国際的な場面で如何に振る舞うべきか:
私は昨日「国益を守る覚悟がみえない馳文科相」と題してその腰砕けを産経の社説をも引用して批判した。それについて尾形美明氏からは<随行した文科省の役人の責任は重いですね。レクチャーする機会は幾らでもあったと思います。でも、外務省を含めて官僚が問題なのでしょうね。>
とのご意見を寄せて頂いた。誠に尤もであると思う。私は渡航前にこの新人文科大臣に海外での行動と演説の心を十分に説き聞かせると共に、演説原稿を海外経験豊富で外国人を相手にした論戦の経験者に見せて直すべき点を直しておくべきだったと思う。周囲にいる者があんな原稿を書いていたとしたら論外である。「何を考えていたのか」と怒鳴りつけてやりたい。海外事情を知らなすぎるではないか。
プロレスの経験者だと聞く馳文科相には海外に出て外国人の前で堂々と所信を披瀝し、論破すべき相手に向かっては真正面から相対する勇気が無かったのでは。私の経験を言わせて貰えば、アメリカ側の一員として我が国の会社の方々と厳しい話し合いをすることには、たとえ相手が同国人であっても、国際的交渉である以上、経験を積むまではかなりの勇気が必要だった。
ましてや馳文科相にとって初めての海外でありUNの場であれば、仮に原稿が「論争と対立」を怖れないように出来ていても、勢いよく言い出すのが怖かったのではないかと本気で疑っている。だが、それは「あの場で敢然として言えなかった理由」にはなり得ない、一国を代表して登壇した以上は。
そういう観点に立てば、私は一般論としても新人の大臣に海外の場では多くを期待できないと思う。私の経験を申し上げれば「怖めず臆せず社内でも社外の(国際的な)交渉事の緊張を強いられる場においても「此処で言わなくてどうする」とごく普通に自分が信じていることを(英語ででも)言えるようになるまでには、相当の日数どころか年数を必要とした。その意味では馳文科相にほんの少しだけ、ほんの少しだけ同情の余地はある。
私には馳氏の政治家としての能力がどの程度か知る由もないが、安倍総理が少なくとも彼のような「「摩擦を生まないように穏便に申し上げました」等と情けないことを「文化の相違」を弁えずに言う新人を、外国相手の公式戦にいきなり起用しても効果が出ない事を立証してしまったのは誠に遺憾の極みであると言いたい。
尾形氏が<随行した文科省の役人の責任は重いですね。>と指摘された点も通りだろう。彼がUNに向かう前に海外経験者を使って十分に「如何に語り且つ振る舞うべきか」を仕込んでおくべきだったのではないか。だが、話は逸れるが、私は海外の連中が国際的な場に馴れているかどうかはまた別問題で、アメリカ人などは「偉大な田舎者」が多いのもまた事実だと言えると思っている。矢張り、国際試合には英会話と同様に「慣れと度胸」が必要だと馳文科相が立証したが、これとても何も馳文科相だけの問題ではないのではと断言するものだ。
私は昨日「国益を守る覚悟がみえない馳文科相」と題してその腰砕けを産経の社説をも引用して批判した。それについて尾形美明氏からは<随行した文科省の役人の責任は重いですね。レクチャーする機会は幾らでもあったと思います。でも、外務省を含めて官僚が問題なのでしょうね。>
とのご意見を寄せて頂いた。誠に尤もであると思う。私は渡航前にこの新人文科大臣に海外での行動と演説の心を十分に説き聞かせると共に、演説原稿を海外経験豊富で外国人を相手にした論戦の経験者に見せて直すべき点を直しておくべきだったと思う。周囲にいる者があんな原稿を書いていたとしたら論外である。「何を考えていたのか」と怒鳴りつけてやりたい。海外事情を知らなすぎるではないか。
プロレスの経験者だと聞く馳文科相には海外に出て外国人の前で堂々と所信を披瀝し、論破すべき相手に向かっては真正面から相対する勇気が無かったのでは。私の経験を言わせて貰えば、アメリカ側の一員として我が国の会社の方々と厳しい話し合いをすることには、たとえ相手が同国人であっても、国際的交渉である以上、経験を積むまではかなりの勇気が必要だった。
ましてや馳文科相にとって初めての海外でありUNの場であれば、仮に原稿が「論争と対立」を怖れないように出来ていても、勢いよく言い出すのが怖かったのではないかと本気で疑っている。だが、それは「あの場で敢然として言えなかった理由」にはなり得ない、一国を代表して登壇した以上は。
そういう観点に立てば、私は一般論としても新人の大臣に海外の場では多くを期待できないと思う。私の経験を申し上げれば「怖めず臆せず社内でも社外の(国際的な)交渉事の緊張を強いられる場においても「此処で言わなくてどうする」とごく普通に自分が信じていることを(英語ででも)言えるようになるまでには、相当の日数どころか年数を必要とした。その意味では馳文科相にほんの少しだけ、ほんの少しだけ同情の余地はある。
私には馳氏の政治家としての能力がどの程度か知る由もないが、安倍総理が少なくとも彼のような「「摩擦を生まないように穏便に申し上げました」等と情けないことを「文化の相違」を弁えずに言う新人を、外国相手の公式戦にいきなり起用しても効果が出ない事を立証してしまったのは誠に遺憾の極みであると言いたい。
尾形氏が<随行した文科省の役人の責任は重いですね。>と指摘された点も通りだろう。彼がUNに向かう前に海外経験者を使って十分に「如何に語り且つ振る舞うべきか」を仕込んでおくべきだったのではないか。だが、話は逸れるが、私は海外の連中が国際的な場に馴れているかどうかはまた別問題で、アメリカ人などは「偉大な田舎者」が多いのもまた事実だと言えると思っている。矢張り、国際試合には英会話と同様に「慣れと度胸」が必要だと馳文科相が立証したが、これとても何も馳文科相だけの問題ではないのではと断言するものだ。