新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

イスラム国は英国人を殺害

2014-09-15 14:41:45 | コラム
イスラム国には何故(ナニユエ)に宗教名を冠してあるのだろう:

この度はイギリス人を惨殺したと報じられ、UKの首相が激怒され「過激派組織の壊滅を目指す」とまで言っておられる。この一件は遙か離れたところに住む私まで不安に陥れてくれるとともに、犠牲者を心よりお悔やみ申し上げたい。

私にとって理解不能なことは、この集団というか組織にはイスラムという宗教名がついていることだ。もし関連性が裏付けられているのであれば、「この宗教とは何らかの目的の為に、かかる残虐非道な手段を選ぶことを正当化ないしは認めているものだろうか」ということだ。理解不能である。同時にイスラム教の信者には「そのためには死を怖れないほど、信者とはそういう存在なのか」とも思わせられてしまう。

何処かで「あの犠牲者が従容として死について行かれる背景にはあのネットに載せる前に麻薬かそれに準じる薬剤で意識を失わせてあるのだ」と報じていたのを読んだか聞いた記憶がある。余りにも悪逆非道ではないか。人の道に外れているではないか。

ここまでは単なる観念論で、具体的には今朝も新大久保駅から山手線に乗ったのだが、その前には厭でもイスラム教徒と覚しき異邦人が群れをなしている通りを抜けて行くしかないのだ。中にはアラブ人独特の白くて長い衣服を身にまとっている長身の者たちは直ぐそれと解るが、バングラデシュ、パキスタン、トルコ、マレーシア、インドネシアの人たちは、顔を見ただけでは如何なる宗教の信者かは俄に断定出来ない。だが、韓国や中国の者たちとは歴然として異なる外見である。

しかし、何故かあの地方の連中は顔の造作が真ん中に寄っており皆一様に表情が暗いので、私には不気味なのである。しかも、欧州からオーストラリア人まで糾合してあの組織を作り上げたのがイスラム教徒(私には未だに何れがシーア派でスンニ派なのか覚えられていない)であれば、彼等は何時の日かこの地で決起するかも知れないなどと想像させられてしまう。しかも、彼等同士で何を語り合っているのかは一切知り得ようがないのだ。

しかも、そういう信者と思わせる者たちは年々どころか、月単位でこの辺りに増えているのだ、中国人の増加傾向に負けない勢いで。私は外交政策上や出入国管理法上で、如何様な規制になっているのか知らないが、この地域に見えるような「野放し的」に増やすこと自体が国策上適切だとは到底思えないのだ。今日までに、この界隈でイスラム圏の者が犯罪行為をしたとのニュースはない。だが、なくて当然であり、あっては困るのだ。

政府は外国からの観光客が増えることを歓迎し喜んでいる傾向があるが、当方の持論である “Every coin has two sides.” を如何にお考えなのだろうか。一度でも新大久保駅で下車され、あの暗い顔をした連中が群れている通りをお歩き願いたいものだ。某新聞ご出身の新法務大臣もご視察にお見え願いたいものだ、外務大臣とともに。少なくとも「新宿区が良い食い物にされている実態」はご認識願えるだろう。

連休のサッカー観戦記

2014-09-15 08:13:58 | コラム
連休の楽しみ方?

夜になると、女子の親善試合と男子のアジア大会を見ていた。何か言いたいことが多い試合ばかりだった。13日の女性日本代表のガーナ代表との試合には大変興味深いものがあった。昨14日夜の男子のアジア大会での初戦も同様だった。

女子代表の試合:
テレビ中継ではガーナをアフリカの強豪と形容していたが、結果は前半15秒に高瀬の先取点に始まって一方的に5対0だった。だが、この5点は前半に取れたもので、ガラッとメンバーを入れ替えた後半には無得点だったのだ。

これほどの違いが出た原因は簡単なことで、前半にはW杯を制した顔ぶれから澤、大儀見、鮫島、近賀、岩清水、熊谷、福元等を抜いたとは言え、私が名手と絶賛する宮間に加えて澤が高く評価する阪口がいて、W杯には遠征しただけと嘆いた高瀬も入っていたのだから。このようにティームの核となる顔ぶれが揃っていたし、何と言っても宮間の存在が大きかったのだ。

