W社があの本社ビルの売却を決定と聞かされた:
残念と言うべきか悲しいことと言いたいのか、未だに悔しさが残るニュースだった。実際に知らされたのは8月31日だったが、ここに敢えて採り上げるか否かに迷っていたので、「今月になっても残念だ」という意味で採り上げることにした。
この5階建ての壮麗なというか豪華なというか、アメリカ建築学会賞に輝く本社ビルの美しさにはリタイヤー後20年も経った今でも思い出すだけでも胸がときめくのだ。シアトル市内からインターステート5号線を南下すること約40分で左側に突如して現れるその姿には、言葉にはならない思いがある。
感傷論から少しだけ離れよう。このビルが建ったのは1970年代だったと記憶するが、当方は転身した75年に初めて見てその美しく且つ地味に豪華なことに胸打たれた。19年間に何度出入りしたかも覚えていないが、訪れる度にこのような本社があることを誇りに思っていたものだった。
しかし、2000年代に入ってからの全世界的且つ全米的な大不況に遭って、我がWeyerhaeuser社(W社)もその荒波に耐えかねて、次々から次へと大規模な事業再編成(リストラ)という名の下に、先行きの見通しが不利な事業の整理を実行し始めた。これは必ずしもW社だけのことではなかったが、如何にもアメリカ式な経営方針の素直な現れ方だった。因みに、W社は嘗ては世界最大級の紙パルプ・林産物の会社だった。紙パ産業の不振も此処まで来たのかとの感が深い。
私がリタイヤーした1994年1月末には45,000名で約1兆2,000億円程度の会社だったものが、M&Aを繰り返した結果で2000年に入った頃には58,000名で2兆円を超え規模のる会社になっていた。それが、住宅産業の不振と印刷媒体の衰退に遭ってしまった。そこで、勝手に14年度の売上高を推定すれば、住宅産業の復調に支えられてか8,000億円程度になるだろうが、社員は13,000名と聞いている。
その人員の減少と景気の変動を勘案して、ワシントン州フェデラル・ウエー市の430 acre(エーカー、約527,000坪)の敷地内に建つ本社ビルを売却して、16年後半に完成するシアトル市内のビルに移転すると発表されたのだった。シアトル市内ということには悪条件が山積するかと危惧するが、それは私の感傷にとっては問題外のものだ。
問題は買い手があのビルをそのまま保存するのか、解体して何か他の目的に使うかにある。何分にも人里離れた林の中にある横に展開する大きな事務所である。近隣には既に商業施設もあれば、W社が開発した住宅地帯もある。感傷論ではあのまま残して欲しいし、健康状態が許せば16年までに訪れたいものだと心から思う。
また、その美しさの写真を見ることが出来る「100年史」も手元にある。多くの方がその美しさを讃えて下さったのは社交辞令ではないと信じている。その写真をお目にかけたいにも、私のPCを扱う技術では掲載出来ない。いっそ、唸声さんのお力を拝借出来ればとも願っているところだ。
残念と言うべきか悲しいことと言いたいのか、未だに悔しさが残るニュースだった。実際に知らされたのは8月31日だったが、ここに敢えて採り上げるか否かに迷っていたので、「今月になっても残念だ」という意味で採り上げることにした。
この5階建ての壮麗なというか豪華なというか、アメリカ建築学会賞に輝く本社ビルの美しさにはリタイヤー後20年も経った今でも思い出すだけでも胸がときめくのだ。シアトル市内からインターステート5号線を南下すること約40分で左側に突如して現れるその姿には、言葉にはならない思いがある。
感傷論から少しだけ離れよう。このビルが建ったのは1970年代だったと記憶するが、当方は転身した75年に初めて見てその美しく且つ地味に豪華なことに胸打たれた。19年間に何度出入りしたかも覚えていないが、訪れる度にこのような本社があることを誇りに思っていたものだった。
しかし、2000年代に入ってからの全世界的且つ全米的な大不況に遭って、我がWeyerhaeuser社(W社)もその荒波に耐えかねて、次々から次へと大規模な事業再編成(リストラ)という名の下に、先行きの見通しが不利な事業の整理を実行し始めた。これは必ずしもW社だけのことではなかったが、如何にもアメリカ式な経営方針の素直な現れ方だった。因みに、W社は嘗ては世界最大級の紙パルプ・林産物の会社だった。紙パ産業の不振も此処まで来たのかとの感が深い。
私がリタイヤーした1994年1月末には45,000名で約1兆2,000億円程度の会社だったものが、M&Aを繰り返した結果で2000年に入った頃には58,000名で2兆円を超え規模のる会社になっていた。それが、住宅産業の不振と印刷媒体の衰退に遭ってしまった。そこで、勝手に14年度の売上高を推定すれば、住宅産業の復調に支えられてか8,000億円程度になるだろうが、社員は13,000名と聞いている。
その人員の減少と景気の変動を勘案して、ワシントン州フェデラル・ウエー市の430 acre(エーカー、約527,000坪)の敷地内に建つ本社ビルを売却して、16年後半に完成するシアトル市内のビルに移転すると発表されたのだった。シアトル市内ということには悪条件が山積するかと危惧するが、それは私の感傷にとっては問題外のものだ。
問題は買い手があのビルをそのまま保存するのか、解体して何か他の目的に使うかにある。何分にも人里離れた林の中にある横に展開する大きな事務所である。近隣には既に商業施設もあれば、W社が開発した住宅地帯もある。感傷論ではあのまま残して欲しいし、健康状態が許せば16年までに訪れたいものだと心から思う。
また、その美しさの写真を見ることが出来る「100年史」も手元にある。多くの方がその美しさを讃えて下さったのは社交辞令ではないと信じている。その写真をお目にかけたいにも、私のPCを扱う技術では掲載出来ない。いっそ、唸声さんのお力を拝借出来ればとも願っているところだ。