新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月9日 その2 何方か教えて下さい

2015-08-09 15:38:58 | コラム
国会議員は副業を許されるのですか:

8月9日(日)15時現在、日テレのBSで広島対巨人の野球の解説を堀内恒夫参議院議員がやっている。これは初めての登場ではない。日曜日で国会はお休みかも知れないが、安保法制案の審議がこれほど重要な時期に、与党の議員がこんな事をしていても良いのか。法律的には許されるのだろうか。恐らく無報酬でやっていると仰せになるだろうが、お住まいだろうかも知れぬ議員宿舎との往復の交通費は自腹でやっておられるのだろうか。それだって歳費ではないか。

いや、私はそれよりも何よりも繰り上げ当選だった議員にそれほど時間に余裕があるのかと問いたいのだ。何も安保法制案だけに限らず新人の議員たる者もっともっと勉強するべき課題があるのではないのか。巨人嫌いの私だから言いたくもなるが、元々横柄な口の利き方をする堀内は解説者向きではなかった。自粛せよと大声で言いたい。

それが議員に成れてから立ち居振る舞いを含めてどう変わったか知らないが、あの場に出ることは如何に何でも不謹慎ではないかと思うし、渡邉恒雄の傘下にあれば日テレは何をしても良いのか。堀内は何処の誰の許可を取ったのか。議長に申告してあるのか。

嘗て参議院議員になった例では江本があったような気もするが、彼がテレビ解説に出たか否かの記憶はない。それでも、私は仮令「偏見だ」と言われようとも、堀内恒夫を許す気はない。

「過渡期にある我が国のサッカーには問題が多い」を訂正します。お許しを

2015-08-09 13:40:00 | コラム
私は男女のサッカー代表は過渡期にあるとは認めるが、その前に解決すべき問題があると考えている:

女子の東アジアサッカー杯であの顔触れで何とか2点が取れて中国に勝ったのは良かったが、そこ以外にも問題は多いと思っている。

結論めいたことから先に言えば「相手の中国が弱かった事に助けられたのでは」なのだった。彼女たちは確かにこの試合の出来如何ではオリンピック代表の選考にも残れないだろうし、佐々木監督に厳しく言われていたようでもあって、何とか形がつくように努力していたのは見ていただけでも十分に読めた。綺麗な流れの中から取った点ではなくともひたむきさは十分に感じさせてくれた、

男子が韓国と引き分けた際にも指摘したことだが、私はサッカー人口が増えて、多くのクラブティームも出来て、サッカー部を作った中・小・高から大学までが増えてきたのはサッカーの普及には歓迎すべきだとは思っている。だが、競技人口の増加が競技そのものの水準の向上には直結しないことは問題を多く残していると思っている。それは散々論じてきた甲子園野球の全国大会に勝つこと「命」のようなその為だけを最高とする点に置く指導法が広まることだ。

それは世界選手権のようなレベルを狙うような力を持たせるような指導法をせずに、全国大会のトーナメント方式での勝ち上がり方を主たる目的にせざるような学校と父兄の願望を満たす為の小さな纏め方に偏してしまうことを指して言っているのだ。それが悪いとは言わない。だが、大学やJリーグやプロ野球が求めている将来性がある素材の育成を敢えて避けているような指導者が持て囃される結果になっているのではないかと、後難を怖れて言っているのだ。

サッカー界を見てると、我々の頃とは基本技の指導に大きな変化に気が付く。個人技が当時とは比較するのも失礼かと思うほど向上し、用具の進歩も手伝ったと噂されるようにキック力とその正確には瞠目する。パスを回す細かい技術は我が国と特にの体格の不利を補って余りあるほど進歩したと認める。

だが、著しく目立った欠陥は「自分で局面を展開してやろう」という考え方が何処かで否認された様子で、兎に角責任逃れと言いたいような「そこでシュートに持って行けたのでは」と昔の蹴球選手を切歯扼腕される慎重さに重点が置かれているやに見える。勝手に「チャンス来る」とばかりに思い切ったシュートをすることは集団の和を乱す悪だと刷り込まれているのかと疑うほど強引に行かないないのが不思議に思える。

またその昔には「相手のゴールの背を向けて縦パスを受け、背後にマークがついていると承知している際には、左右何れかの方向にフェイントをかけてそれを外して前進せよ」何度も練習したものだったが、今の若手は先ずフェイントを使わないで元来た方向に見事な逆縦バックパスで返してしまうのが一般的で、そこからお家芸のバックス陣間での横パス繋ぎが延々と始まる。

その間に相手は前にいるFWまたは所謂トップ下なる連中にピッタリとマークをつける余裕が出来るので、バックからはパスを出す先というか隙が無くまたぞろ縦パスを出してける返されるか下手なトラッピングをして奪われてしまう結果になる。こういう攻め方だから恐らく”time of possession”を計れば日本側の保持率は高く出るだろう。そんな攻め方をしてなんになると思うのか。

