スポーツ選手の場合に良い結果が出ない例が:
私は我が国の優れた選手たちが意識しようとすまいと、マスコミの寵児となり持て囃された場合にろくな結果が出ないと言い続けてきた。選手たちがそれと知って物理的にも精神的にも影響されるか否かまで調べたことなどないが、先週カナダで開催されたグランプリ(”grand prix”はフランス語で、英語ならば”the grand prize”だ)のフィギュアースケートで羽生結弦君が転んでばかりいて、1年休んでいた地元のPatrick Chan(陳偉群)に負けて2位に終わったのが悪い例だ。
私は何もそれがマスコミのせいだと言っているわけではないが、何となく持て囃される過ぎることは悪いお知らせの前兆であるとのジンクス(”jinx”)になるとしか思えないから言うのだ。 羽生君の場合は若くしてオリンピックチャンピオンになったことを当然のようにマスコミが褒め称え且つ持て囃した。私はマスコミの過剰な特集の仕方に不吉なものを感じていた。
彼自身も積極的により高い境地を追求して伴奏音楽に映画「陰陽師」の曲を使うこととし、野村萬斎に狂言の教えを乞うた辺りから目つきが尋常ではなくなり、私は「何かなければ良いが」とすら危惧していた。果たせるかな、あのショートプログラムの6位という不出来でフリーでの奮闘虚しく帰り新参の香港系のカナダ人に敗れ去ってしまった。
私には錦織圭にも同じような傾向が見えるのだ。確かに彼は努力を重ねて世界でもトップ10の上位を占めるところまでの実力者になってくれた。立派なものだが、一方では松岡修造を筆頭にマスコミが彼を褒め称え過ぎた。彼はそれにも負けずに(?)世界で好成績を維持してきたが、ここ二回ほど大きな大会で不成績が続いている。私はそこにも、何らの理論の裏付けもないが、マスコミの持ち上げ方過剰の影を見る気がしてならないのだ。
一寸古くなった例には女子のスキーのジャンプの分野での高梨沙羅が挙げられないか。彼女はW杯だかグランプリだったか定かに記憶していないが、当にマスコミ好みの「世界」の競技会で連戦連勝の輝かしき成績を残した。だが、勝って当然の如くに予想された冬季オリンピックでは不運も手伝ってかメダル圏内にも入れなかった。「矢張りそうなったか」と私は受け止めていた。
サッカーに目を転じてみよう。本田圭佑も香川真司もそれぞれセリエAとプレミアリーグにマスコミのファンファーレとともに登場した。そこにあったのは世界一流のプレーヤーになったかの如き褒めそやし方だった。香川についてはあのザケローニ監督だけが毅然として「マンチェスターユナイテッドに3年経っても在籍していられれば、その時にお目出度うと言おう」と冷めた見方をしていたのが忘れられない。香川はドイツに戻ったし、本田は毀誉褒貶相半ばしている成績ではないか。
新しいところでは先頃のラグビーのW杯で世界を瞠目させた輝かしき成績を残したラグビー代表と、ベスト15に選ばれる名誉を得た五郎丸歩君の今後が不安だ。特に五郎丸君の場合はあのフリーキックを蹴る前の、サッカー経験者の私には妙なお呪いにしか見えない、あの時間をかける動作が大変な人気となってマスコミの好餌になってしまった。敢えて「好餌」とした理由は言うまでもないだろうが「悪いお知らせの前兆」とならないこと祈っているからだ。
表現を変えれば「マスコミは自国の選手たちの輝かしき成績を称えて特集したい気持ちは解らないでもないが、ある程度の節度を持って過剰にならないように気配りをして貰いたい」と言っておきたいのだ。「もし、彼らが日本を代表する選手たちの一層の活躍と飛躍を望んでいるのだったら」なのだ。古き言い慣わしに「贔屓の引き倒し」がある。何卒、自国の選手たちを引き倒さないように万全の心遣いをして欲しいのだ。
