日本式成果主義批判:
畏友尾形氏が知らせて下さった関野通夫氏との意見交換のメールの中で、関野氏が
「成果主義などと言っていますが、よほど上の人ならともかく、個人の成果を、そんなに測れるのか疑問です。日本人には、アメリカ的雇用形態は合わないと思います。」
と指摘されたことには賛成なので、以下のように自説をご披露した次第。
我が国のような人事部が存在せず、事業本部長(GMにして屡々副社長)が必要に応じて判断して即戦力を雇用するアメリカの仕組みの下にある成果主義の形骸だけを真似たとしか思えない我が国の成果主義は、賢明な策ではないと思います。我々は全権を持つGMと1対1で話し合ってjob descriptionを決め、それに応じて提示された年俸に合意して働き始め るのです。人事部は一切関係ありません。
因みに、1972年に最初に転身したMead Corp.の場合は偶々来日しておられたオウナーのNelson Mead(国際部門担当副社長)がインタビューして採用と決められました。自 慢しているのではなく、採用はその部門の責任者がするという典型的な例です。日本市場はオウナーの直轄でしただけのこと。
その結果を365日後にGMと相対で見直して、五段階の評価をするのです。基礎になっているのが自分が合意したjob descriptionですから、何を何処まで成し遂げ、どれが不十分だったかは本人が解っております。その意味では我が国の人自分のやり方よりも公平でしょうし、諦めもつきます。また多くの会社ではGMだけの査定では不公平であるとして、自分が選んだ同僚に査定させる制度もあります。
私は本部や工場の者たちに何度か査定を依頼され、どう書くべきかで苦しめられた経験があります。遂に「何で俺を選んだのか」と尋ねると「君は外国人で利害関係が無いし、公平な人物だから偏見がないと見込んだ」と言われ、益々負担に感じました。
このようなアメリカ式査定の方式ならば未だ納得できますが、我が国の直接当人の日常を見る機会が少ない人が査定することと、そもそも偏見があると見なされている「人」が他人を合意した基準もないままに評価する制度には疑問を感じます。だが、アメリカ式五段階の裏にある事実は、最低の「1」の評価となった場合は即刻解雇ですから、ここに文化の違いを見出します。
しかし、その評価を受けた者はほぼ黙って引き下がるそうですが、我が国では考えられないことでしょう。かのS社の副社長だった友人のK氏は「そこは社会通念の違いで説明がつく」と教えてくれました。
私は我が国の企業社会の文化に"job description"の制度を導入して雇用契約を結び、1年後に話し合うような方式の導入不可能だろうと思います。それは我が国にはアメリカ式の"general manger"が存在しないからです。しかも、未だにアメリカ式の労働市場の流動性が確立されていないようですから。それだけではなく、私はWeyerhaeuserに採用されたのではなくて、当時は"Consumer packaging Division"と称していた包装容器とその原紙
を製造する事業部に採用され、東京駐在員に配属されたのです。
申し上げたかったことは異なる文化を持つ国のやり方を形だけ真似るのは如何なものかなということです。
畏友尾形氏が知らせて下さった関野通夫氏との意見交換のメールの中で、関野氏が
「成果主義などと言っていますが、よほど上の人ならともかく、個人の成果を、そんなに測れるのか疑問です。日本人には、アメリカ的雇用形態は合わないと思います。」
と指摘されたことには賛成なので、以下のように自説をご披露した次第。
我が国のような人事部が存在せず、事業本部長(GMにして屡々副社長)が必要に応じて判断して即戦力を雇用するアメリカの仕組みの下にある成果主義の形骸だけを真似たとしか思えない我が国の成果主義は、賢明な策ではないと思います。我々は全権を持つGMと1対1で話し合ってjob descriptionを決め、それに応じて提示された年俸に合意して働き始め るのです。人事部は一切関係ありません。
因みに、1972年に最初に転身したMead Corp.の場合は偶々来日しておられたオウナーのNelson Mead(国際部門担当副社長)がインタビューして採用と決められました。自 慢しているのではなく、採用はその部門の責任者がするという典型的な例です。日本市場はオウナーの直轄でしただけのこと。
その結果を365日後にGMと相対で見直して、五段階の評価をするのです。基礎になっているのが自分が合意したjob descriptionですから、何を何処まで成し遂げ、どれが不十分だったかは本人が解っております。その意味では我が国の人自分のやり方よりも公平でしょうし、諦めもつきます。また多くの会社ではGMだけの査定では不公平であるとして、自分が選んだ同僚に査定させる制度もあります。
私は本部や工場の者たちに何度か査定を依頼され、どう書くべきかで苦しめられた経験があります。遂に「何で俺を選んだのか」と尋ねると「君は外国人で利害関係が無いし、公平な人物だから偏見がないと見込んだ」と言われ、益々負担に感じました。
このようなアメリカ式査定の方式ならば未だ納得できますが、我が国の直接当人の日常を見る機会が少ない人が査定することと、そもそも偏見があると見なされている「人」が他人を合意した基準もないままに評価する制度には疑問を感じます。だが、アメリカ式五段階の裏にある事実は、最低の「1」の評価となった場合は即刻解雇ですから、ここに文化の違いを見出します。
しかし、その評価を受けた者はほぼ黙って引き下がるそうですが、我が国では考えられないことでしょう。かのS社の副社長だった友人のK氏は「そこは社会通念の違いで説明がつく」と教えてくれました。
私は我が国の企業社会の文化に"job description"の制度を導入して雇用契約を結び、1年後に話し合うような方式の導入不可能だろうと思います。それは我が国にはアメリカ式の"general manger"が存在しないからです。しかも、未だにアメリカ式の労働市場の流動性が確立されていないようですから。それだけではなく、私はWeyerhaeuserに採用されたのではなくて、当時は"Consumer packaging Division"と称していた包装容器とその原紙
を製造する事業部に採用され、東京駐在員に配属されたのです。
申し上げたかったことは異なる文化を持つ国のやり方を形だけ真似るのは如何なものかなということです。