また、我々が蹴球を習い覚えた頃には「右サイドのプレーヤーはシュートをする時には左から来たセンターリングでも、右サイドを駆け上がっても右足では蹴らずに前が広く空いている左足にせよ。立ち足を左にすれば、それだけ狙える角度が狭まる」が原則で、右サイドの攻撃的MFだった私は苦労したものだった。 。余談だが、欧州や南米の世界一流の者ども逆足でも十分にこなすが、これは高度な応用編である。

これを実力不足の我が国の連中が真似るのでシュートが不正確になってしまう。許されるのは急場しのぎの場合だけだろう。今の選手たちは球慣れしているのでこの原則を無視して見事なシュートを決めてみせることある。だが、勘違いしてはいけないことはそれは欧州や南米の世界一流の者たちだから出来ること。我が国でそれだからと言って真似するのは百年早いのだ、基礎が固まってから応用編の練習をするよう指導すべきだ。


それに目立つのが守備の際に人数かけて攻め上がってこない相手にこちらが3~4人で群がって取りに行くことだ。これは作戦上にはあることだが、一昨夜の韓国戦のように広く散らばって攻め上がってくる相手ではその場面から抜け出されると一気に数名のディフェンス陣が置いて行かれる結果となって危機を招く。また仮に人数をかけて取り返せてもその後でその狭い地域で細かいパス交換を続ける傾向があるの。これでは一向に局面が変わらずに逆襲(カウンターと言うらしいが)に素早く転ずることも出来ない。

私がここに幾つか採り上げた問題点は基礎中の基礎であり、全日本代表に選ばれて上がってきた連中のその悪い癖を取り除くのは寧ろ手遅れで、そんな教え方をした下部組織の指導者が非難されるべき事案ではないか。高額な年俸で契約された外国人の我が国の監督たちの契約条項にはない項目だろう。ではあっても、監督たる者、もうそこに気が付いても良いことでないのかな。

しっかし、事ここに至れば、監督は地方の有力高校やJリーグの下部組織で如何ななる教え方をしているかを見回られる必要があると申し上げたい。俗に「三つ子の魂百まで」と言われているではないか。

また埼玉出身でサッカーに造詣が深いTK博士は「諸悪の根源の一つに部活制度がある」と指摘された。尤もである。「ある部に属して色々な仕来りや慣行の中で育てば(縛られれば?)他の運動競技と交流して良い点を習得して採り入れるべきは採っておけば自分たちの助けにすることは考えないのか」アメリカで三大スポーツを学校で教えている制度と比較すれば、改革してもにしても良くはないか。

私の場合にはグランドを半分使っていた野球部が24年に甲子園で勝ってしまったし、その連中と親しい間柄だったので、幸運にも練習が終わった後などには彼らと一緒に野球をやって原則論を教えて貰う機会があったのだ。彼らの当時の臨時コーチ陣には六大学の慶応大学の別当投手や加藤捕手や矢野外野手が来ておられたの、当時の最新式野球の基礎と技術を学べるのをベンチに後ろで聞いていられたのだった。

男女のサッカーはこれから先に為すべき事は猛練習ではなく、基礎の見直しと再教育から入っていって貰いたい。現状では監督がどうのと論じている場合ではないと言いたいほど基礎となる心構えと基本技の訓練が欠けてていると思ってみているのだが。


過渡期にあるとは言え我が国のサッカーには問題点が多い

2015-08-09 09:40:27 | コラム
私は男女のサッカー代表は過渡期にあるとは認めるが、その前に解決すべき問題があると考えている:

女子の東アジアサッカー杯であの顔触れで何とか2点が取れて中国に勝ったのは良かったが、そこには肝心のシュート力不足は問題だが、それ以外にも基本的な問題は多いと思っている。

あの試合だけについて結論めいたことから先に言えば「相手の中国が弱かった事に助けられたのでは」なのだった。彼女たちは確かにこの試合の出来如何ではオリンピック代表の選考にも残れないだろうし、佐々木監督に厳しく言われていたようでもあって、何とか形がつくように努力していたのは見ていただけでも十分に読めた。綺麗な流れの中から取った点ではなくともひたむきさは十分に感じさせてくれた、

男子が韓国と引き分けた際にも指摘したことだが、私はサッカー人口が増えて、多くのクラブティームも出来て、サッカー部を作った中・小・高から大学までが増えてきたのはサッカーの普及には歓迎すべきだとは思っている。だが、競技人口の増加が競技そのものの水準の向上には直結しないことは問題を多く残していると思っている。それは散々論じてきた甲子園野球の全国大会に勝つこと「命」のようなその為だけを最高とする点に置く指導法が広まることだ。

