父の形見の時計のガラスがとれた。
大事な時計だからと、大手の店にもっていった。
すると、愛想のない店の(仙台は大半がこういう店です)女性の店員さんが、調べてみますという。そして、「この時計は分解掃除が必要です。秒針も変える必要があります。それに、それらをしたとしても、長く持つとは限りません」「相当古い時計なので、部品もありません。この金額を払うのなら、新しいものを・・・・というのも、ひとつの方法です」といって、16000円くらいの修理が必要だと言われた。
私は、その老舗(三原本店)の胡散臭さが気になり、感覚的にそれを受け入れる気にはならなかった。何も根拠がないという点で、感覚的だった。
そして、時計を個人で直している知り合いがいるという友達に、その時計を見てくれるように頼んだ。
今日、その返事が返ってきたのだが、「ガラスが少し磨滅しているので、交換したほうがいいが、中はきれいで掃除の必要はない。しばらくは使えますよ」。修理費は2000円ちょっとだという。
こういう、個人の職人さんってとても大事だと思う。時計と使う人ことを考えてくれるからだ。決して自分の新しい時計を売りたいとは思っていない。
私は、いつも電化製品を修理に出すと、「買い換えたほうが安いですよ」という、話を聞いてきた。それならと、まだ使える電化製品を捨ててきた。
でも、道徳教育で、ものは大事にしましょうと習った。だから、大事にしてるのに、部品がないとか、新しいほうが安いよってどういうことなんだと思ってきた。
震災の時、電気が使えなかった。ストーブは全部電気を必要とするものに買い替えていた。反射板式のストーブは何年も前に捨てた。大阪から夫に買ってきてもらったのは、電気の要らないストーブだ。何年も前に、壊れてもいないのに捨ててしまったストーブだよ。なんとも、複雑な気持ちになった。
今、迷わずに、父の時計を直してもらおうと思う。やっぱり、ものは大事にしなくちゃいけない。
私が使っていた、ソーラーの腕時計も直してもらった。こちらは、買った先のヨドバシで無料で直してもらった。うれしくて、ベルトを新しくした。大事にするからね~と思っている。