新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月12日 その3 マスコミの報道姿勢を責める

2015-08-12 16:36:59 | コラム
マスコミの誤認識と偏見を責める:

澤穂希さんが一般人と結婚されたと報道された。良い事ではないか。あれほど日本の女子サッカー界に貢献された人だから、大いに祝福して上げたいと思ってこのニュースを聞いていた。澤さん、お目出度う。

だが、マスコミの芸人(私はごく一部を除けば彼らに芸能の名に値する力はないと思っている)、歌手、俳優、スポーツ選手、政治関連の世界というか業界に属する方々の結婚報道で、お相手が同業か同じ世界に属していない場合に必ず「一般の方」乃至は「一般人」と形容するのが腑に落ちなかったし、何故そう言う世界に属さない方々を一般と括るのか、理解出来なかった。今回も例によって「一般」の範疇に入れていたが、サンスポだったか「元はJリーガーだったサッカー関係者」と言わばすっぱ抜いていた。この辻上と言う方は一般ではなく同じ世界に属しているではないか。

そこで今回初めて広辞苑で「一般人」とはを調べてみた。すると「特別の地位・身分を有しない人、またある事に特に関係ない人、普通人」とあった。そもそも芸人ないし芸能人を敬っていもいないし、有り難い存在とも思っていない私には、最後に出た「普通人」を除外すると、マスコミは芸人等その他の人たちを「特別の地位・身分を有する人、またある事に特に関係している人」という普通人よりは身分が高い特別な人である」が如き伝え方をしている事になると思う。奇妙な報じ方ではないか。

冗談ではない。私は芸人であれば一般の人がやらない芸の力を発揮して視聴者や観客を楽しませてお鳥目を頂戴する仕事をしている連中で、何ら特別の地位にある訳でもなく、特殊な(と言えば特別とも言えるかも知れないが)身分を有している訳ではないと思う。それにも拘わらず「普通の人」ではないと報じる姿勢には何としても彼らの思い上がりと彼らの仲間であり飯のタネに過ぎない芸人を有り難がっているとしか思えない節があるので、気に入らない。公平性が欠けている。

スポーツ選手や政治家にしたところで、一般人の誰もが出来る事をしている訳ではなくても同じ人間なのだから、結婚の相手を「一般の人」という表現を用いて報じるのは如何なものかと言うよりも、偏見かまたは偏向ではないのかと指摘したい。マスコミがそういう態度に出るのは、もしかすると近頃不当に流行りまくっている「個人情報の保護」があるのかも知れない。だが、私は思い上がりを感じさせる危険性がある「一般人」は最低でも避けて「別な職業乃至は業種に属しておられる方」とほんの少しだけでも具体的に報じろと敢えて命令したい。

There goes an old saying 「職業に貴賎の別なし」と言うではないか。これも得意の技の英語の表現だが「こういう格言がある」と言いたい場合はこのようなところから入っていくのだ。「芸人、歌手、俳優、スポーツ選手、政治関連の世界というか業界に属する方々」が私が嘗てお世話になっていた「世界と言うかアメリカ屈指の会社の社員」との比較で、何か特別な身分や地位にあるのだろうか。そんな訳があるまい。人は皆平等だろう。

マスコミは深く反省してかかる報道の姿勢を一刻も早く悔い改めよ。広い世間にはどう考えても「普通の人」の方が特別な方々よりも多くおられるはずだから。


8月12日 その2 中国の野望、アメリカの弱体化、我が国の偏向勢力が

2015-08-12 12:56:13 | コラム
再度野党とマスコミ批判を:

佐藤隆一氏が「アホ菅が『安倍氏は亡国の首相』と言っておりますが」と言った知らせてくれたのでした。だが。私は呆れたり憤慨する前にカンならば言いそうだなと思い納得しました。確かに佐藤さんが指摘されたように仮初めにも元一国の総理だった者が言う台詞ではないでしょう。菅には自らの前非と失政を悔いることは期待できないでしょうから。

佐藤氏は「元首相が市民運動を扇動しているのですから、民主党も恥の文化が日本固有のそれとは異なるようです」とも言われた。民主党は何年経っても反対と時の政権のこき下ろしだけが能事の政党であることは変わらないでしょうし、変えようがないでしょう。

私が見る現在の諸々の問題点点の中では、かかるアホどもが主導する安倍内閣批判とこき下ろし策が、マスコミの真摯な(?)バックアップでを得て徐々に勢いを増していることは重大なのです。彼ら野党は如何なる卑劣な手段を用いても安倍内閣の安保法制案を廃案に持ち込むことを意図しているのでしょう。しかし、それが中国の思う壺だという以外に、彼らが何処かの誰かに振り付けられているとしか思えない点が多々あるのです。

中国はアメリカが何と言おうと画策しようと(次期大統領キャンペーンの時期にあれば)遺憾ながら何か言う余裕も採るべき対中国策の持ち合わせもないと思いますが。それを良いことに中国は南沙諸島海域どころか台湾を我が物にして、あの埋め立てで自国の海域を拡大します。

私は最近屡々聞かされる「その先には沖縄の何と言う跳ねっ返り知事を煽り続けて、あわよくば独立でもさせて(もしかして彼がそう望んでいたのならば、もっけの幸いと自国の領土に組み込み、その先にある世界第三の経済大国を支配する気だ」との説は決して妄想でも虚構ではないと危惧します。

