新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月15日 その2 あれから70年も経ってしまったのか

2015-08-15 15:25:19 | コラム
あれから70年も経ってしまったが:

それでも、あの日の記憶は未だに鮮明に残っている。毎年繰り返して同じ事を書いてきたのだが、今になって思い出しても不思議な事は、2~3日前に「天皇陛下がラジオにお出になって戦争に負けたと言われるそうだ」と、中学1年生のこの私が何処からともなく聞かされており、それを信じていた点だった。記憶が正しければ、当日は学校は休みとなって朝から家にいてラジオの放送が始まるのを待っていた。

あの日は空には雲一つなく何処までも抜けるほど青く澄み切っていた。そこに正午からだったのか陛下はキーを間違えておられたのではないのかしらと一瞬疑ってしまった高い声で玉音放送が始まった。13歳の子供には良く意味がとれなかったような難解な文章だった。だが、兎に角「戦争が終わったのだ」と言う事は十分に理解出来た。「アー、良かったなー」というのが偽らざる感想だった。そこで張り詰めていた緊張の糸は明らかに切れていた。

今頃になって当時の事情というか国民の意識を知らない連中が「本気で竹槍の訓練をして本土決戦に備えていたのか」と半ば揶揄するかの如きことを言うが、あれは失礼千万であると思う。不愉快である。当時は本気でアメリカ軍が上陸してきたら最後の一兵まで戦うのは当然だと教え込まれていたし、それが内地における戦争の雰囲気だったのだから。

「あー、終わったのだな」と何か気が抜けたようで開放感を味わっている時にでも、我が家から徒歩でも15分ほどの相模湾の辺りでは何時もの通りに艦載機が襲ってきていて、「バリ、バリ」と機銃掃射の音が聞こえていた。「何だ、アメリカは未だ止めていないのか」と不思議に思いながら、最早解放されたはずだと、気を落ち着けて何れ止めるだろうと艦載機の襲来の音を聞いていた。

未だに覚えているが、不思議なほど負けた悔しさであるとか、無念さも残念さも感じなかった。兎に角、これまでの約4年間の緊張というかアメリカ他の連合軍に対する敵対意識もあの放送とともに完全に消滅してしまっていた。感情のようなものは完全に何処かに消えていったようだった。言ってみれば、残ったものは虚脱感だけだったかも知れないと思う。

そこから登校を再開すれば「我が国は戦争が終わって民主主義国家に変わったのだ」と聞かされ、急に長髪が許可され、敵性競技として禁じられていた野球部か出来るなど、陸士や海兵の予備校の如きだと世間の評判が高かった我が湘南中学も一気呵成に新時代に向かって走り出したのだった。あの頃では世界有数の経済大国になるなどとは夢にも思えなかったが、その後には当然のように経済的に進歩発展していったのだった。

早稲田式野球に期待せずの弁

2015-08-15 07:40:55 | コラム
清宮幸太郎は大器の条件を備えているかの如きだが:

本日辺りは安倍総理の70年談話も出た事でもあり、固い話題で行くべきかも知れないが、午前中はこの程度であっさりと流して、清宮幸太郎論でいく事にする。総理の談話には昨日中に触れたばかりでもあるし、別の機会に譲る。

私は寡聞にして早稲田大学までを含めてこの学校の系統の高校の野球部からは不世出の大打者が出てくる事にはほとんど期待を持っていない。その理由の一つは、これまでに今の経営形態に変わる前の早実から王貞治がたった一人出ただけという実績があると指摘しておきたい。しかも王の場合は早稲田実業で打撃を鍛え上げられたのではなく、巨人に入った後に名指導者・荒川博に個人的に育て上げられたと言っても誤りではないと思う。

私が見る早稲田大学も早実も同じような哲学と主義・主張で野球選手を育てているとしか思えない節がある。それは投げる方も撃つ方も所謂前で当てるというか身体の前で小さく纏めるように指導しているので、未だ嘗て大投手も大打者も育っていないのだと見ている。確かに斎藤佑樹君は甲子園を制覇し、大学進学後も華々しい活躍をして実績を残した。だが、プロに入った後の成績はあれは何だ。小さく纏まってもいないではないか。

現在日本とアメリカのプロで野球をやっている早稲田出身の打者でスケールが大きいというか大物がいるか。確かに青木宣親は外国人の中で好成績を残しているが、彼が大打者の範疇に入るとはとても考えられない。しかも彼は早稲田時代よりもヤクルトに入ってから伸び始めたという方が正確な記述だと思わせる。投手には今年日本ハムに入った有原がいるが、私は早稲田式に小さく纏まってその素質を活かしきってはいないと辛く評価している。

そこで清宮君だ。体格からは大器かも知れない高校に入ったばかりの1年生を持て囃して過剰に採り上げるマスコミは気に入らないので、甲子園でも単打(シングルヒットは和製語で英語はbase hitである)を打った二打席しか見ていない。そこで一寸失望させられた事があった。それは早稲田式打法でアウトサイドに来た投球に器用に前で合わせて大振りする事なく、ライト方向に持って行った打ち方だった。あれではこの先にも小器用に纏まってしまうのではないか。

体格にも優れプロのスカウトたちにも十分に素質があると見える人材が、如何に甲子園でティームの為とは言っても、あれほど小さく単打を狙うような打ち方をしているのでは面白くない。もっと堂々と大きく振って出てホームランか三振かと思わせるようなスケールを見せる意欲を出して欲しかった。私は早実の監督は「甲子園で勝つために」の美名に隠れて、清宮を小さく纏める気かと思ってみていた。「好きなように打て」のシグナルくらい出しても罰は当たらないのではと考えていた。

この辺りに甲子園野球という勝ち抜きトーナメント制の試合のイヤらしさがあるので、私は高校の全国大会廃止論を唱え続けて来たのだ。清宮をその持てる素質通りに伸ばしてやろうと思うならば、伸び伸びと育てる方法を採って欲しかった。今朝ほど得津とか言うロッテのスカウトが例によって例の如くに「もっと走って下半身を鍛える事」としてきていたが、これは当たり前すぎて、寧ろ愚論であると言いたい。

そもそも野球という球技はサッカー等とは異なって走り回る事がない性質であるから、彼らは如何にも走る事が聖なる練習方のように言うのがおかしいのだ。清宮の場合は父の克幸氏は走る以外に何か他に重要な要素があるのかと言いたいほどのラグビーの大監督である。野球だけの狭い領域に閉じ込める事なく、大きく全身を使うラグビーでも何でも他の種目に慣れ親しんで身体を鍛え上げる事を目指して欲しいものだ。一つの球技の枠内に閉じ込めない事が寛容ではないのか。

そうでもしない限り、折角の体格と素質に恵まれながら、早稲田式の小さく纏めて型にはめる野球の弊害の犠牲になりはしないかと、何の関係もない他人事ながら、私が心配している次第だ。これは余計なお世話かな。そろそろ後難を怖れていますと言わねばなるまいかな。