私は一時は宮間を「女・遠藤保仁」かと評価していたものの、13日の働きを見ては寧ろ遠藤を「男・宮間」と認めるべきではないかと反省させられた。それほど宮間の存在は際立っていたし、普段は比較的地味にティームを中盤で支えていた阪口は得点までしたのだから、良い結果が出たのは当然だと思って見ていた。高瀬も2点も取るなどW杯の鬱憤を晴らす立派な働きだった。

私は女子代表のW杯制覇が余りにも素晴らしい業績だったのは全面的に認めても、一刻も早く澤と彼女以外の中心選手の世代交替を目指して貰いたいものと考えていた。そして今回は幸か不幸か澤は招集されず、岩清水はトレーナー着用姿で立っていただけだった。そこに鈴木監督の狙いも見えている気がしていた。

そして、後半には一気に宮間と阪口を外し、言わば次代を担う者たちを数多く投入してきた。私は大変結構なことかと思っていたし、この顔ぶれで1点でも追加出来れば良いのだと希望的に考えて観戦していた。だが、切り捨てる表現を用いれば「意余って力足りず」に終わった。それは宮間が不在だったことが主たる原因だが、彼女が永遠にいる訳ではないのだから、何処かで試すべき布陣には絶好の機会だっただろう。

メンバーを変えてから目立った現象を挙げておこう。それが我が国の男子代表ヺ含めてのサッカー全体の問題点だと認識しているのだから。先ずは「バックパス」で、後半は惜しげなく(自分で切り抜ける意欲も覚悟もなく)後ろに戻して(アナウンサーは建て直しだの再度ビルドアップなどと庇うが)相手ディフェンスの建て直しまで許してしまうこと。欧州勢もやっているので、だからこちらでもという訳には行くまい。

次は昭和20年から前時代の蹴球を覚えた者にとって我慢がならない「トラッピングの拙さとおかしさ」である。特に後ろから来たパスの際は足下に収まらず背面から寄せてきた相手ディフェンダー(と言うらしい)の餌食になってしまうこと」だ。それだけではない、トラッピングして前進する場合に必ず進行方向の外側にある脚でトラップする為に、トラッピングではなく現実には「ストップ」になり、ディフェンダーに寄せられるか当たられてボールを取られるか、得意のバックパスに追い込まれるのだ。

実は、この進行方向の外側の脚でのトラッピングは最早全世界的流行であり、私は往年には蹴球の基本技だったものは消滅し、サッカーではこれが取って代わってしまったと解釈している。

アジア大会の男子の試合:
長くなったので、ここで昨夜のアジア大会での男子代表、と言っても22歳以下だけで結成されていたらしいが、のクエートとの試合。私は急ごしらえで結成されたのだろうという条件を考えても、我が国の次代を担うのだろう代表の候補たちの将来は余り明るくないのかなとやや不安にさせてくれた。しかし、遂に我が国にも異国の人の血が入った者が現れたかと、時代の流れを感じさせる優れた素材もいたし、高い個人技の水準を見せてくれた者もいたのは好材料だろう。

ここでも私にとって好ましくなかった点は「トラッピング」、「バックパスの多用」、「当たられ弱いこと」(=直ぐに転がされてしまうこと)、「チャンスに見えてもシュートしないこと」だった。現時点では「何をしたいのかとの意図が見えないプレーが多いこと」と「女子の場合の宮間的中心選手の不在」は今後に期待するとして不問に付す。だが、情けなかった点はあの程度のクエートを相手に4点しか取れなかったこと。この欠陥は本当の代表と共通だと思う。

私は彼等が個人の存在を主張しないのが、「チームワーク」として重要なのだと育てられてきたのかと疑う。恐らくその辺りにフェアープレーを貫く我が国の文化的特徴が現れているのかとも考えている。未だ未だこれからのティームだろうから、厳しく評価しないのが親切なのかも。