どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

100人パーティー

2009-07-26 03:47:47 | Weblog

25日は、息子の誕生日だった。「親からたいした才能をもらっていないから、努力する以外にない」というのが彼の持論。確かに、運動神経も悪そうだったし、歌を歌えばひどい音痴である。

しかし、やり続けるすごさというのを、実は私は彼から学んだようなものだ。サッカーはいまも現役で続け、この夏は日本のT大学のサッカー部といっしょに練習させてもらっている。高校ではキャプテンを務め、MVPも獲得した。

習字は地団駄を踏みながら、周りにあたりちらし・・・こんなことで、習字をする意味があるだろうか・・と、私は何度考えたかわからない。しかし、彼はみるみる頭角を現し、ついにトップになり、子供8段まで上り詰めた。渡米で中断したが、子供らしい、やんちゃな、でも力強い字を書いていた。

ピアノはサッカーとの両立に悩んだ6年生との時に、一度だけやめたいと言った。私は、続けて欲しいとさらりとかわした。その後、あまりにたいへんそうなので、やめてもいいよ と言ったら、どうしてあの時にやめさせてくれなかった と、涙ながらに抗議し、辞めないと言い切った。そして、今は大学でも教授について、学内でほかの楽器とアンサンブルをしたり、ソロでコンサートをしているらしい。毎日の練習は欠かさないし、夏休みの帰国時も、幼いころからの先生のもとに通い、レッスンを続けている。私たち家族は、まるで音大の生徒がいるような、暮らしをしている。

***彼は大学で物理と数学の勉強をしている。決して音大生ではない。でも、学部間の垣根が低い米国の大学だからできる、豊かな学術生活ではないか・・・あーうらやましい。そうそう、大学はほとんど全寮制のようなものだから、ピアノの練習は大学の練習室でいつでもできるそうだ。***

しかし、正直彼を育てるのはとてもたいへんだった。自己主張が強く、感も鋭かった。幼いころどこかに連れて行っても、おとなしくしていることはなく、私は彼の態度に我慢ができず、何度席を中座して帰宅したかわからない。

そのころは、なんせ歳の近い男の子三人を育てていたから、私自身にも余裕がなかったのだろう。そんな、私を支え続けてくれた友だちがいる。子育て仲間のちょっとお姉さん。

彼女は、いつも私に会うたびに(毎日会っていたから、毎日かも・・・)彼のことをほめてくれた。彼女は彼のどんな問題行動も、賢いのよ やさしいのよ 思いやりがあるのよと違う視点で表現してみせてくれた。そして 大切に育てるのよ、とてもいい子なんだよ と、言い続けてくれた。

本当に言い続けてくれた。彼女のことばは、私に私におきているさまざまな出来事を違う視点でみられる余裕を与えてくれた。.

小さい子供がおとなしくしているほうが不思議なんだ。今は無理なんだから、今は彼らがやりたいことを優先しよう。私は外で思いっきり遊ばせ、ダンボールで好きなだけ工作をさせ、小さなエプロンを縫ってあげて、毎週料理にも挑戦させた。

毎日くたくたに疲れ、三人の息子に絵本を読んであげながら、誰よりも私が先に寝ていた。長男、次男を私の両脇に、三男はおなかの上に乗せて絵本を読んだ。

自分が先に眠るから、子供が寝ないとイライラしたことはなかった。そして、夜中におきだし、自分の好きなことをしていた。大切な一人の時間は毎日きちんと、確保できた。子供が寝てから・・・ではなく、自分も寝てしまった後からというのが、本当によかった。子供は眠ってしまった母親の元を、離れることはなく、安心して熟睡してくれた。(と、今も信じている。なんたって、眠っていたから・・・)

でも、もし彼女がいなかったら・・彼を育てることは非常に難しかったと、今でも思う。

昨日は、区切りの誕生日。近くに住む別の友達が、シャンペンを届けてくれた。

彼の誕生日、彼におめでとう という気持ちと、ここまで育てられました、ありがとうございました という、彼が成長するにかかわって下さった、すべての人に感謝したいという気持ちがある。

そこで、100人パーティーを開きたいと思っているがどうだろう。小さな、ガーデンパーティーでもいい。ありがとう という気持ちを伝えたいと思っている。できるかなあ・・・

コメント
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