高校のときだった。女の子の友人と二人で、新聞部の中の人間関係について話していた。そのときの会話はその後の私に大きな影響を与えた。
人間関係といっても、女の子同士の関係。その友人曰く、長女同士だから合わないのかなあ・・・・。私と、その友人Mは兄がいた。つまり、第二子で長女、その他は全員が第一子の長女だった。つまり、、姉とういう立場。M曰く、姉同士は合わないという。長女は上に立つことが多く、自立している。頼られることが多く、頼ることは少ない。私たち二人が結構みんなとうまくやっているのは、妹だからだという。妹は甘え上手で、頼りたがるらしい。
その時は、始めて聞いた話に、へえ~そんなことあるのかなあ・・・・と、思った。
しかし、その後私は、人間関係をはかる場合、その人の兄弟の中での位置を意識するようになった。これは、結構面白い性格分析になる。
昨年だったか・・・・そういう本を見せてもらったことがある。なあんだ、私が高校からずっと考えていたことは、本になるんだと思った。
私は、5歳離れた兄がいる。両親が晩婚であったせいもあって、(母は断固として自分で結婚相手を探すと宣言。妹を先に嫁がせて、結婚相手を探した。なので晩婚)
第一子長男である兄は相当の重圧の中、親の期待を一身に受けていた。兄の部屋には、根性 という文字がやたらと、飾ってあった。旅行に行くたびに、父は、根性という文字が入った壁飾りを兄にお土産として買ってきた。根性だらけの部屋という印象が、私には有る。
歳が離れて生まれた私は、兄の遊び相手にはならなかった。一度、幼い頃の記憶で、お願いだから僕についてこないで・・・・と、懇願された思い出がある。それからというもの、私は、兄という存在から、付いてこようとする妹を離してあげることが、親切で、正しい行為なのだと思っていた。だから、子供たちのお友達で、お兄ちゃんの立場のお子さんの、妹さんは極力遊びに来てもらいたくなかった。でも、そうではない兄もいるということも、わかってきた。
つまり、私は、一人遊びをしている時間が長かったことになる。だから、長時間誰かと一緒に同じ事をして遊ぶのは苦手だった。その代わりに、たくましい創造力で自分の世界をつくりあげていくようなところがある。一人遊びというのは、一人芝居のようなもので、自分で役をいくつもこなしていたような覚えがある。そしてそれは、今の自分の性格形成にも大きくかかわってきたと思う。
大学時代は、経済学部で、まわりは男の子だらけだったが、違和感もなかった。どちらかというと、高校時代、女の子同士で連れ立って行動することに、ストレスを感じていたし、神経をすり減らしていたので、かえって開放感でいっぱいだった。
家庭人となった今、実は高校時代に味わったような、神経の使い方を、再びしている。
女同士、上手に一緒に居られる人たちは、どうも姉妹をもっている人が多いように思う。それも、二人。二人の姉妹の姉と妹が、割符のようにぴったり一致するとこれは、なんとも強い友人関係をつくりあげるような感じがする。
姉妹も三人だとまた、ちょっと面白い。長女にあまり特徴はなく、繊細そうで実は大胆不敵な次女、賢く明るいが、結構気の小さい三女 なあんてね。勝手に決め付けていますが・・・・。こんなこと、書いたら怒られるかなあ。
人間関係に悩みは多いが、結局割符の片割れを探すのか、合わない割符を距離をとって、合わしてみようと敢えてしないのか・・・・自分で、選ぶしかないような気がする。ただ、どこか、我慢をしたり、さびしいと感じることもあるかもしれない。でも、無理して、神経をすり減らすよりは、私は、ちょっと離れて、敢えて割れた割符の形を削ったりしないような生き方をしたいと思う。