マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

新年の始動・・・『幸多かれ!』 そして 『イエスが、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。』

2021-01-08 10:00:00 | 私のこと
1月8日。金曜日。曇り。

今日の気温は一日中零度以下。
起床時は5時は-4度。午後3時は0度。夜10時半は-4度。
寒い一日でした。

      凍り付きそうな気温の中の   『オアシス』 
  
            窓辺におかれた『シクラメン』が元気をくれます。 

             今日頂いた年賀状は1通でした。
    今日は、今年頂いた年賀状を、まとめて、ゆっくりと読ませていただきました。
         添えられた『一言』に、送り主の心の内が読めるようです。

昨年一年間のコロナ禍の後に迎えた新年の皆様の賀状は、『命の大切さ』がにじみ出るようです。
         孫の成長を喜ぶ『報告』には心癒やされます。
     一方、独り身となった友人の『一言』には、読む私も涙が流れます。


 どなた様にも、悲喜こもごもの昨年があり、希望に向かっていく年の初めがあります。
         賀状をお送りくださった方々の新年のお幸せを
              ”幸多かれ!”
         改めて、心よりお祈り申し上げた今日でした。
      


そして。

今日は1月8日。降誕節金曜日。

『今日の入祭唱』

  『まっすぐな人には闇の中にも光が昇る。
      憐みに富み、 情け深く、 正しい光が。』

           詩編 112章4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスがある町におられたとき、
      そこに、 全身重い皮膚病にかかった人 がいた。

        『イエス、重い皮膚病の者を癒やす』     Petrus Comeston 作品

        この人はイエスを見てひれ伏し、
 「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」 と願った。

       イエスが手を差し伸べてその人に触れ、
         「よろしい。清くなれ」  と言われると、
         たちまち重い皮膚病は去った。

イエスは厳しくお命じになった。
        「だれにも話してはいけない。
ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」

しかし、イエスのうわさはますます広まったので、
大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。

     だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。
 
            ルカ福音書 5章12-16節


   イエス様は、十二人の弟子を派遣するにあたり・・・
     
『十二人を集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす、力と権能をお授けになった。』 のです。
   その『権能』は、                              ルカ福音書 9章1節
『病人を癒やし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払う』 
                ための『権能』でした。          マタイ福音書 10章8節


          旧約時代においても、イエスの時代においても
  『重い皮膚病』の方々は、感染力があると考えられ、隔離されて場所に住んでいました。
       人が、その病人さんに触れることも、律法によって禁じられていました。
    病人さんは治ったときには、司祭に体を見せて、『完治証明書』 をもらってから、
          人々のもとに帰ることができました。 

        新約時代になって、
          イエスは、重い皮膚病の方たちを治します。
イエスの『来臨の目的』の一つは、『多い皮膚病の方の清め』 であったと告げられています。
       イエスの弟子たちも、与えられた『権能』 によって、
              イエス亡き後に、『イエスの来臨の目的』に参与したのです。

    今日は、

       重い皮膚病の方 も イエス様も、
           律法に優る愛のゆえに、 『律法違反』をしました。

重い皮膚病の方は、隔離施設から出てくることは違反であると分かっていたことでしょう。
       しかし、病人を癒やす力のあるイエス様に『出逢うこと』は、
         自分にとって、回復のための『唯一の機会』と思って、
             イエスに近づき、
    『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』 と信じたのです。

  イエス様は、『手を差し伸べてその人に触れ、 「よろしい。清くなれ」』と、
      病人さんの『信仰』を御覧になり、 病人の癒やしを実現されたのです。
    しかし。 『重い皮膚病患者に触れる』 ことで律法に背いたのです。

  
  いつの時も・・・    
   『愛は律法に優る』 これが 『イエス様の行動の原点』 なのです。


   イエス様は、 ご自身の『愛』 と 人の『信仰』 によって、 『救う』のです。
       重い皮膚病の方を癒やし
更に その病人さんを「社会」に戻して、人間としての生活に戻されたのです。
 

『律法』の『厳守』 では、病人を癒やすことはできないだけでなく、自分の『救い』も難しいことです。
    一方。
『救い主・イエス』への『信仰』で、 病気が『癒やされ』 又 『救い』が実現するのです。


       イエスの噂を聞いて、癒やしを願って集まった大勢の群衆には、
       イエス様は、『信仰』を見ることが出きなかったのでしょうか?
        イエス様は、癒やしの前に・・・
         イエスを『主』と呼ぶ『信仰』を、願っておられるのです。
        
       イエス様は大勢の群衆を憐れまれ、
       群衆の『信仰』が生まれることを、神に祈ってくださるのです。


私たちも、
信仰深くありたいものです。
私たちも日々の仕事をするときに、
神に祈って、神に支えられて、進めたいものですね。

     
『今日の拝領唱』

    『神は、独り子を世にお遣わしになりました。
  その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
    ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。』

        ヨハネの手紙Ⅰ 4章9節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
全国的に、寒さ厳しい数日が続くようです。
皆様が、事故のないように、健康が守られますように、お祈り申し上げます。 お元気で!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