それは世界選手権のようなレベルを狙うような力を持たせるような指導法をせずに、全国大会のトーナメント方式での勝ち上がり方を主たる目的にせざるような学校と父兄の願望を満たす為の小さな纏め方に偏してしまうことを指して言っているのだ。それが悪いとは言わない。だが、大学やJリーグやプロ野球が求めている将来性がある素材の育成を敢えて避けているような指導者が持て囃される結果になっているのではないかと、後難を怖れて言っているのだ。

サッカー界を見てると、我々の頃とは基本技の指導に大きな変化に気が付く。個人技が当時とは比較するのも失礼かと思うほど向上し、用具の進歩も手伝ったと噂されるようにキック力とその正確には瞠目する。パスを回す細かい技術は我が国と特にの体格の不利を補って余りあるほど進歩したと認める。

だが、著しく目立った欠陥は「自分で局面を展開してやろう」という考え方が何処かで否認された様子で、兎に角責任逃れと言いたいような「そこでシュートに持って行けたのでは」と昔の蹴球選手を切歯扼腕される慎重さに重点が置かれているやに見える。勝手に「チャンス来る」とばかりに思い切ったシュートをすることは集団の和を乱す悪だと刷り込まれているのかと疑うほど強引に行かないないのが不思議に思える。

またその昔には「相手のゴールの背を向けて縦パスを受け、背後にマークがついていると承知している際には、左右何れかの方向にフェイントをかけてそれを外して前進せよ」何度も練習したものだったが、今の若手は先ずフェイントを使わないで元来た方向に見事な逆縦バックパスで返してしまうのが一般的で、そこからお家芸のバックス陣間での横パス繋ぎが延々と始まる。

その間に相手は前にいるFWまたは所謂トップ下なる連中にピッタリとマークをつける余裕が出来るので、バックからはパスを出す先というか隙が無くまたぞろ縦パスを出してける返されるか下手なトラッピングをして奪われてしまう結果になる。こういう攻め方だから恐らく”time of possession”を計れば日本側の保持率は高く出るだろう。そんな攻め方をしてなんになると思うのか。

また、我々が蹴球を習い覚えた頃には「シュートをするときには右から来たセンターリングでも、右サイドを駆け上がっても右足では蹴らずに広く明いている左足にせよ。立ち足を左にすればそれだけ狙える角度が狭まる」が原則で、右サイドの攻撃的MFだった私は苦労したものだった。この原則は「左サイドにいる者は利き足の右で思うように蹴れる有利さがあった」のだった。今の選手たちは球慣れしているのでこの原則を無視して見事なシュートを決めてみせるが、勘違いしてはいけないことはそれは欧州や南米の世界一流の者たちが出来ること。我が国で「それを見て真似するのは百年早い」

それに目立つのが守備の際に人数かけて攻め上がってこない相手にこちらが3~4人で群がって取りに行くことだ。これは作戦上にはあることだが、一昨夜の韓国戦のように広く散らばって攻め上がってくる相手ではその場面から抜け出されると一気に数名のディフェンス陣が置いて行かれる結果となって危機を招く。また仮に人数をかけて取り返せてもその後でその狭い地域で細かいパス交換を続ける傾向があるの。これでは一向に局面が変わらずに逆襲(カウンターと言うらしいが)に素早く転ずることも出来ない。

私がここに幾つか採り上げた問題点は基礎中の基礎であり、全日本代表に選ばれて上がってきた連中のその悪い癖を取り除くのは寧ろ手遅れで、そんな教え方をした下部組織の指導者が非難されるべき事案ではないか。高額な年俸で契約された外国人の我が国の監督たちの契約条項にはない項目だろう。ではあっても、監督たる者、もうそこに気が付いても良いことでないのかな。

しっかし、事ここに至れば、監督は地方の有力高校やJリーグの下部組織で如何ななる教え方をしているかを見回られる必要があると申し上げたい。俗に「三つ子の魂百まで」と言われているではないか。

また埼玉出身でサッカーに造詣が深いTK博士は「諸悪の根源の一つに部活制度がある」と指摘された。尤もである。「ある部に属して色々な仕来りや慣行の中で育てば(縛られれば?)他の運動競技と交流して良い点を習得して採り入れるべきは採っておけば自分たちの助けにすることは考えないのか」アメリカで三大スポーツを学校で教えている制度と比較すれば、改革してもにしても良くはないか。

私の場合にはグランドを半分使っていた野球部が24年に甲子園で勝ってしまったし、その連中と親しい間柄だったので、幸運にも練習が終わった後などには彼らと一緒に野球をやって原則論を教えて貰う機会があったのだ。彼らの当時の臨時コーチ陣には六大学の慶応大学の別当投手や加藤捕手や矢野外野手が来ておられたの、当時の最新式野球の基礎と技術を学べるのをベンチに後ろで聞いていられたのだった。

男女のサッカーはこれから先に為すべき事は猛練習ではなく、基礎の見直しと再教育から入っていって貰いたい。現状では監督がどうのと論じている場合ではないと言いたいほど基礎となる心構えと基本技の訓練が欠けてていると思ってみているのだが。