新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

欧米人の世界に入れば

2015-06-07 11:12:59 | コラム
全てが彼等の体格と骨格と文化に基づいて設計・設定されている世界:

7日のTBSの張本勲の「喝」の時間に出てきた世界ランク上位の元プロテニスプレーヤーだった沢松奈生子が錦織圭が「心・技・体の中で心が整えば世界四大大会の制覇も可能だ」と指摘したのを興味深く聞いていた。22年以上も彼等の世界と組織の中で過ごした私は経験上もそうではないと思っている。競技と実務(ビジネスでも良いかも知れぬが)の世界では、もしかして物事の進み方が違うかも知れないが、私は問題点は「心」ではなく、「体」と文化の違いにあるという経験をイヤと言うほどさせられてきたのだった。

海外に出て行ったスポーツ選手の中で私は事錦織圭君にだけは過小評価をしたと反省している。それは「あの体格では大成というか、あそこまでの成功は無理ではないかと危惧していた」という意味である。何故そう言うのかであるが、私は何度か「アメリカの大手企業というものがこれまでに述べてきたというか解説してきたものだと事前に承知していたら、絶対に転身しようと思わなかっただろう」と言ってきたことがある。

それは「日本の会社で17年間も教えられ且つ培ってきた業界と製品の知識と実務経験、苦心して築いてきた情報収集のネットワーク(カタカナ語を使ってしまった)関連業界との交流があれば、英語力などに頼ることなく何とかやっていけるだろう」という漠然とした自信というか「何とかなるだろう意識」があったという意味である。事実、最初の数年間はそれで何とか凌げていたし、何とかなっていたのだった。甘かった。

それは「ある程度以上仕事の進め方に慣れてくると、業容が本部の計画通りに拡張されて多忙になってくると、秘書と二人だけで伸びつつある仕事をしていくようになれば」解ってくることだった。それは「アメリカ人の会社では全てが彼等の体力と我々アジア人とは全く違う骨格と体格(に加えて文化)が全ての基準となって設計・設定されていることから生じる、苛酷とでも言えるスケジュールで動かないと追いつかないという厳しさというかやり辛さが実態」だということ。

「そんな物理的に無理な出張計画を立てられたら困ります」と言いたいような強行日程で日本からアメリカ国内を飛び舞わざるを得ない事態が屡々起きた。ある商社の駐在の方には「そんなスケジュールで後化されたら何れ貴方は身体を壊す」と警告されたこともあった。私には無理と思えても副社長兼事業部長や他のマネージャーたちは平気でそういうスケジュールを苦もなくこなしているので、逆らえなかったのだった。

例えば、前週の土曜日に帰国した木曜日に再びワシントン州に飛んで予定していなかった欧州から回ってこられた日本の大手得意先の部長のアテンドをせよと命令されるのだ。シアトルには朝8時に到着するので、本社で昼飯を挟んだ会議をして直ちに2時間のドライブで工場に向かい工場長と懇談の通訳をして18時30分にシアトルのホテルにチェックインして19時30分からのMLBの野球を観戦するようなもの。

しかも、副社長は翌日の「午後のフライトで部長さんとともに帰国せよ。それで君がこれだけのために来たという印象を植え付けるのだ」と言うだけではなく、その午前中に本部に出勤して打ち合わせとなる。彼等は「時差」等は全く眼中にはなく、それに耐えるのが当たり前という意識があり、そのためにお前を雇ってあるのだ(You are paid for that.の観念)と言うでしょう。これなどはほんの一例で、「それに耐えられないと言うのならば、辞めろ」という世界。

言いたかったことは「錦織圭も田中将大も知ってか知らずにかそういう世界に入っていった」である。田中将大の場合は飛びきりの高年俸で入っていったのだから、それに見合う働きが出来なければどうなるかは言うまでもないこと。しかも、そこは彼等の体格・骨格と文化に基づいて全てが構築されている世界だから、多少の三振を穫ったとか何とかいうだけでは済まない。それのみならず二度も故障したのでは・・・・。

錦織君の場合は彼自身が望んで挑戦していった世界でのことだから、田中とは多少違うとは言えるが、四大大会の前からの連戦と長時間の試合を続ければ「彼等の体格・骨格と文化に基づいている世界」の厳しさ(私はこういう表現は好みではないのですが)と難しさを身を以て経験したことだろう。それを知ってか知らずか、マスコミは「連戦の疲れがどうの」などと心配してみせるのは笑止。彼が好きこのんで入っていった世界。そこでは年間数億円というご褒美があるではないか。

私は錦織君が全仏ではマスコミが騒ぎ立てるような成績は残せないだろうと予測していた。その理由は既に述べたと思う。だが、「今頃になって言うな」と言われても、言いたい時期には病院にいたのでは言うなれば「切歯扼腕」状態だった。

念のために強調しておけば、私は欧米人(アフリカ系も含めて良いかも知れないが)との体格・骨格・体力の違いは彼等の世界に数年間在籍して(愚かにも?)初めて徹底的に知り得たのだ。沢松奈生子さんも世界中を試合で回られてそれなりの経験をされたから言われたと認めるのですが、その経験は飽くまでも彼等と戦って得たもので、彼等の中で暮らし、ともにある目的達成のために働いたものとは違うと断定したい。

私の説をある程度以上立証してくれているのが日本に来て野球をやっているMLB崩れやJリーグに来ているブラジル等の二流以下の作家選手たちでしょう。彼等は少数の例外を除けば、日本の文化に基づいた競技についていけないではありませんか。我が国では体格や骨格や体力で物事が設計されていないと言うよりも、我々の身体に合わせて進歩・発展させてきたのですから。「大男総身に知恵が回りかね」状態では。

私の結論めいたものは「迂闊に国際化だの海外進出だのと言って囃し立てるな。そこには意外にも目に見えない障害物が厳然として存在するのだ。しかも、その障害物の他にも何処かの誰かが声を大にして言う“言葉の問題”もある」である。ではあっても、今や好むと好まざるとに拘わらず、海外には出て行かざるを得ないのだ。事前には何が障害になるのかを十分に調査するべきではないかと、何処かの経験者が言っている。