新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

黙れ、アナウンサー

2015-08-24 08:34:20 | コラム
「練習は嘘をつかない」等とほざくな:

「練習は嘘をつかない」は、昨23日夜の女子のヴァレーボール、対ロシアの熱戦を中継したフジテレビのアナウンサーが何度も叫んだ、古く且つ良い点もあった時代遅れとでも形容したいスポーツについて回る精神論の極めつけの台詞である。一聴尤も風なので一般受けしてしまうだろう。私はこの叫びを折角身長差をある程度以上い克服して善戦健闘していた女子代表に対する、アナウンサー如きの要らざるお節介だと思って聞いていた。

一寸話しを変えるが、昨夜はテレビに余り見るべき出し物がなく、余り好みではないこの女子のヴァレーボールを観戦するしかなかったのだった。好みではない理由は、中継するテレビ局の騒ぎ過ぎと上記のようなアナウンサーの思い込みからの要らざる精神論や応援団まがいの叫びが多過ぎて冷静な評論家の観察の妨げになる点にあるのだ。なお、遺憾ながら私の閃きでは「女子の代表には勝てる見込みがない」と出ていたのだった。しかも当たってしまったのは遺憾だった。

そこで「練習は嘘をつかない」に話を戻そう。あのアナウンサーが何処まで本格的に大学か高校の頃にでも全国制覇なり何なりを目指して血と汗の練習を経験したことがあるかどうかは不明だが、聞いた風なことを言うべきではないと不快に思って聞いていた。これは漫画やテレビドラマのスポ根物には通じる話かも知れないが、試合とは、特に国際試合では相手があって行うものである以上、自分たちの都合や調子だけで事が運ぶものではないのだ。

たとえ、どれほど厳しく且つ激しく練習を重ねてきてあっても、対戦相手がその練習で習い覚えたような戦法やフォーメーションで戦ってくる訳ではない。そもそも試合などと言うものは如何にして相手の意表をついて出るかというような駆け引きが重要な作戦の一部なのである。簡単に言えば「練習通りに事が運ぶならば、こんな楽なことはない」のであって、100%思う通りには行かないのが試合であり勝負だ。

試合中に屡々起きることは、言うなれば「そんなの知らなかった」というような予期しない出来事は当たり前のように襲ってくるものなのだ。「練習は嘘をつかない」等という理想論で事が運ぶならば、百戦百勝となってしまうではないか。練習した通りに試合を運べる次元まで到達できるまでの間に、何度でも失敗と挫折を繰り返して悔しさと反省を経験して置く必要すらあるものだ。

昨夜の女子代表は本当に善戦健闘だったし、私以外の大多数の方は最後のセットでロシアを負かすだろうと思っておられただろうと思って見ていたほど、素晴らしい試合運びだった。そこを意識したのがあのアナウンサーの「練習は嘘をつかない」の叫びになって現れたのだと思っている。確かに練習は嘘はついていなかった点が多々あったが、結果的には一歩及ばなかったのだった。問題はその僅かな一歩の差をこれから先にどうやって埋めていくかが課題なのである。

もっときつい言い方をすれば、厳しい練習をしてきたから勝てると考えるのは一種の迷信ではないのか。相手だって練習を積んできているし、今や近代のスポーツは「スカウティンぐ」の時代に入った。我が代表の眞鍋監督はタブレットを片手に持ち、常にアナライザーから入る分析の情報を見ていたではないか。アナウンサーは視聴者の中には私とは違う他の競技の本当のスカウティングの専門家も見ておられることくらいは意識して語るべきだ。

フットボールの世界では対戦前に相手を丸裸にまで分析し終えて試合に臨んでくるのは当たり前だ。丸裸とはどの程度までを言うかとの例を挙げれば、相手の有力選手の利き腕や利き足の故障部分を見抜いて徹底的に分析して、守備の対策を立てておくくらいは普通なのである。野球だって解説者がストップウオッチを持って投手がクイック(スライド・ステップが英語らしいが)で投げる時の秒数を測って盗塁が出来るか否かを語ってみせるではないか。格好良く言えば、そこまで科学的になっている時代だ。

ここまでの解説をアナウンサーに求めるのは酷だというならば、解説者と事前に打ち合わせをして視聴者を本当に楽しませるような工夫をするべきだと言いたい。今時、苔むしたような精神論を連呼されても罪なき視聴者は惑わされるだけではないのか。アナウンサーは少なくとも嘘を言ってはならないのではないか。それにしても、昨夜の敗戦は残念だったし、惜しいことをしたと思うほどの熱戦だった。

私には女子代表は最早技術ではロシアに遜色ない水準まで達しているので、後は「身長差」を如何にして埋めるかが矢張り簡単ではない課題として残ったと見えたのだが。これは精神論の段階にはない問題だ。実は私はスポーツにおける精神論を強調するのが大嫌いなのだ。それが言いたくてここまで引っ張ってきたのだ。