
公道に・・・
春の訪れを告げる・・・ 『菜の花』
幹線道路に沿って 『花壇』 季節の花を咲かせます。
こちらも、一人の御主人様によって続いている
『愛の行為』です。
目立つこともなく、人々に喜びを与え続ける、
💕『隣人愛』💕
今日も、世の中のあちこちにおいでの義人の皆様の手本に倣って、
私も頑張って生きていきたいものです。
感謝!感謝!
そして。
今日は2月21日。年間第七月曜日。
『今日の入祭唱』
『新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
詩編 98章1節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは三人の弟子とともに山を下りて、
ほかの弟子たちのところに来てみると、
彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、
律法学者たちと議論していた。
群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、
駆け寄って来て挨拶した。
イエスが、「何を議論しているのか」
とお尋ねになると、
群衆の中のある者が答えた。
「先生、息子をおそばに連れて参りました。
この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。
霊がこの子に取りつくと、
所かまわず地面に引き倒すのです。
すると、
この子は口から泡を出し、
歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。
この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、
できませんでした。」
イエスはお答えになった。
「なんと信仰のない時代なのか。
いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。
その子をわたしのところに連れて来なさい。」
人々は 息子をイエスのところに連れて来た。
霊は、イエスを見ると、
すぐにその子を引きつけさせた。
その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。
イエスは父親に、
「このようになったのは、いつごろからか」
とお尋ねになった。
父親は言った。
「幼い時からです。
霊は息子を殺そうとして、
もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。
おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」
イエスは言われた。
「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
その子の父親はすぐに叫んだ。
「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、
汚れた霊をお叱りになった。
「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、
わたしの命令だ。
この子から出て行け。
二度とこの子の中に入るな。」
すると、
霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。
その子は死んだようになったので、
多くの者が、「死んでしまった」 と言った。
しかし、
イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。
イエスが家の中に入られると、
弟子たちはひそかに、
「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」
と尋ねた。
イエスは、
「この種のものは、
祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」
と言われた。』
マルコによる福音書 9章14-29節
今日のイエス様は、
悪霊に取り付かれて者を言えない子を癒やすことができない
弟子たちの不信仰を、指摘します。
それぞれの信仰が
対照的に際立ちます。
※イエス様のお力 と 弟子たちの無力さ。
※律法学者や群衆や弟子たち と 病気の子どもの父親。
『信仰』とは、
イエスが持っておられる『神の力』を認めることです。
※イエスの言葉を聞く群衆も、律法学者も、弟子さえも、
イエスの言葉を理解できないのです。
※弟子たちは、
『悪霊を追い出す力』をすでにイエス様から頂いているのです。
しかし、
『悪霊を追い出す力』を発揮するためには、
それは、『自分の力』であると勘違いすることなく、
あくまで、『神の力』が発揮されますようにと、
祈る必要があるのです。
※病人の父親は、
自分の信仰は弱いと認めながらも、
父親の『信じます』との信仰ゆえに、
『イエスの力』を引き出したのです。
息子の病が癒やされたのです。
私たちキリスト者も、
イエスの仕事を続ける『使命』を受けています。
それでも、
私たちの『使命』は自分の力ではできない、と認め、
祈りの内にうちに、イエスと結ばれ、『神の力』を頂き、
小さくても『愛の行為』:『隣人愛』を
実現させていきましょう。
祈りましょう。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『わたしたちの救い主キリストは死を滅ぼし、
福音を通して不滅の命死を現してくださいました。』
テモテへの手紙 1章10節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
見渡せば、世の中、沢山の方々の『愛の行為』がいっぱいですよね。
私たちも『愛の連鎖』の一員になりたいものですね。 お元気で!
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