新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

女子W杯サッカーの対カメルーン戦観戦記

2015-06-13 16:16:35 | コラム
W杯予選リーグ突破は結構だったが:

13日は居合わせた高校・大学と(アメリカン)フットボール経験者の愚息#2と対カメルーンのサッカーを観ていた。愚息どもはフットボール出身者であっても、サッカーを観る目は当方よりも遺憾ながら優れている。2点取れた後の彼の観測というか意見は「前半に何とかもう1点取っておかないと、この相手には後半に必ず苦しめられる」だった。

当方の後半になってからの弱気の観測は「もしかすると 2対2 の引き分けもあるのではないか」だった。しかし、「だから言ったじゃないか」で時間が残り少なくなってから1点取られ、その後も攻められたまま幸運にも4分の余計な所謂「ロスタイム」が終わった。勝ち抜けたのだった。

勝因は相手が弱かったということに尽きるが、我が方は私が以前から指摘し続けたように研究し尽くされ、世代交替が遅れていたためにあの程度の身体能力頼みの相手にも苦戦するのだ。しかも、2試合目になっても人工芝に馴れておらず、弱いキックではパスが失速して味方に届かないという簡単な理屈が解らずに、華麗で正確であったはずのパスが回らず、屡々インターセプションの憂き目に遭う始末だった。

しかし、佐々木監督の前半の選手起用が当たって鮫島が忠実にゴール前に上がっていたことが奏功し先取得点が出来たし、2点目も宮間の正確なセンターリング(今ではクロスというようだが、正確には「クロスパス」のような気がするが、どうでも良いことかも)を身体能力だけには優れた菅沢が合わせて頭で決めたのが最後まで効いていた。正直なところ、あのカメルーンのディフェンスでは5点は取れるかも知れないくらい楽観していた。

その試合の前にNHKのBSで中継してくれたアメリカ対スエーデンの試合などを見ていると、我が代表のあの顔触れと出来では余程の組み合わせの幸運にでも恵まれないと、準決勝まで上がっていくのは難しいと悲観的にならざるを得なかった。即ち、カメルーンでも得点源の筈の大儀見にパスを通させないか、自由に持たせないようなマークをしてきたし、人工芝対策が不十分だったことが問題点として残るからだ。

だが、希望的にはこの試合のように澤を切り札的に残し置く布陣で行けば、また彼女の神通力で何とかしてくれるかと期待している。

ところで、サッカー協会、各テレビ局、解説者、他の競技の協会にも、どうしても言っておきたいことがある。それは「いい気なって訳の解らないカタカナ語を使うな」ということ。典型的な解らない例を挙げれば「コンパクト」である。「コンパクトなディフェンスライン」等と言われてもWMフォーメーションの時代に育った高齢者には何の意味がサッパリなのだ。当方にも解るような日本語で正確に言って欲しいのだ。

“compact”はOxfordには “smaller than is usually for things of the same kind” とある。「普通よりも小さい守備ライン」って何のことか。更に「シンプルに縦パスを入れる」という。”simple”は”not complicated; easy to understand” とある。ジーニアスには「単純な、簡単な;わかり[扱い]やすい;[・・・するのが]容易な[to do]となっている。これも、チャンと誰にでもわかるように日本語で言えと言いたい。全部のテレビ観戦者が隠語のようなカタカナ語を理解すると思うなと言いたい。

サッカーだけではなく他の協会やNPBも、解説(とは言うが、実態は単なる説明に過ぎないのだが)に呼ばれた者にはそのくらいの心得を諭しておいて貰いたいものだ。他にも理解不能な(特に野球の場合は)カタカナ語は幾らでもあるが、サッカーの場合にはこれだけ言えば十分だろう。

幸いにして、当方が松木安太郎という軽薄な応援団的な解説者が言いだしたと思う「スリッピー」は近頃それほど誤用されなくなった。だが、これは遺憾ながら野球業界にも根を下ろしている。念のため言って置くが、”slippy”という英語はOxfordには載っていない。「滑りやすい」は正しくは”slippery”である。何でも語尾に”y”をつければ形容詞になるというものではないのだ。