どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

シカゴマラソン 顛末

2007-10-09 07:20:48 | うるるん

シカゴマラソンで死者まで出たのを知ったのは、日本からの私の安否を心配する電話でだった。

マラソンが終わって家に着いてみると、TV、インターネットどちらも使えず、なんにも情報が入ってこなかった。陸の孤島と、なるのね、情報がないと・・。

さて、私のレースの結果は32キロ地点で沈没。激しい頭痛で吐いてしまった。悔しいけど、歩いてゴールに向かうことも出来なかった。バスに乗せてもらってゴール地点に帰ってきた。バスに乗っていた女性の一人が意識がなくなったように、目を宙に向け、口をあけて座ったまま動かなくなった。異変に気付き、救急隊の人が駆けつけてくれた。そのとき始めて、マラソンで人がこんなに傷つくのだと恐ろしくなった。回りにいた人も同じ気持ちだったのだろう。女子たちは泣き出した。

たくさんの参加者と アメリカらしいのりでスタートしたのは、公式スタートから30分たったころだった。昨年の写真では皆が毛糸の帽子をかぶってスタートしていたが、今年は半そででも暑いと感じるほど、すでに日が照り付けていた。

たくさんの沿道の人たちの応援、様々な参加者の様子を楽しみながら、快調に15キロ付近まではきた。ただ、暑さで第二給水ポイントでは、すでに先のランナーたちに飲み物を飲みつくされていていたこともあり(給水なし)、とっても、のどが渇いてはいた。ランナーたちは、沿道の応援の人たちの飲み物をもらったり、噴水がある公園で寄り道をして、水を体にかけたりするようになっていた。

その頃から、頭痛がしていきた。足に異変はないものの、背中も痛い。

暑さはますます激しくなるようで、沿道の応援の人たちが、ホースでランナーに水をかけてくれたりしていた。私は、全身がずぶぬれになるのは嫌だったので、水をかけられないように走っていた。

ハーフを過ぎた頃から、頭痛が激しくなってきた。給水ポイントでは水、ゲータレードはもらえるものの、生ぬるい。また、ランナーが殺到するために、足を止め、並んで待つ状態になっていた。道路には紙コップが散乱し、滑りやすくもなっていた。

もうだめだ・・・・と、思いながら色々なことを考える。ここでやめるのは、あまりにも悲しい、悔しい。そんな時・・・。がんばれ、がんばれ、がんばれ! と、日本語で声をかけられる。無意識にそちらをみる。若い男性が私を見て、声をかけてくれていた。母国語で聞く応援は、なんとも心にのこった。耳にもその声がいつまでも残っていた。元気を取り戻し・・と、走り続けるが、28キロ地点で、頭痛のために足が止まる。そこから歩き始めて、家族に救援を求める。冷たい水がのみたい!!

歩いてたどり着いた30キロ地点。ポリスがマイクを使って大きな声でしゃべっている。走るのをやめなさい。レースは中止になりました。たくさんの人が、傷ついています。走るのをやめて歩きなさい  

へえ? レースは中止なの?  誰かが皆の意見を代表したように聞く。 走るのをやめてもメダルはもらえるの? もちろん。なんでもあげるから、走るのをやめて という、女性のポリス。

正直、私も、ああ走るのをやめてもいいんだ・・・・と思った。と、そのまま、道路わきで吐く。吐くものは何もないから、ただ水を吐いた。

それでも、元気にゴールを目指して歩く人の列は途切れない。私も歩きたかったが、もう、力が残っていなかった。

バスでゴールまで連れて行ってもらう。メダルをもらうころには、なんとなく元気になっていた。水とゲータレード、ビールが用意してありますという、アナウンス。迷わず冷たいビールをもらいにいった。バドワイザーの大きな、冷蔵車がタンクでビールを配給していた。ああ、ここはアメリカだと最後に笑った。

足も痛くないレース後は、ああ・・・・と、後悔が残る。

でも、私は同時にわかってもいた。私の足はフルマラソンを走るほど鍛えてはいない。フルを走る人の足は私とは全く違う。また、レースを良く知っている人は、自分でボトルをもって走っていた。小さなボトルを体に巻きつけている人もたくさんいた。給水は少しずつしなくてはいけなかった。私は、がぶがぶ飲んでしまったから、最後には胃が飲み物を受け付けなくなってしまった。

ウェアーも最近は露出しすぎ・・・と、思っていたが、あれぼど暑いと、あれくらい露出しないと、体の熱がこもってしまうのだろう。ほとんどの人は、おなかを出して走っていた。私は、黒の長めの短パンだったし、Tシャツも袖がついていた。思い切ってタンクトップにしたほうがよかっただろうし、色も白がよかったのだろうと反省する。

ただ、面白い発見もあった。ペースメーカー君。5:00 と背中にゼッケンをつけ、PASE MAKER と印字されたTシャツを着て、風船を持って走っている人に会った。ああ、彼についていけば5時間でゴールできるのかあ・・・・・ああ、そういう意味でペースメーカー君、さん、がいるのだと始めてわかった。

なんだか大変な大会に参加していたことになった。これも、良い経験になった。走ったことを後悔なんか全くしていない。

ただ、自分で自分を褒められないなあ・・・。帰国までにもう一回、USでフルに挑戦したいと思った。

ご苦労様!!!!声援ありがとう!!!協力ありがとう!!!!

 

コメント (2)
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