私は我が国の優れた選手たちが意識しようとすまいと、マスコミの寵児となり持て囃された場合にろくな結果が出ないと言い続けてきた。選手たちがそれと知って物理的にも精神的にも影響されるか否かまで調べたことなどないが、先週カナダで開催されたグランプリ(”grand prix”はフランス語で、英語ならば”the grand prize”だ)のフィギュアースケートで羽生結弦君が転んでばかりいて、1年休んでいた地元のPatrick Chan(陳偉群)に負けて2位に終わったのが悪い例だ。
私は何もそれがマスコミのせいだと言っているわけではないが、何となく持て囃される過ぎることは悪いお知らせの前兆であるとのジンクス(”jinx”)になるとしか思えないから言うのだ。 羽生君の場合は若くしてオリンピックチャンピオンになったことを当然のようにマスコミが褒め称え且つ持て囃した。私はマスコミの過剰な特集の仕方に不吉なものを感じていた。
彼自身も積極的により高い境地を追求して伴奏音楽に映画「陰陽師」の曲を使うこととし、野村萬斎に狂言の教えを乞うた辺りから目つきが尋常ではなくなり、私は「何かなければ良いが」とすら危惧していた。果たせるかな、あのショートプログラムの6位という不出来でフリーでの奮闘虚しく帰り新参の香港系のカナダ人に敗れ去ってしまった。
私には錦織圭にも同じような傾向が見えるのだ。確かに彼は努力を重ねて世界でもトップ10の上位を占めるところまでの実力者になってくれた。立派なものだが、一方では松岡修造を筆頭にマスコミが彼を褒め称え過ぎた。彼はそれにも負けずに(?)世界で好成績を維持してきたが、ここ二回ほど大きな大会で不成績が続いている。私はそこにも、何らの理論の裏付けもないが、マスコミの持ち上げ方過剰の影を見る気がしてならないのだ。
一寸古くなった例には女子のスキーのジャンプの分野での高梨沙羅が挙げられないか。彼女はW杯だかグランプリだったか定かに記憶していないが、当にマスコミ好みの「世界」の競技会で連戦連勝の輝かしき成績を残した。だが、勝って当然の如くに予想された冬季オリンピックでは不運も手伝ってかメダル圏内にも入れなかった。「矢張りそうなったか」と私は受け止めていた。
サッカーに目を転じてみよう。本田圭佑も香川真司もそれぞれセリエAとプレミアリーグにマスコミのファンファーレとともに登場した。そこにあったのは世界一流のプレーヤーになったかの如き褒めそやし方だった。香川についてはあのザケローニ監督だけが毅然として「マンチェスターユナイテッドに3年経っても在籍していられれば、その時にお目出度うと言おう」と冷めた見方をしていたのが忘れられない。香川はドイツに戻ったし、本田は毀誉褒貶相半ばしている成績ではないか。
新しいところでは先頃のラグビーのW杯で世界を瞠目させた輝かしき成績を残したラグビー代表と、ベスト15に選ばれる名誉を得た五郎丸歩君の今後が不安だ。特に五郎丸君の場合はあのフリーキックを蹴る前の、サッカー経験者の私には妙なお呪いにしか見えない、あの時間をかける動作が大変な人気となってマスコミの好餌になってしまった。敢えて「好餌」とした理由は言うまでもないだろうが「悪いお知らせの前兆」とならないこと祈っているからだ。
表現を変えれば「マスコミは自国の選手たちの輝かしき成績を称えて特集したい気持ちは解らないでもないが、ある程度の節度を持って過剰にならないように気配りをして貰いたい」と言っておきたいのだ。「もし、彼らが日本を代表する選手たちの一層の活躍と飛躍を望んでいるのだったら」なのだ。古き言い慣わしに「贔屓の引き倒し」がある。何卒、自国の選手たちを引き倒さないように万全の心遣いをして欲しいのだ。