どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

手伝い

2015-09-16 10:26:52 | 舞いあがる

日本の、漢字からなる言葉って本当によくできていると感心することがよくある。

最近、私は手伝いのことをよく考えていた。小学1年生から大学生になっても、私はよく手伝いをしていた。実家が田舎だったからだと思う。やることがたくさんあって、皆が働いていたからね。子供(私)の成長に合わせて、お手伝いの領域が広がっていった。小学低学年の時は、いとこのお守りが多かった。火を使えるようになると、簡単な食事の支度をたのまれた。高校の時は、勉強中心だったけど、大学生になってからは、休みのたびに「帰れ」「帰れ」と言われ、家を手伝った。

主に、家事が中心だった。掃除、洗濯、料理、母がやりたくないことを主にやった感じがしている。

そんな私は、息子にお手伝いをさせてこなかった。料理をさせたりはしたけど、それは料理を楽しくするためであって、決して家事をさせていた訳ではなかった。トイレ掃除もさせなかったし、季節ごとの衣類の整理なども教えてこなかった。たぶん、私に十分な時間があったからだ。自分がお手伝いをしていたことも、子供には、させたくないと思った理由かもしれない。時間をたくさん拘束されたという思いが残っているからだ。

だけど、私は最近、後悔をし始めている。あまりに多い若い人たちの問題行動が、お手伝いをしてこなかったとか、そういう生活の根本のところに原因があると感じているからだ。

そして、ふと、今朝、気づいた。お手伝いって、「手」を「伝えること」だったんだと。

気づいてから唸ってしまうような、なんとも言えない気持ちになった。

親から子へ、手を伝えることがお手伝いだったんだ。時間を拘束することではなく、手を伝える作業だったということ。

そういう意味では、私は母からたくさんのことを教えてもらった。母の手を伝えてもらった。衣類の整理、お寿司の作り方、生活の中から身についたものがたくさんある。

私は、息子に 手を伝えてこなかった。今更遅いな~。成長に合わせてやるべきだったと、いっぱい後悔している。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする