「貴方の顔は世界中何処に行っても外省人で通用すると保証する」とは。
私は1970年7月に生まれて初めての外国旅行で東南アジアに出張の機会を与えられた。最初に着いたのが台湾で、当時の松山空港の税関検査では脚が震えるほど無形の恐怖感があって恐ろしかった。その台湾で内省人たちに上記のように保証をされた。海外の事情に全く疎かった私は「???」となっただけだったし、その意味が本当に解ったのは後々のことだった。
しかし、アメリカの会社に転じてアメリカに出張するようになり、空港の到着ロビーに出てきた途端に何を言っているのか解らない事を言いながら中国人と見える者に何度も駆け寄ってこられたのだった。お出迎えの人違いだった。即ち、私が外省人顔だったことが、ここで否応無しに実証されたのだった。余り愉快ではなかった。ところがアメリカ人にはそれは敬意を表されたのだと思えと聞かされ、我々はそのように見なされているのかと思うと益々ウンザリだった。
また、1976年にシアトルのデパートの中を三菱商事の駐在だった従兄弟と歩いている時に、2階にいたアメリカの男の子に “Mommy, look at that. Two Chinese are walking down there.” と大声で叫んでいるのが聞こえたこともあった。これは既に指摘したように、彼等にとっては我々も中国人も韓国人も見分けがつかないことの証拠だったのである。これは、別の見方をすれば、シアトルではそれほど我々も中国人も多くは見かけないということでもあるかと考えている。
しかし、それが僅か3~4時間のドライブで着いてしまうカナダのBC州のヴァンクーヴァーでは事情が違ってくる。立派な?チャイナタウンもあれば1997年の香港返還の前後からは香港の富裕層等と多くの広東人が大挙してヴァンクーヴァーに移住したことが示すように、中国系が人口に占める度合いが高いのである。カナダは彼等にとって憧れの地のようだった。しかし、私にはカナダの二世と新移民の見分けなどつかないし、カナダ人にはアジア人は皆同じに見えたようだった。
それが今や事情が変わってきたかの如くで、中国と韓国を始めとする北東アジア人は言うに及ばす、イスラム教徒系のバングラデシュやパキスタン等に加えて、世界最大のイスラム教徒の国インドネシアとその近隣のマレーシアからも、我が国に憧れたのか多くの若者が入り込んできている。この界隈にはイスラム教信奉国ではないネパール人も漸増し、その料理屋で出来てしまった状態だ。
彼等は決して政府が推進している「労働力不足を解消する為」に招かれた民ではないだろう。しかし、如何なる視点から見ても増加しつつある。最早彼等は英語圏であるアメリカやカナダを目指すことはないようだ。先程は歯科医に何語か解らない言葉で話し合う若い女性が2人いた。1人が支払ったのは¥1,900だった。これはどう見ても我が国の健康保険を持っているとしか思えない金額だ。彼等はそこまで浸透しているのかと思わず唸らせられた。
私にはどう見ても我が国の健康保険を持っていないと見える外国人も増加しているとしか思えない。私は外国人歓迎の政策も一理はあると思うが、我々が長年支払ってきた保険を如何にする気かと、厚労省にも尋ねてみたい気がする。また、アジアの諸国の人たちをヴィザ無しで受け入れ続けることが果たして得策か否かも、政府に伺ってみたい。未だに目立った事件も起きていないから善とするのかいうことだ。
私は必ずしもアジア諸国との友好関係樹立に反対と言っているのではない。しかし、無制限に受け入れて今日この界隈で見かけるような無秩序な状態が我が国の真の国益に結びつくのかと憂いているだけだ。イスラム国(ISIL)を引き合いに出すのは行き過ぎかも知れないが、反日教育を受けて育った連中が何故我が国を目指して来るのかくらいは、入管で訊いてから入国を許可してはどうかなとすら考えている。
正直なところでは、以上述べてきたことが杞憂であれば良いがと願って言っているのだが。
