新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月29日 その2

2015-06-29 11:20:02 | コラム
オーストラリアを退けた女子W杯代表に望むこと:

女子サッカー日本代表について思ったことというか雑感を一言。

岩淵を持ち上げ過ぎるマスコミ:
昨日の準々決勝戦でオーストラリアに勝ったのは大変結構だったと思う。だが、テレビ局もスポーツ新聞(買って読んだ訳ではない、念のため)もあそこで滑り込んでシュートした岩淵を持ち上げ過ぎるのは気に入らない。シンデレラにまで喩えるの行き過ぎだ。讃えるべきはあのCKの場面でこぼれ球を洩らさずにシュートしてその又こぼれ球を7番に倒れ込まれGKにも覆い被されながら横に蹴り出した岩清水の粘り強さではないのか。

確かにあそこに詰めていた岩淵も良かったが、あれほど褒めあげられてはかえって面映ゆいのではないかとすら思う。と同時にあれが自分の手柄だと信じ込んでいたりすればとんでもない考え違いだ。マスコミは何かといえば点を取った者を褒めるが、本当はそこまで組み立てた者はそれ以上に偉いことを言わねば片手落ちだ。岩淵がのぼせ上がらねば良いがと余計な心配をしている。

佐々木監督:
彼の手腕を褒めておかねばならないと思う。兎に角、あのようなこれ以上伸びる余地がない者たちを集めて二連覇に近付いているのだから大した手腕だと思う。テレビのインタビューやその他の場面での語り口は温厚のようにしか聞こえない。更に試合中に叫んでおられる指示は集音マイクは拾っていない。従って私にはその厳しさは窺い知れない。と言うことは、練習中には非常に厳しい指導者なのだろうと思わせてくれるが、どうだろう。

なお、女子の強みは男子と違う点がある。それは(協会に?)「多くの外国から主義主張の違う監督を連れて来られて、色々な異なった形のサッカーや戦術を仕込まれて、やや混乱したかに見える形になっている男子のようなことがないこと」を言う。換言すれば佐々木監督の指導が続くことは「継続は力なり」を如実に示すからだと思う。

是非とも連覇を:
最後は、これでFIFAの第4位というランキングが示すように四強に残ったのだから、少なくとも「ランキング通りだ」となっている。残る対戦相手は先ずこれまでに勝ったことがないと報じられている第6位のイングランドだ。ランキング通りに事が運べば、これまで5戦のように勝てるはずではないのか。だが、私はイングランドを見ていないので、予想の立てようがない。希望的観測だけだ。

そこで強引に予想すれば、攻撃面では不安定だったシュート力を改善乃至は修正出来るかにかかってくると思う。守りでは有吉には少し不安が残るとは申せ我が方の安定した岩清水以下3名の守備をイングランドに突破されるか否かいう点にあるのではないか。鍵は澤を何時宇津木に替えて使い、何時4年前に見せた宮間とピッタリと合わせた点を取る形を作ってみせるかにあると思っている。

何れにせよ、勝ち上がって欲しいものだ。ところで、私は以下のような感触で今回のW杯を見ている。それは66年前の1949年に我が湘南高校野球部が初めてで最後に出場した夏の甲子園の野球に似ている気がするからだ。我らが蹴球部は1年前に福岡国体の決勝戦で敗れていた。そこに「まさか」と思っていた野球部が全国大会に出ると聞いて「結構じゃないか」と余裕を見せていた。一回でも勝てれば上等だろう程度に考えていた。

ところが、一回戦を勝ち上がってしまった。「やるじゃないか、野球部は」と未だ余裕を残していた。それがドンドン勝ち上がって花井投手(後に西鉄でプロになった)率いる岐阜高との決勝戦に出るところまで行った。最早余裕を見せられなくなった。しかし、前半は手も出なかった花井の速球を打ち込んで優勝してしまった。偉いもので、無欲の勝利など言われた記憶がある。準優勝の我々は「野球部の前で大きな顔が出来ない」と思うに至った。

女子代表の勝ち上がり方その時に似ている気がするから言うのだ。別に佐々木監督以下に大きな顔が出来るようにして欲しいと望む訳ではないが、優勝候補と言われていた欧州やアメリカや南米勢を倒して、体格や身長や身体能力の差を乗り越えて是非とも連覇して貰いたいのである。それは身体が小さい者の切なる願いだ。

6月29日 その1

2015-06-29 09:03:07 | コラム
海外の法制に鈍い企業:

伊藤元重東大教授が産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で:

