新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

冷静な評論家は言う

2015-06-20 09:06:23 | コラム
格下のシンガポールと引き分けたサッカー男子A代表:

この試合は入院中、しかも経皮的冠動脈形成術を受けた日の夜にベッドでテレビ観戦していた。結果を今更云々しても無意味だが、数々の疑問が残った試合だった。その一つが先程サッと読んだYahooのニュースにも「遠藤は不要か」論が採り上げられていて、言うなれば「我が意を得たり」だった。少なくとも「期待出来るキッカーが不在」は疑問に感じるのだ。

何でそう言うかと言えば、当方が「女遠藤」と評した女子代表の宮間の上手さを見れば解ることで、遠藤あってこその本田であり香川であり、その他であったあの代表の形が作られていた。その遠藤を外したのがハリルホジッチ(Vahid Halilhdzic)監督のティームと戦術構成上の策だった模様だから仕方がないとしても、女子代表から宮間と澤を抜いたらどうなるかという問題と同じではないだろうか。

あの引き分け試合を見ていて何とも不甲斐なく且つ情けないと思わせてくれたのが、あれほど見事に引いて守ったシンガポールに対して攻め方を作り上げようとして(崩せる)パスを出す役の者が一人もいなかったことだった。赤い壁が出来ているシンガポールの真ん中ばかりを繰り返して突破を図るのだが、裏をとるパスを出す、出せる役を務める者が不在だったのだ。それが出来たとしたら、遠藤か今度は(も)選ばれなかった川崎の中村憲剛くらいかなと思って見ていた。

解説だったかアナウンサーだったかが、しきりに強調していたのが「新監督の方針である縦一発の速さとワンタッチで回す早いパス交換」だったが、その方針が未だ全員に浸透していないと弁解めいたことを監督に替わって言っていたのは笑えた。それはそれとして結構なのだろうが、点を取れる形になる決め手のパスを出せる者が不在ではどうにもならなかったではないか。彼等は何時でもそうだが監督と選手と、はたまた協会の批判めいたことを一切言わないのだ。言えないのかな。

生煮えの戦術で格下の相手に挑んでは引き分けもあり得るとは考えてみたこともなかった。だが、選手たちがピッチとやらに出ていく時の表情の硬さには「これでは勝てないのかも知れない」というイヤな予感があったが「まさか」と思って忘れることにした。実は、同室の昭和2年生まれの患者さんでお孫さんが高校でサッカーをやっていて屡々観戦に行くと言われた方も「選手たちのあの緊張感溢れた表情を見た時に、こりゃ駄目だと思った」と言われた。

協会への批判である。先ずは外国人の監督を呼んでくるのは彼等の勝手だが、毎回異なる国から呼んでくるのは余り感心しない。メキシコの前がイタリア、その前がブラジルやフランスもあればユーゴスラヴィア(現ボスニア・ヘルツエゴビナ)であったり、岡田武史だったりという具合で、思想信条と哲学がその都度替わってくるのだ。私はこれでは方々から選ばれてくる寄せ集め集団の選手たちもたまったものではないと思うと同時に、同情もしている。さぞかし戸惑っているのか、あるいは代表には入れて喜んでいるだけかも知れない。

そう言える訳は簡単で、ハリルホジッチ監督の方針が短期間では十分に浸透しておらず、その上にその昔言われた「ゲームメーカー」が不在では選手たちも為す術を知らなかったのだから。それは同時に彼等は未熟であったと同時に、何度か言ってきたことで本田や香川や岡崎等には最早「今以上に上達する可能性というか伸びしろが残っていない」のが問題なのである。その未熟者に戦法の変更を迫るのが得策だろうか。

ここで結論めいた悲観論をご披露すれば「新監督さんが何らかの方針変更をされ選手を入れ替えるか、アジア予選程度でも勝ち抜けるような戦法を採り入れるか」だろう。と言うことは、当方が屡々批判する高校野球で「甲子園に出て行ける」と「あのトーナメントを勝ち上がっていける程度の野球に纏め且つ育てかるか」を見習えばどうかいうことだ。それでは将来上部組織に行って大成する可能性が低い者を養成することになるのだが、大方のAHOなマスコミの賞賛は得られるのだ。

ハリルホジッチさんはこの手法を採り入れて取りあえずW杯には行ける策を講じるか、次々回のW杯には楽に行けるような高度な技術と体力を兼ね備えたA代表を後7年かけて育てさせてくれと協会に願い出るかしか、日本代表の監督の地位を守る手段はないのではないかと危惧する。私は貶し続けたGKの川島を入れて置くくらいならば、彼の代わりに遠藤を入れておいても実害はないと思うが。あるいは中村憲剛でも良くはないか、ハリルホジッチさん。