新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今月の残念

2014-09-09 11:10:21 | コラム
W社があの本社ビルの売却を決定と聞かされた:

残念と言うべきか悲しいことと言いたいのか、未だに悔しさが残るニュースだった。実際に知らされたのは8月31日だったが、ここに敢えて採り上げるか否かに迷っていたので、「今月になっても残念だ」という意味で採り上げることにした。

この5階建ての壮麗なというか豪華なというか、アメリカ建築学会賞に輝く本社ビルの美しさにはリタイヤー後20年も経った今でも思い出すだけでも胸がときめくのだ。シアトル市内からインターステート5号線を南下すること約40分で左側に突如して現れるその姿には、言葉にはならない思いがある。

感傷論から少しだけ離れよう。このビルが建ったのは1970年代だったと記憶するが、当方は転身した75年に初めて見てその美しく且つ地味に豪華なことに胸打たれた。19年間に何度出入りしたかも覚えていないが、訪れる度にこのような本社があることを誇りに思っていたものだった。

しかし、2000年代に入ってからの全世界的且つ全米的な大不況に遭って、我がWeyerhaeuser社(W社)もその荒波に耐えかねて、次々から次へと大規模な事業再編成(リストラ)という名の下に、先行きの見通しが不利な事業の整理を実行し始めた。これは必ずしもW社だけのことではなかったが、如何にもアメリカ式な経営方針の素直な現れ方だった。因みに、W社は嘗ては世界最大級の紙パルプ・林産物の会社だった。紙パ産業の不振も此処まで来たのかとの感が深い。

私がリタイヤーした1994年1月末には45,000名で約1兆2,000億円程度の会社だったものが、M&Aを繰り返した結果で2000年に入った頃には58,000名で2兆円を超え規模のる会社になっていた。それが、住宅産業の不振と印刷媒体の衰退に遭ってしまった。そこで、勝手に14年度の売上高を推定すれば、住宅産業の復調に支えられてか8,000億円程度になるだろうが、社員は13,000名と聞いている。

その人員の減少と景気の変動を勘案して、ワシントン州フェデラル・ウエー市の430 acre(エーカー、約527,000坪)の敷地内に建つ本社ビルを売却して、16年後半に完成するシアトル市内のビルに移転すると発表されたのだった。シアトル市内ということには悪条件が山積するかと危惧するが、それは私の感傷にとっては問題外のものだ。

問題は買い手があのビルをそのまま保存するのか、解体して何か他の目的に使うかにある。何分にも人里離れた林の中にある横に展開する大きな事務所である。近隣には既に商業施設もあれば、W社が開発した住宅地帯もある。感傷論ではあのまま残して欲しいし、健康状態が許せば16年までに訪れたいものだと心から思う。

また、その美しさの写真を見ることが出来る「100年史」も手元にある。多くの方がその美しさを讃えて下さったのは社交辞令ではないと信じている。その写真をお目にかけたいにも、私のPCを扱う技術では掲載出来ない。いっそ、唸声さんのお力を拝借出来ればとも願っているところだ。

錦織君は立派だった

2014-09-09 09:39:43 | コラム
錦織君は残念がら決勝戦に勝てなかったが:

実は、私は昨日は悪い予想を書く度胸がなかった。だが、喩え準優勝に終わっても錦織君は立派だった。良くやったといって褒める以外ないと思う。

誠に申し訳ないことで私は良くない予想をしていたし、且つ残念なことに結果的に当たってしまったのだった。錦織君は1セットも取れずに負けてしまった。でも、素晴らしいではないか、世界最高峰のトーナメントで第2位になったのだから。また、私はWOWOWとは契約しようとも思ったことがなく、結果はテレビの番組の中で結果を知っただけだった。

そこで、勝てないと予想した理由を述べておこう。

第1は「マスコミの騒ぎ過ぎ」である。毎度のことだが、あそこまで行った彼の立派さだけを讃えておけば十分だったにも拘わらず、中学1年時の先生まで担ぎ出して「恩師」の称号を付けて追い回した。これ以外の大騒ぎに触れる必要はないだろうが、それらが錦織君に聞こえざる(見えざる?)途方もない圧力をかけていただろうと推測する。これは毎度のことながら不要で、言うなれば重大な失態だと思う。

沢松奈生子さんはホテルの入り口でインタビューを試みた某局をヤンワリと非難したし、それに穏やかに答えた錦織君を「例外的」と指摘していた。私は彼を心理的にかき乱す逆効果はあったと思っている。では、騒がなかったら勝っていたかというのは別の問題だろう。私は[そっとしておいて上げるのが最善だった]と言いたい。

私の持論は「如何なる大試合でも、昨日までの練習中と同じような落ち着いた精神状態でグラウンド(テニスコートでも良いだろうが)に入っていけるようになるのが最善である。飽くまでも平常心で臨むこと」である。テレビ局が彼の平常心をかき乱すことがないようにと願っていた。

第2は「ここまで勝ち抜いてきた相手が彼より上位にランクされていた者たちだった」ということだと考えている。上位者と勝負することは「仮令負けても失うものは極めて少ない」し「勝てば最高の評価が与えられるし、やり甲斐がある試合だ」ということではないか。錦織君は「負ける相手はいない」との信念で挑んでいけたのではないかと見ていた。

第3はチリッチとの対戦はマスコミ好みの所謂「下克上」ではなく、喩え1位でも下位の者だったので、それまでの「目に物見せてやろう」ではなく、心の何処かに「目に物見せてやらなければ」という類いの緊張感と心理的な重圧を幾らかでも自分でかけていたのかなという感があった。

第4は西欧に根源がある競技は、我が国固有の柔道のような「小良く大を制す」といったような精神が基調に流れず、全てがあの体格と体幹の強さと、総合的に見れば身体能力の強さも基本に置き、その上に鍛え抜いた実力を争う形に出来上がっている(個人)種目が多い。我が国を含めて体格的に劣勢と見るアジア系の者が挑んで行き、尚且つ西欧人に勝つのは、サッカーや野球のような団体競技よりも遙かに難しいと、私は長年考えてきた。


錦織君は以上のような難しい条件を克服しようと努力を重ねて、そこに同じような体型のチャン・コーチを招聘して、あそこまで到達したのは喩えようもない立派な業績であると賞賛したい。TBSの「喝」の番組を真似れば、私はグランド・スラム(grand slam)を制覇出来た時点で「天晴れ」を献上したいと思っている。彼は未だ24歳だそうではないか。最上位に向かって走り始めたばかりではないのだろうか。

彼はあそこまでその不利な条件を克服して、勝ち上がっていったではないか。偉いものである。今後ともその精神とあの調子を維持して勝ち抜いて貰いたいものだ。

余談だが、テニスは元々が西欧で生まれた個人種目だっただけに、我が国及びアジア系が上位に進出しても、試合進行の規則を恣意的に(アジア系にとって)改悪することがなく、錦織君もフェアーに試合を進められたのだと思う。立派だったではないか。だが、柔道を見よ。西欧人の跳梁跋扈を拱手傍観していた為に(?)、今日のようなあるまじき形に改変(改悪?)されてしまったではないか。