新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英会話の能力とは

2014-09-13 07:42:41 | コラム
英語がペラペラのようだった:

以前に地下鉄の中で私の前に立った2人組の英語での下記のような会話を聞いていた。片方は英語を母国語としない外国人で、一方は我が同胞だった。以下はその一部だが、私が偶然に聞いていた間は、ほぼ一方的に同胞が話していた、如何にも流暢と聞こえる高速な英語で。

"Every years, I take vacation two months, you know. I go Europe with family , you know. Nowadays, children become big and go to school and cannot stay long, you know. So, we don’t go and wife complain and become angry."

と、ここまでで遺憾ながら彼等が下車してしまった。

これは残念ながら、一部の我が同胞の方が使う英語の悪い方の典型的な「英会話」の例であると思って聞いていた。この人物が話す英語の速度は相当なもので、文法や表現を気にしないでいれば、一般論としては非常に英語が上手いというか練達熟練の境地にあると思わせるだろうし、ご当人もそう確信しておられると推察していた。私にもこの文章から何を言いたいかは十分に推理出来たのだったし、相手にも通じていると聞こえた。

ずばりと申し上げて、この会話能力は所謂「ペラペラ」ではない。寧ろ、後難を怖れずに言えば「薄ッペラペラ」と言いたい衝動に駆られるのだ。

だが、私の持論では一旦このような「英会話 」の道に踏み込めば、先ず本来あるべき姿と形に戻ってくると言うか、路線の変更は不可能だと言わざるを得ない。即ち、「通じてしまうから」である。我が国の「科学としての英語」を学んだ場合に何故かこのような文法無視と言うべきか、日本語にない時制の変化や単数と複数の違いを習得出来ていない例が多いのだ。しかも、私が否定する"you know" が多発されている。

私はその頃にこの会話を記憶し打ち出して、某専門商社の外国部門担当の常務(当時)に紹介した。彼は驚きの表情を見せて「貴方は私の海外出張についてきて会話を聞いていたのか。私の英語はまさにこれそのものだ」と謙虚に言われたのだった。甚だ遺憾ながら、我が国の「科学としての英語の教育」の成果は何故かこういう形で表れてしまうのだ。

だからこそ、私は音読の反復を通じての正しい英語と英文の暗記というか記憶を強調するのだ、この例文のような我が国の学校教育の英語の芳しからざる成果を避ける為にも。では、どのように言えば良いかをここでは論じない。そこでご参考までに文法の誤りと一部を加筆した例文をご紹介しておく。何処が違っているかをご注目願いたい。

“Every year, I took a vacation for two months and visited Europe with my family. Nowadays, my children grew up and entered primary school, and so we cannot go abroad for a long time. So, my wife complains about it and became angry.”

辺りになるかと思う。私はこの英文を別な表現を使って書き換えるつもりはない。それは、常々言ってきたことで、他人様が言われたこと、ないしは書かれたものに手を加えるくらいならば、始めから自分が書いた方が速く、それではその方の意向を反映しないものになってしまう確率が高いからだ。

私がこの我が同胞の表現の中に推奨しておきたいことが一点ある。それは「大きくなった」に当たるだろう “grow” を思い付かず、”become big” と言わば言い換えていた点である。この方の意図が果たしてそこにあったかどうかは別にしても、適当な単語が思い付かない場合に(日本語で考えてまでも)別な言葉を使って「句」か「節」にして表現する手法があるということだ。即ち、それは国語での思考能力を活かすという意味でもあり、国語が身についているか否かでもある。

以上の点を参考にして、自分ならどういうかをお考え頂くのも、英語とは如何なるものかをお考え頂く一つの方法になると思うのだ。