先程掲載した「女子W杯準々決勝戦観戦記」は誤りだったので、加筆の上お詫びして改題します。
勝って良かった、本当に良かった:
試合終了後のインタビューで宮間も阪口もこう答えていたのが印象的だった。考えてみれば4年前のW杯の予選リーグ勝ち抜き以降、未だ一度も負けていないのだから大したものであると同時に、彼女たちは凄いことをやってのけていると賞賛したい。
結果としては画面では解らなかったが、海堀がヘッデイングシュートだったのか何だか解らなかった球を捕り損なって失点し、一気に危機感が出たものの、相手が流れの中で決める技がなく、シュートも下手だったことに救われた感もあった。しかし、誰が何と言おうと「勝った方が強いのであり、技術も上だったこと」は間違いない。実は、秘かに「前半にもう一点取っておかないと、後半に苦しめられそうだ」と心の中で叫んでいた。
そこで、「勝って良かった」と言わざるを原因を分析してみよう。先ずは「シュートが不正確だったこと」を挙げたい。何本シュートがあったか知らないが、相手のGKがストライクで捕球したものがどれだけあっただろうか。要改善項目だ。次が「未だに欧米人の足の長さに対するパスの強度と速度の感覚が掴めていないこと」を挙げたい。不正確になるか、横取りされ危機となりかけたパスが何本あったかを回顧・反省すべきだ。
三番目は「オランダの自陣での守りの際の寄せの速さと当たりの強さに苦しめられたこと」を挙げる。これ即ち、大儀見に象徴される相手に背中を向けた際のトラッピングの悪さであるし、背中を向けざるを得ない縦パスが多過ぎたということでもある。そのために折角良い形になりかけても途切れてしまうし、「セカンドボール」とアナウンサーが言う(我々の時代では「こぼれ球」等と言った記憶がある)クリヤーのし損ないや文字通りのこぼれ球をほとんど相手に拾われていたことを採り上げたい。
これは「次ぎに何が起きるかの予測というか勘が悪い」と言うことにも通じる気がするのだが。私はこれまでにも、これを「サッカーとは”anticipation”のゲームである」と指摘してきた。この手の次ぎに何か起きるか(球が何処に洩れてくるか)の読みが良い者の例には、ゴールまで素晴らしい動きを見せる岡崎慎司を挙げておこう。
良かった点は勿論多々あった。先ずは組織的に動いて意図を感じさせるパスが多かったこと。オランダはこれに体格の良さと、上に挙げた寄せの速さで潰しにかかったいた。次は「流れの中で2点取ったこと」を挙げる。身長差を考えた時に、所謂セットプレーからの得点が難しそうだったので、あの点の取り方は良かったと見る。しかも2点目は当方の懸念を一掃してくれる価値があった。阪口はあの時に「スルー」と声をかけていたのかななどと思って見ていた。
その他にはオランダになかった動きで、最前線の大儀見と大野が実に忠実に動いてオランダ側でGKか中継で言うディフェンダーにボールが回った際に圧力をかけて、攻撃への動き出しを止めていたことを褒めておくべきだったと思う。あれほど動けば疲労もするが、たとえ空振りというか無駄走りのようでも、行ってくれるだけで守る方には有り難いものなのである。
全般的に見て我が方が全てオランダよりも上だったと見たし、何と言ってもW杯を制覇した経験があるので、「勝ち方を知っている」と言うか「ここぞというピンチとチャンスに慌てず騒がず、対応する能力を備えていた点では貫禄が違うと見た。次ぎのオーストラリア戦でも、敵は(相手はかな)この勝ち方を知る貫禄と戦う苦しさを味わい知ることになるだろう。
ところで、我が方のご贔屓の近賀の顔が偶に写されたベンチにも見当たらなかった。故障かそれとも佐々木監督は有吉の方が上手いと決められたのだろうか。余談だが、NHKのBSでも解説に出てた矢野喬子も年次が下の者たちに「選手」を付けて呼んでいる。私には聞き苦しい。彼女の立場は最早仲間ではなく、別の角度から見るのであるから、我が国の文化である「敬称」的なものを付けるのはおかしいと思う。呼び捨てで良くはないのかな。
何れにせよ、次ぎのオーストラリアは恐らくオランダ以上に体格差と身長の差と当たりの強さを武器にして挑んでくるだろう。当方は長い間「一丸」とはならない国の会社に在籍していたので、一丸となってとは言いたくない。そこで、我が代表は全員心を一つにして、平常心で、その局面で選んで攻め方と守り方が最上の「手」となるように、一所懸命にやって連覇に向かって突き進んで欲しい。
