新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月6日 その2 カタカナ語排斥論者はNHKに苦情を言った

2015-08-06 15:25:01 | コラム
コンパクトなスイングって何だ?

本6日の甲子園野球で中京大中京高が一回の表に連打して3点だったかを取った。アナウンサーも解説者も「コンパクトなスイング」と言って褒めた。私にもおよそ何を表現しているかの見当はついたが、正確な意味は取れなかった。しかし、熱心な高校野球愛好者ならば解るかも知れない。だが、私はこれを良しとはしない。即ち、”compact”という単語には「振幅を小さくして」か「大振りを避けて」を表す意味は無いのだ。元はと言えば「大きな物(であって抽象的な観念は表さない)をより小さくする」と言うときに使うのが第一義だ。

だが、野球でもサッカーでも解説者はこの「コンパクト」を使いたがる。私は嘆かわしいと思っている。サッカーで「守備ラインをコンパクトにして」などと解説者(あれは単なる説明者以上のものではないと思うが)などと嬉しそうに言う。私には何を言いたいのか意味が解らないのので困惑するだけだ。

そこで、もうこの解ったようで解らないカタカナ語を聞かされるのに耐えがたくなって、本日はNHKに電話で「解説者とアナウンサーに国語を乱すコンパクトのようなカタカナ語の濫用を止めるように言え。振幅を小さくすると言うように伝えよ」と苦情を言った。NHK側は「お客様の声は録音するが良いか。現場には伝えるから」と言うので「望むところだ」と申し出た。

野球用語のカタカナ語は99%が造語で、英語にして通じるものはないと言って誤りではない。私は「そのようなおかしな言葉をNHKが主導して濫用してどうする気かと問いたかった」のだが、NHKはお解りなって下さるだろうか。いや、変わらないだろう。何しろ平気で「フリップ」等というカタカナ語を平気で使う手合いが巣くっているのだから。

日本のサッカーの将来が気懸かりだ

2015-08-06 13:39:47 | コラム
韓国と引き分けたら良いってもんじゃない:

昨5日の男子サッカーが韓国相手に引き分けに終わった試合を見ていて、こんな事を許していては我が国のサッカーの未来は暗いなと思わざるを得なかった。海外組を呼んでいなかったという言い訳は成り立つかも知れないが、あれほど消極的で後ろ向きのパスの展開に終始し、誰一人として「俺がやってやろう」という気迫を見せていないのでは批評のしようもない。

ハリルホジッチ監督は国内のJリーグで目立った者を選んで代表を結成したのだろうが、その連中は皆国内で目立つ程度のことをして見せただけで、所詮はその世界的には低水準にあるリーグで勝つ為に小さく纏まっただけの連中だ。外国を相手にして何としても勝って見せようというだけの技術も無ければ、その気迫すら無かったのだ。相変わらずの責任逃れというか、自分で突破して切り開こうとはしない後ろへの展開ばかりだった。

しかも、後ろでバックスの間で無意味なパス交換をしている間に相手は体系を整えてしまっているし、さて前に出そうと狙っても動いてスペースを作る者はいないし、偶に鋭い縦パスを出せば背後にマークを背負っていてそれをかわす力もなければ外してみせる技巧も無く、元来た方向に見事なバックパスとなってしまう。しかもトラッピングが粗雑なので、かえってインターセプションにまで遭ってしまう始末だ。

一方の韓国はボールに沢山の人数が集まってくることをせずにフィールドを比較的広く使ってFWとMF間の距離をとって攻めてくるので、後ろ向きで縦パスを受ける形では攻め上がってこないし。また、大胆にドリブルで上がってくるのでそこに人数をかけて守りに行けば、何処か肝心なところでフリーになってしまう者が出てきてピンチになってしまうことが多かった。試合の途中で修正する能力も無かったのは情けない限り。

ここまで来ると「あの程度の連中を集めた責任を監督に求めるよりも、あのような無責任且つ無気力なサッカーを教えた中学から高校のコーチ乃至はJリーグの下部組織の指導者の基礎の教え方を糾弾すべきではないか」と思う。この点は以前から指摘し続けた問題で、その成れの果てのような連中を集めざるを得なかったハリルホジッチ氏と、その前任者たちは責められないと思っている。

私は40年以上も前から「甲子園野球は止めてしまえ。あれを続けている限りあの大会で勝ち抜く為の水準に纏めようとする指導者が出てくるのは当然だし、今年のような酷暑であろうとなかろうとあの高温と高湿度の兵庫県で子供たちに連戦と連投を強いるのは犯罪的である。朝日新聞は猛省せよ」と主張してきたし、脇村前高野連会長には書面で「止めなさい」と勧告したものだった。

その甲子園野球と同じ弊害が今やJリーグが起こしているし、小器用に纏まったスケールが小さくて当たられ弱く、「我こそは」と目立って見せようとする若者が育っていない。昨夜の引き分けは何故か韓国が以前とは異なって「何としても日本に一泡吹かせよう」という激烈な試合振りではなく、「この程度の相手なら引き分けで許してやろう」と思っているのかと見えたほど余裕綽々だった。ずばりと言えば「舐めてかかっていた」とすら感じた。あのアジアカップの決勝戦でオーストラリアとどんな凄い試合をしたかを思いだして欲しい。

私はあの程度の監督にお引き取り願うのも一案だと思うが、未だ次ぎのW杯まで時間があることでもあり、あの監督さんに各地の有力高校の指導振りを視察に巡回させるか、Jリーグの下部組織の指導振りをも見て回らせて、妙な小成に甘んじたサッカーを教えないように監視することでもさせれば良いと思っている。さもないと、何時まで経っても韓国や北朝鮮の後塵を拝するような結果しか出てこないと、本気で憂いている。