これは29日の産経の一面に伊藤教授が、掲題のコラムで海外に進出した企業について「海外の法制に鈍い企業」と指摘しておられた問題点である。例えば、アメリカでも現地の法制を深く弁えずにカルテルで司法省(Department of Justice)に高額の罰金を課されたことを挙げておられた。正直に言って、未だにこのようなことが話題になるとは甚だ遺憾である。

私がアメリカの独禁法(Antitrust Law)の実態を解説することを何度か書いたのは少なくとも20年以上も前のことだったから。この程度は常識になっていると思っていたのは愚かだったのかとまで考えた。「まさか?」と思われたか、私が何者かをご存じなかったのかと思っている。余談で又英語の講釈だが、”Antitrust”は多くの場合「アンタイトラスト」と発音するのがアメリカなのだ。

そこで、アメリカの会社での経験を記憶辿って「独禁法と如何なる法律か」をあらためて述べていこう。W社では全社員に分厚い「独禁法の違反行為」が詳細に解説されたファイルホールダーが配付され、中味を熟読し末尾にある「上記に違反した場合に即刻解雇されても異議申し立てはしない」という誓約書に署名して直属の上司に提出せよ」と記載されている。署名しなければどうなるかはここに記すまでもあるまい。

その内容は「同業種間の会合を開催(主催)するか出席する場合には、直属上司に事前に報告し可否の指示を仰ぐこと」があり、基本的には出席は禁じられていると認識することだ。理由はその場で価格等の談合がなかったと証明せねばならないからだ。その証明は同席した弁護士によって為されねばならないのが法律だ。この種の情報は何時如何なることで洩れないとは限らないし、得意先の業種でも注意しているものだ。

次ぎに難しいのが「ホテル等の公共の場で同業他社の社員に仮令偶然にでも出会っても親しく挨拶するとか語り合うのは避けること」とある。これも価格等の談合の場でなかったという証明が必要となる。実際には握手しただけでも、その場を見た得意先となる業種の社員に見られて告訴されたという例まである。違反には解雇という罰則が待っている。

これが示すことは我が紙パルプ業界などでごく普通に組織されている製造会社の販売代理店会やその代理店の会合などはあり得ないということだ。もしも会合する場合には弁護士を同席を願って、談合等がなかったとの証人になって貰わねばならないのがアメリカの法規制だ。これに違反すれば解雇の対象となる。

私は日本の会社時代から知り合いだったアメリカの製紙会社の東京事務所の担当者と偶々出会ったホテルのロビーで挨拶は交わしたが「お互いの幸せのために握手はしないで置こう」と小声で語り合ったものだった。

また「同業他社の事務所か工場を訪問することがある場合には、上司に事前に目的と理由その他を申請して許可を取れ」となっているが、許可も何もこのような行為に及ばないのに越したことはない。違反した場合に即刻解雇の条項がある。

株式の保有にも制限がある。得意先の会社の株を保有乃至は購入する場合には上司に事前に許可を申請せねばならない。許可が出るとは思えなかったが、無届けだった場合には有無を言わさず・・・・となっている。かかる規定がある理由の解説など不要と思うが。

私がW社転身後間もなく社長名で通告された回覧には、ある業種における横断的会合に出席して結果的に価格の談合に加わった形となって告訴されてしまったマネージャーに対して「不可抗力だったという申告を認め、罪一等を減じて解雇はしない。しかし、今後は即刻解雇とするので全員で十分に認識せよ。更に告訴されたことによる法廷費用の全額は当該マネージャー個人の負担とする」とあった。

このような資料が毎年のように改訂されて配付され、毎回署名せねばならないようになっていた。この規程にはより多くの項目があったと記憶するが、実に詳細且つ精密に規定されていたものだった。それを知れば、仮に客先の事務所で偶然に出会ったとしても、とても同業他社の社員と語り合うような無謀なことをすることなど考えたこともないような19年半だった。

これらの規定がもたらす不自由さはかなりなもので、我々は日本の会社の頃のように同業他社というか競争相手(”competitor”と呼んでいた)の動静を掴むのは容易ではなく、competitorの製品の品質などを把握したければ、街に出て最終製品の中から「これぞ」と思うものを購入する以外に方法がなかった。ましてや販売価格を探るためには最終需要家に辞を低くして伺うのが普通の手段だった。これの成功率は高くないことはご想像の通りだ。

私は「あれから20年以上も経ているにも拘わらず、伊藤教授があのようなことを書かれていたのには驚きもしたし、アメリカの法制に対してでも認識が不十分だったのならば、些か遺憾に思う次第だ。まさか英語力の問題があったりはしなかっただろうな。国が異なれば法律も異なるくらいは承知して進出していたとばかり信じていた。