勝って良かった、本当に良かった:
試合終了後のインタビューで宮間も阪口もこう答えていたのが印象的だった。考えてみれば4年前のW杯の予選リーグ勝ち抜き以降、未だ一度も負けていないのだから大したものであると同時に、彼女たちは凄いことをやってのけていると賞賛したい。
結果としては画面では解らなかったが、海堀がヘッデイングシュートだったのか何だか解らなかった球を捕り損なって失点し、一気に危機感が出たものの、相手が流れの中で決める技がなく、シュートも下手だったことに救われた感もあった。しかし、誰が何と言おうと「勝った方が強いのであり、技術も上だったこと」は間違いない。実は、秘かに「前半にもう一点取っておかないと、後半に苦しめられそうだ」と心の中で叫んでいた。
そこで、「勝って良かった」と言わざるを原因を分析してみよう。先ずは「シュートが不正確だったこと」を挙げたい。何本シュートがあったか知らないが、相手のGKがストライクで捕球したものがどれだけあっただろうか。要改善項目だ。次が「未だに欧米人の足の長さに対するパスの強度と速度の感覚が掴めていないこと」を挙げたい。不正確になるか、横取りされ危機となりかけたパスが何本あったかを回顧・反省すべきだ。
三番目は「オランダの自陣での守りの際の寄せの速さと当たりの強さに苦しめられたこと」を挙げる。これ即ち、大儀見に象徴される相手に背中を向けた際のトラッピングの悪さであるし、背中を向けざるを得ない縦パスが多過ぎたということでもある。そのために折角良い形になりかけても途切れてしまうし、「セカンドボール」とアナウンサーが言う(我々の時代では「こぼれ球」等と言った記憶がある)クリヤーのし損ないや文字通りのこぼれ球をほとんど相手に拾われていたことを採り上げたい。
これは「次ぎに何が起きるかの予測というか勘が悪い」と言うことにも通じる気がするのだが。私はこれまでにも、これを「サッカーとは”anticipation”のゲームである」と指摘してきた。この手の次ぎに何か起きるか(球が何処に洩れてくるか)の読みが良い者の例には、ゴールまで素晴らしい動きを見せる岡崎慎司を挙げておこう。
良かった点は勿論多々あった。先ずは組織的に動いて意図を感じさせるパスが多かったこと。オランダはこれに体格の良さと、上に挙げた寄せの速さで潰しにかかったいた。次は「流れの中で2点取ったこと」を挙げる。身長差を考えた時に、所謂セットプレーからの得点が難しそうだったので、あの点の取り方は良かったと見る。しかも2点目は当方の懸念を一掃してくれる価値があった。阪口はあの時に「スルー」と声をかけていたのかななどと思って見ていた。
その他にはオランダになかった動きで、最前線の大儀見と大野が実に忠実に動いてオランダ側でGKか中継で言うディフェンダーにボールが回った際に圧力をかけて、攻撃への動き出しを止めていたことを褒めておくべきだったと思う。あれほど動けば疲労もするが、たとえ空振りというか無駄走りのようでも、行ってくれるだけで守る方には有り難いものなのである。
全般的に見て我が方が全てオランダよりも上だったと見たし、何と言ってもW杯を制覇した経験があるので、「勝ち方を知っている」と言うか「ここぞというピンチとチャンスに慌てず騒がず、対応する能力を備えていた点では貫禄が違うと見た。次ぎのオーストラリア戦でも、敵は(相手はかな)この勝ち方を知る貫禄と戦う苦しさを味わい知ることになるだろう。
ところで、我が方のご贔屓の近賀の顔が偶に写されたベンチにも見当たらなかった。故障かそれとも佐々木監督は有吉の方が上手いと決められたのだろうか。余談だが、NHKのBSでも解説に出てた矢野喬子も年次が下の者たちに「選手」を付けて呼んでいる。私には聞き苦しい。彼女の立場は最早仲間ではなく、別の角度から見るのであるから、我が国の文化である「敬称」的なものを付けるのはおかしいと思う。呼び捨てで良くはないのかな。
何れにせよ、次ぎのオーストラリアは恐らくオランダ以上に体格差と身長の差と当たりの強さを武器にして挑んでくるだろう。当方は長い間「一丸」とはならない国の会社に在籍していたので、一丸となってとは言いたくない。そこで、我が代表は全員心を一つにして、平常心で、その局面で選んで攻め方と守り方が最上の「手」となるように、一所懸命にやって連覇に向かって突き進んで欲しい。