私は1970年7月に生まれて初めての外国旅行で東南アジアに出張の機会を与えられた。最初に着いたのが台湾で、当時の松山空港の税関検査では脚が震えるほど無形の恐怖感があって恐ろしかった。その台湾で内省人たちに上記のように保証をされた。海外の事情に全く疎かった私は「???」となっただけだったし、その意味が本当に解ったのは後々のことだった。
しかし、アメリカの会社に転じてアメリカに出張するようになり、空港の到着ロビーに出てきた途端に何を言っているのか解らない事を言いながら中国人と見える者に何度も駆け寄ってこられたのだった。お出迎えの人違いだった。即ち、私が外省人顔だったことが、ここで否応無しに実証されたのだった。余り愉快ではなかった。ところがアメリカ人にはそれは敬意を表されたのだと思えと聞かされ、我々はそのように見なされているのかと思うと益々ウンザリだった。
また、1976年にシアトルのデパートの中を三菱商事の駐在だった従兄弟と歩いている時に、2階にいたアメリカの男の子に “Mommy, look at that. Two Chinese are walking down there.” と大声で叫んでいるのが聞こえたこともあった。これは既に指摘したように、彼等にとっては我々も中国人も韓国人も見分けがつかないことの証拠だったのである。これは、別の見方をすれば、シアトルではそれほど我々も中国人も多くは見かけないということでもあるかと考えている。
しかし、それが僅か3~4時間のドライブで着いてしまうカナダのBC州のヴァンクーヴァーでは事情が違ってくる。立派な?チャイナタウンもあれば1997年の香港返還の前後からは香港の富裕層等と多くの広東人が大挙してヴァンクーヴァーに移住したことが示すように、中国系が人口に占める度合いが高いのである。カナダは彼等にとって憧れの地のようだった。しかし、私にはカナダの二世と新移民の見分けなどつかないし、カナダ人にはアジア人は皆同じに見えたようだった。
それが今や事情が変わってきたかの如くで、中国と韓国を始めとする北東アジア人は言うに及ばす、イスラム教徒系のバングラデシュやパキスタン等に加えて、世界最大のイスラム教徒の国インドネシアとその近隣のマレーシアからも、我が国に憧れたのか多くの若者が入り込んできている。この界隈にはイスラム教信奉国ではないネパール人も漸増し、その料理屋で出来てしまった状態だ。
彼等は決して政府が推進している「労働力不足を解消する為」に招かれた民ではないだろう。しかし、如何なる視点から見ても増加しつつある。最早彼等は英語圏であるアメリカやカナダを目指すことはないようだ。先程は歯科医に何語か解らない言葉で話し合う若い女性が2人いた。1人が支払ったのは¥1,900だった。これはどう見ても我が国の健康保険を持っているとしか思えない金額だ。彼等はそこまで浸透しているのかと思わず唸らせられた。
私にはどう見ても我が国の健康保険を持っていないと見える外国人も増加しているとしか思えない。私は外国人歓迎の政策も一理はあると思うが、我々が長年支払ってきた保険を如何にする気かと、厚労省にも尋ねてみたい気がする。また、アジアの諸国の人たちをヴィザ無しで受け入れ続けることが果たして得策か否かも、政府に伺ってみたい。未だに目立った事件も起きていないから善とするのかいうことだ。
私は必ずしもアジア諸国との友好関係樹立に反対と言っているのではない。しかし、無制限に受け入れて今日この界隈で見かけるような無秩序な状態が我が国の真の国益に結びつくのかと憂いているだけだ。イスラム国(ISIL)を引き合いに出すのは行き過ぎかも知れないが、反日教育を受けて育った連中が何故我が国を目指して来るのかくらいは、入管で訊いてから入国を許可してはどうかなとすら考えている。
正直なところでは、以上述べてきたことが杞憂であれば良いがと願って言っているのだが。