佐藤さんが既に指摘され「中国が攻めてきたら、誰が責任を取るのか?」が現実となった場合に責任を取るべき対象は極めて多いと思います。先ずは民主党と社民党プラス共産党で、マスコミでは朝日・毎日・NHK・TBS等に加えて所謂文化人からは何とかいうノーベル文学賞受賞者や音楽家やアニメのプロダクション運営の巨匠の髭面等々と枚挙に暇がありません。困ったことは、こういう連中は低民度の大衆が最も尊敬して止まないお方なのだという点です。

「あの方々が仰ることだから」と何か有り難いお経でも聞いた気になって信じてついて行っている者が多い現状が怖いのです。私は駐留軍による戦後の日本人骨抜き教育の成果がここまで上がってきていたとは予測できていなかったのを恥じます。だが、アメリカは骨を抜いたことを結果的には反省すべきだと気が付いているのでしょうか。彼らが媚中派や韓国シンパを創り出した直接の責任を負うべきだとは知らないのでしょうから。

巨匠の方々は「反米・抗米」の姿勢を採ることで我が国をリードしているかの如き錯覚を起こしているとしか思えない振る舞いが多いのです。彼らは戦後の安保条約の庇護の下に育ってきた世代であることを全く忘れて無視し、反米ファッションを振りまくことが時代の先端を行っているという錯覚を起こしているだけの偏向した連中です。だが、マスコミは尊敬し尻馬に乗っています。何を勘違いしている事やら。

自民党の奮起を望み且つそこに期待する以外に何があるでしょうか。


今更ながらマスコミ批判

2015-08-12 07:55:39 | コラム
野党にもマスコミには国を思う精神のかけらもないようだ:

矢張り黙ってはいられないので、今更ながらマスコミ批判である。同時に政治家も。

8月12日朝4時だったかの日テレでは「川内原発は問題を残したまま再稼働を開始した」と言って地元民が「県は決められた避難訓練を一度も行っていないので事故が起きれば不安だ」であるとか「万一事故が起きたら恐ろしい。福島の問題だって解決できていないのに再稼働とは」などと問題点を言わせた一方でと言うか、その後で、「これで漸く地元が活性化できる」と支持派の声も伝えるには伝えた。規制委員会が基準に合格と決めても、問題を探し出して罪なき国民を不安にさせる気か。

あの田中委員長でさえ、「絶対安全と保証してはいない」と言ったほどで、何も薩摩川内に限ったことではなく、これから先に如何なる予測不能な天変地異が怒って(怒って?)我が国の大きな地域が破壊されないなどという保証をする暴虎馮河の勢いを持つ政治家も官僚も専門家も出てくる訳がないだろう。しかも、誰も正面切って大声で言わない模様だが、福島には予備電源の配置場所があの事故の大いなる原因の一つだったことを指摘した専門家がおられたではないか。事故が発生した際の安全対策の訓練も十分に実施されたいなかったとも来た記憶だってある。

それにも拘わらず、私は職業的何事でも政府がやる事への運動家や、その背後で罪なき国民を不安に陥れる振り付けを行っている連中こそ真っ向から批判・非難されるべきだと思っている。そして、公平・公正に批判すべき役を果たすべきは何とかの木鐸と僭称するマスコミではないのか。彼らは原発再稼働と言い安保法制案と言い、政権に対して恰も正義の味方の如くに装って反対論を世間の人の口を借りて報道するのを偏向とは思っていないようだ。

これまでに何度も繰り返ししてきたことで今更言いたくもないが、民主党でも最悪だった菅直人総理が如何にも大政治家の如き姿勢で全ての原発を止め、火力発電に依存し、太陽光発電を導入したことが如何に我が国の多くの製造業の原価を高騰させたか、熱源の化石燃料を輸入に依存せざるを得ない歪んだ経済状態に持って行って、貿易赤字を壊滅的に増加させたことを「愚策であった」と批判したマスコミが一社でもあったか。

マスコミは原発の経済的「メリット」(誤ったカタカナ語で、正しくは経済性乃至は利点と言うべきだが)を全く論ずることなく、私が民主党政権の致命的不手際で復興が遅れている東北地方、中でも福島で苦労させられている方々をのみ強調し、天下国家の経済を論じて迷わされた国民を迷路から脱出させるような努力を完全に怠っていると断じる。渡部亮次郎氏は「彼らは彼らのために存在しているのだから、批判しても意味は無い」と言われたが、その通りであるのは全く遺憾千万である。

マスコミに言いたいことは「原発再稼働の不安や問題点を言いたいのならば、再稼働による経済性や雇用の面等における利点を併記すべきではないか。低民度の一部の国民を言われなき誤った方向に誘導する報道姿勢を一刻も早く止めるべきではないか。君らには『国益』を尊重する気はないのか」なのである。

テレ朝は先程参議院で安保法制が8月に成立したとしてその後の防衛相の予定表を採り上げた共産党の小池晃が「こんな決まってもいない法案を元に予定を立てるのは不当。このような姿勢を政府が採る以上審議には応じられない」と叫んで議事を進行させなかったと大きく報じた。事ほどさように野党は安保法制案の本質論ではないところの揚げ足を取っては議事進行を止め、低民度の一部の国民に「戦争法案だ」などと訴えてみせる。

これぞ正統派?の偏向ではないか。野党は如何に法案阻止の手がなくなってしまったかを露呈しているのだが、そこを一向に採り上げないマスコミと「偏向兄弟か姉妹」として歩調を合わせているのをこれほど見させられては、野党の政治家は全く信用ならないとあらためて痛感させられる。昔から言われていたではないか「政治家に自分たち以上の器量と統治能力を期待してはならない」と。私はこれをそのままマスコミにも進呈したい。