3月11日で、あの震災から3年になる。
私は、仙台にいて、津波は来なかった。地震の警報が鳴った。でも、とっさにどうしていいかわからない。その後、ものすごい揺れが来た。
皿の壊れるバリバリという音、しんしんと降ってきた雪、何も品物がないコンビニ、閉まったままのスーパー、様々なことが思い出される。
思い出というのではない。何か、よみがえってくる感情と情景と言った方がふさわしいような・・・
なかでも忘れられないことがある。
震災後、ガソリンが手に入らなかったこと。どこのガソリンスタンドが開くのかわからない。予想をつけて車で並ぶ。列は道路に長く長くなる。そのうち、いったいどこのガソリンスタンドに並んでいるのかわからなくなった。
私は、あたりをつけたガソリンスタンドに早朝から並んだ。が、4時間たってもそのスタンドは開かなかった。見切りをつけて、仕方なく、他のガソリンスタンドを求めて車を走らせた。すぐに近くの道路に列の最後尾があった。そこへ、並ぶ。でも、それがどこのスタンドかわかってはいなかった。
救いは友人と二人だったこと。私はガソリンン、彼女は石油を必要としていた。二人で並ぶから、なんとか気も紛れるし、開いているコンビニがあれば、商品はないがトイレは借りることができた。車はほとんど動かない。でも、列を離れると、追い越されてしまう状況。動きたくても、動いたら今までの苦労が水の泡になる状況だった。そんな時、前の車から、ひとりのお年寄りが降りて、私たちに話しかけてきた。そのお年寄りは、隣の市から、ガソリンを求めてこられたという。透析をするために週何度が病院に行かなければならず、そのためにガソリンが必要だという。
当時、ガソリンは緊急車両のみが特別に給油してもらえるシステムになっていた。でも、病人、それも個人であれば、何の配慮もされていなかった。命にかかわることに違いはなかったはず。でも、災害時に、あれこれ言ってもどうしようもないことは、自分たちが一番知っていたような気がする。
私たちはそれから2時間くらい並んだように覚えている。その時、突然、目の前のコンビニが開いた。(閉まっているコンビニもたくさんあった)。トイレを借りたくて入ってみると、できたてのおにぎりが並べられていた。30個くらいあったような・・・。昆布が入っていたような気がする。種類なんてない。でも、それでも、おにぎりは久しぶりに見た。
私は、ためらったが3個買った。自分と、友達と、その前の車のおじいさんの分。車の窓をたたいておじいさんにおにぎりを渡した。
恥ずかしかったけど、受け取ってもらえて本当にうれしかった。その後、15分くらいたってから、おじいさんがこちらの窓をたたいた。何かの紙の裏に、お礼が書いてあった。「情けを頂戴して・・・」というような文言だった。今は、もう、覚えていない。
でも、あのおじいさんのこととはずっと忘れられないでいる。